第09話 大嫌い!大好き!ありがとう

地方検察庁に母親の面会へやってきたちさと。うっすら透かしの入ったような板が部屋を間仕切る部屋。板には丸く、そしていくつもの穴が開けられたマイクのような穴があり、そこからしか声が通らないようになっている。


待つ間の時が、とても長く感じる。実の母親がこれから来ると言うのに、ちさとは緊張していた。


(私の話す内容は決まっている。けど、上手く伝わるのだろうか)


ちさとは、そんな事を考えていた。事前に司と相談したかったのだが、文字を読む事にも不安があったちさとは、ぶっつけ本番で挑む覚悟でいた。


しばらくすると、奥の扉が開く。みすぼらしい服を身につけ、少しやつれてはいたが、しっかりと母親と分かる女性が入って来る。


「何しに来たの?まさか、私を釈放するため?いいえ、あなたにそんなお金は無いものね」


冒頭から母親は、そんな事を小声で言う。


「お母さん…」

「今更お母さんだ?あなた、自分が悲劇のヒロインだとでも言いたいの?」

「そんな事…」

「そんな事って何だ!あんたも私と同じさ!都合の良い男捕まえて、私を助けてーなんて言ったんでしょ!」

「違います!」


つい勢いで立ち上がる母親。慌てて職員がなだめる。


「違います。パパは…いえ、本当のパパはもう居ないけど、司さんが私のパパになってくれたのは、とても優しいからです。」

「優しいからって理由で?はははは。男なんて結局、女の裸にしか興味無いのよ」

「司さんは、そんな人じゃありません!」

「違わないさ。あんたはアイツと結婚でもする気かい?そうしたら結局、子供作るって事になるんだろう?。XXXスもせずに子供なんかできるかい?」

「セ…。」


ちさとは、変わり果て娘にすら暴言を吐き出す母親に、今までの母親が全くの別人に見えてしまう。


「キララ。少し太ったか?胸も膨らんだように見えるねー。幸せ太りかい?」

「…分かりません、けど、幸せです!」

「子供のクセに。生意気に育ったものだよ。」

「私はあなたの娘です。間違いありません。それに、司さんと結婚したい。それは…私の本当の気持ちです!」

「先に旦那になる人が死ぬことになるんだよ。あなたにそれが耐えられますか?」


ちさとは何かをグッと堪えるように、机に乗せた両手を握りしめる。


「だからこそです!!私のコクセキを返してもらいます!」

「っつ…。私が何故『出生届』を出さなかったかも知らずに、よく言えたもんだね!」


面会の立会人が、興奮する二人を静止する。そして、しばらく室内に静寂が訪れる。


「はぁ…あんたの本当の父親はね…。最低・最悪な男だったよ…。」


ちさとの母親がそう切り出した。


「不倫…だった。ああ、そう言っても分からないか…。ようは…あんたの父親には、他に結婚している人がいたんだよ…。」

「…フリン…。」

「私は…。子供が出来るまでに気付かなかった…。ホント…馬鹿よね。そしてアイツは子供が出来るや…『堕ろせ』と…。」

「お母さん…」


時折ため息をつきながら、母親は続ける。


「だから、お金を請求した…。そしたら、持ってくるや私を殺そうとしたんだよ…。抵抗して…。気付いたら私がアイツを殺していた…。この話は全部…警察に話した。遺体の場所も話たけど、そこには既に建物が建っていて、掘り出すのは難しいと思う。」

「私が…司さんを連れて来たから…?」

「そうさ。アンタがを連れてこなければ…計画は完璧だった。夜逃げして、引越しを繰り返し、一人で出産して・・・。ホントはアンタも殺してしまえばよかったんだけど…悲劇のヒロインを演じるために利用させてもらったのさ…」


「…さいってい…。」

「何とでも言いな。」

「けど…ありがとうございます。」

「はぁ?『ありがとう』だ?」

「はい。お母さんが14年間…私を育ててくれたから…。苦しかったけど…辛かったけど…、私は司さんに出会う事ができました」


ちさとの母親は、それを聞くとすぐ席を立ち、入って来たドアへ体を向ける。


「お母さん!!」

「行きなさい!そしてもう、ここにも…刑務所にも…来るんじゃないよ…。」


ちさとは、母親の肩が少し、震えている事に気付く。


(お母さん…泣いてる…?)


