第22話

 二学期の中間試験が迫っていた。

 如月椎が登校すると、先に来ていた弥生が机の上にノートを広げて勉強していた。

「数学?」

 ノートを覗きこむと、椎の存在に気付いた弥生が顔をあげる。

「おはよう」

「うん。おはよう。弥生って数学得意じゃなかったっけ?」

「だから、確実にとれるように勉強してる」

 弥生はそう言って、ノートを捲る。

 左側に数式が、右側に公式が並んでいた。

 綺麗にまとめられている。

「椎はテスト勉強してるの?」

「まだしてないよ」

 即答すると、弥生は微かに眉をよせた。

「今日、一緒に勉強する?」

「図書館で?」

「そう。いつも通り」

 いつも通り。

 弥生の言葉通り、試験前に一緒に勉強したことが何度かあった。

 弥生との関係が変わってしまう前の話。

 それが酷く懐かしく感じた。

「うん。じゃあ、お願いしようかな」

 昔の弥生に戻った気がして、それが嬉しくて、椎は迷わず頷いた。

 弥生が小さく笑みを浮かべる。

 直後、教室の引き戸が開き、優香が顔を見せた。

 椎と弥生が一緒にいるのを見た途端、僅かに動きを止めて、真っすぐ近づいてくる。

「おはよう。二人ともどうしたの?」

 机の上に広げられたノートを見て、優香が首を傾げた。

「勉強中?」

「あ、放課後、図書室で勉強会しようって話してたところ」

 椎が説明すると、優香はノートを見つめながら、へえ、と声をあげた。

「神無月さんって、数学得意なんだね。私も教えてもらっていい?」

「……別に構わないけど」

 弥生が素っ気なく答えると、優香はにこりと笑みを零した。

「ありがとう。じゃ、今日は三人で勉強しよっか。ねえ、椎くん?」

「え、あ、うん。そうだね」

 同意の言葉を口にした直後、優香が手を掴んでくる。

「椎くん、ちょっと話があるからこっち来て。神無月さん、ちょっとごめんね」

「え?」

 優香の意図を理解する前に廊下まで引っ張られる。

 まだ人が少ない廊下で、優香が睨みつけてくる。

「椎くん、私、昨日言ったよね。神無月さんは椎くんの事が好きかもしれないって。それが不安だって」

 小声でゆっくりと言う優香に、椎は視線を外した。

「ごめん」

「いいよ。私も、ごめん。でも、神無月さんと二人っきりになるのは止めて欲しいな。椎くんだって、私が他の男の子と二人きりで勉強してたら嫌でしょ?」

「うん……軽率だった」

 ごめん、と椎が繰り返すと優香は溜め息をついて、呟いた。

「椎くんって、たまに無防備すぎて本当に怖いんだよね……」


◇◆◇


 放課後。

 約束通り椎は弥生と優香と一緒に図書室へ向かった。

 傑も誘ったが、今日は基礎練をやる、と断られてしまった。

「人、いないね」

 図書室に入って開口一番に優香がポツリと呟いた。

 色褪せた本棚が並び、室内には図書室独特の匂いが充満している。

 並んだ長机には誰もいない。

 つかつかと弥生が机に向かう。

 椎と優香もそれに続いた。

「何からやる?」

 机に鞄を置き、中を漁りながら弥生が言う。

「ボクは数学からがいいな」

「私も」

 優香が賛同の声をあげる。

 弥生は黙々と数学の教科書とノートを取り出し、机の上に広げた。

 椎は弥生の正面に座ると、同じように鞄から教科書とノートを取り出した。

 その間に、優香が隣の席に腰を下ろし、身を寄せてくる。

「まず、どこが苦手なのか見る為に基本問題一通りやって」

 弥生がそう言って、問題文が書かれたページを示す。

 椎は頷いて、黙々と問題を解き始めた。

「ねえ、椎くん」

 隣でペンを走らせながら、優香が口を開いた。

「ん?」

「次の土曜日、デートしよっか。付き合ってからもう一ヶ月経つんだよね」

 椎は思わずペンを止めて、顔をあげた。

 向かいの弥生は、表情のない顔で教科書を見つめたまま動かない。

「……もう一ヶ月経つんだね」

 当たり障りのない言葉を返して、再び問題の続きを解く。

 集中できない。

「うん。あのね、土曜、私の家、誰もいないから」

 シャーペンの芯が折れた。

 思わず、手が止まってしまう。

「そう、なんだ」

 カチカチ、と芯を出す音が静かな図書室に妙に大きく響いた。

「あ、そうだ。神無月さんに言い忘れてたことがあったんだ」

 優香が明るい声をあげる。

「私ね、テニス部のマネージャーになろうと思うんだ」

 時間が止まった気がした。

「椎くんの彼女としてね、部活でも椎くんを支えたいなって思って」

 優香の楽しそうな声が、静かな図書室で妙に浮いていた。

 思わず向かいの弥生の顔を盗み見る。

 そして、椎は動きを止めた。

 神無月弥生は、嗤っていた。

 唇を歪め、楽しそうに嗤っていた。

「……何がそんなにおかしいの?」

 優香の声のトーンが低くなる。

 弥生は、別に、と短く言って、それから吹きだした。

「そうやって頭の中の予定で浮ついてるから、私の勝ちで終わるんだ」

「勝つ?」

 優香が怪訝な顔で聞き返す。

 弥生は笑い声を抑えるように手を口に当てて、肩を震わせていた。

 そんな笑い方をする弥生を見るのは、初めてだった。

「もちろん、テストのこと」

 弥生は最後にそう言って、それからいつも通りの無表情に戻った。

 隣の優香は不快そうに顔をしかめていたが、何も言わなかった。

 後には嫌な沈黙が残り、椎は無言で問題を解き続けた。

 ノートがもう残り少ないことに気づいて、帰りに新しいノート買わなくちゃ、とぼんやりと思った。

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