ちさとの母親は泣いていた。殺人を犯してから今まで、どんな男が相手でも、見せた事が無い涙を、娘に見られるわけにはいかなかった。



「お母さん…。私は…は大嫌いです。でも、一緒にご飯を食べてくれた…、一緒に歌ってくれた…、あの時のお母さんは…大好きです。一生会えなくなると思う。子供が出来ても…見せてあげられないと思う。だから、もう一度だけ言わせてください。」


「今まで育ててくれて…ありがとうございます!」


ちさとは深々とお辞儀する。母親はそんな娘の姿を見ないまま、面会室を出て行く。扉が完全に閉まるまで、ちさとは礼をし続けた。それは、目から零れる涙を、母親に見せたくなかったのです。

完全に閉まる直前、母親が叫ぶ。


「アンタは幸せになりな!!元気で…いき…」


声の途中で扉が閉まる。その瞬間ちさとは前を向き、仕切り板に両手を押し当て、空室となった部屋を見続けた。


―――地方検察庁の外。


司はキャンピングカーの室内で、何も手を付けられていなかった。


(ちさにとって…辛い別れになるだろうな…。殺人罪はどんなにスムーズに進んでも、数年は裁判が続くだろうし…結果は長期間の懲役か死刑か…。少なく見積もっても、10年20年は確実に過ぎる事だろう。)


「はぁ…アイツに何て声を掛けたら良いんだろう…」


長いようで短かった。急にドアが開き、ちさとが戻って来た。


「ただいま。」


ちさとは司の想像よりも、あっさりとしていた。


「どうだった?母親の様子は…。」

「んー。まだ、本当のお母さんじゃないような、そんな感じがしたかな。」

「そう、なのか?あーまぁ、薬の影響とかあるかもだが、そろそろ抜けてきていると思うのだが。」


ちさとは、司の言葉に首を傾げる。


「そうじゃないの。なんて言って良いのか。怖い?ん~ん。上手く言えないけど、あんなお母さん初めて…。」


司はじっくりとちさとを見ていると、少しだけ目が赤い事に気づく。


(そうか。そう言うことか。)


「俺の事も、何か言っていたか?」


司はそれとなく話題に触れないよう、ちさとに話しかける。


「パパの事。あ、本当のパパの方。どんな人だったのかを、聞いたの。」

「殺されたって事だったな。」

「うん。司さんとは全然違う人だったみたい。フリン?してたんだって、ねぇフリンって何?お母さんも簡単には話してくれたけど…。」


司はそう言われて、少し考える。


(不倫…か。まぁ殺されるくらいな男なら、それくらいは有り得なくないか)

「不倫ってのは、ざっくり言えば、結婚してる女性が他の男、もしくは男性が他の女に手を出す…まぁ大体はエッチな事してるわけだがな。」

「そっか…。」

(お母さんの言ってた事は本当だったんだ)


二人の間に変な空気が流れる。


「ねぇ…パパ…?」

「ん?どうした?ちさ」

「私と…エッチ…したい?」

「ゲホッゲホッ!き…急に何を言い出すんだい。」

「お母さんがね…『男は女の裸にしか興味が無い』って…パパも…そうだった…よね。」

「あれは…まぁあれで…。間違っちゃいないが…。物事には順番ってのがあるんだ。優希にもよく言われたよ」

「順番?」


司は急につっこまれるちさとの爆弾(発言)に、飲んでいたコーヒーでむせながらも、しっかりと答えようと必死で考える。


「そうだ。子供が出来たから結婚する。いわゆる『デキ婚』ってのは、順番をだ。その結果…8割…ざっくり言えば…ほとんどのカップルが5年以内に離婚するとも言われている。それはの違いだ。」

「覚悟?」

「そうそう。覚悟だ。…ってちょっと長くなるがいいか?既に長くなってるが…」


司はヲタク気質から、どうしても説明が長くなりがちだった。しかし、一度聞き始めて興味のあったちさとは、首を縦に振る。


「男の覚悟とは、すなわち『人生の覚悟』だ。子供と言う新世代の命を、独り立ちさせるまでの間、立派に育て上げる義務を背負う事だ。女性は出産と言う『痛み』を通じて、その覚悟を無意識に自覚する。だが、男にはそれが無い。だから、結婚の順番とは即ち、男が覚悟を自覚する順番だ。それが上手くいかないと、結婚は長続きしない。と…俺は思っている。」


「うんうん。そーなんだー。パパは二人も面倒見たんだよね」


(あれ?なんか普通に聞いちゃってるけど…まぁ仕方ないか…)


「ってどうしてその話になったんだっけ?」

「…だから…その…あれ?どうしてかな…。」


(あれ?)


突然、何か正気にちさとの変わりように、司は何が何だか分からなくなってしまった。


「わ…私…。ちょっと…ごめんなさい。」


ちさとはそう言うと、トイレへ入って行った。


(わーーーバカバカバカバカ。私、どうしちゃったんだろ。パパの前であんな事言うなんて…)


便器に座りながら、ちさとは自問自答する。


「優希さん…ゆきさん…?いるんでしょう?」


小声でそう言って、ちさとは優希に助け船を出す。


【あらあら~どうしちゃったのかな~?】

「その…私…変なんです。パパに…変な事…言っちゃって…」

【何もおかしなことは無いわよ。それくらい、みーちゃんの事が好きって事じゃない。】

「でも…でも、なんか…落ち着かないの…ソワソワしちゃって…」


優希に言われて、ちさとの顔は最高潮に赤く染まる。しかし、ちさとが視線を下に向けた瞬間、それは起こった。


「きゃーーーーーーーっ!!」


いきなりトイレ内から、ちさとの悲鳴が聞こえる。


「な”っ!ど…どうした!?ちさ。」


司は慌ててトイレに向かう。そしてノックをしつつちさとを呼ぶ。


「ちさ?大丈夫か?」

「だ…大丈夫…じゃない…かも」

「一体何があったんだ?」

「パパ…血が出てる…いっぱい…」

「血!?どこかぶつけたのか!?」


さすがに女の子が入っているトイレ。鍵が掛かっている様子は無かったが、司はすぐに入らず、外から状況を確認しようと試みた。


「落ちつけ、ちさ。どこから血が出てるんだ?」

「わかんない…手にいっぱい…血が付いちゃってる…」


(ん?手…?)


「えっと…パパは入っちゃダメかい?」

「…は…恥ずかしい…。」


(ですよねぇ…)


年頃の女の子は、見せようとしたり見せたがらなかったり、そんな複雑な事情を考えつつ、司は頭に浮かんだ事を質問してみた。


「なぁ…ちさ…。痛みはあるかい?」

「お腹と…あとちょっと頭も痛い…」

「ん~…月に1回くらい…そう言うの…無い?」

「…無いよぉ…それ…怖いじゃない。」


(ああ…そう言う事か…)

「ちさ…服とか下着とかに、血が付いちゃったりしてないかい?」

「ん~大丈夫…あぁぁぁぁ!!パンツにもついてる~~」


それを聞いた司は、を持った。


「それ……だな…きっと」

「しょ…ちょう?」

「まぁ…いわゆる、女の子が『大人への一歩』を踏み出した証拠?生理ってやつだ。頭が痛いのも…多分その影響だろう。」

「どうしたら…いいの?」


女性で早い人は小学高学年から、遅くとも高校生頃までには初潮を迎えるそうだ。個人格差は、体格や日常生活で左右される事も多く、ちさとは度重なる暴力環境でのストレスと、劣悪な食生活の影響で、初潮が遅れ気味だったようだ。

から開放され、体が元のホルモンバランスになった事で、急成長し始めているようだった。


「今、替えの下着と…ナプキンを持ってくるよ。」


司は、車内の物置からナプキンを、引き出しからは、ちさとの白い下着を持ってトイレ前に戻る。


「持ってきたぞ。ドアは開いてるか?」

「う…うん…」

「隙間から入れるぞ。」


司はトイレのドアを少し開けると、ちさとへ持ってきた物を手渡した。


「パパって何でも持ってるんだね」

「か…勘違いするな。それは嫁(優希)が使ってたものだ。長期のキャンプ生活だと、いざ生理になった時に大変だからな。」


ちさとは手渡しされたナプキンの使い方が分かっていなかった。


(これ…どう使うんだろう…?)

【あら、懐かしい物ね。まだ持ってたのね…ふふふ。】


悩んでいるちさとに、懐かしがる優希、すると司は冷静に、使い方を説明し始めた。ちさとは指示に従って、下着にナプキンを取り付け、更に周囲に付着してしまった血をふき取る。


(なんか…不思議な気分。女の子ってみんな、こんな経験を1か月に1回するんだ…)

「ん?パパ、なんでこんな事知ってるの?」

「そりゃまぁ、俺、小説家…目指しているからな。ってか、おおよその見当もついていたけどね」


司は、誰も見ていないとはいえ、少し照れながら言う。


「まぁ、これが来たって事は、ちさも子供が出来る可能性が出てきたって意味でもあるから、まぁ…気を付けよう…ぜ(何を!?)」

「う、うん…。」

(子供が出来る…可能性…)


ちさとは、自分のお腹をさすりながら、変な想像ばかり考えてしまい、顔を赤らめるのでした。


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