16、黒い毛並みで、すらりと細い

 暗い空と、いくつも吊るされた提灯と、ややオレンジがかった白いライト。右に左にとずらりと並ぶ屋台には「たこやき」だったり「ベビーカステラ」だったり、いかにもな定番メニューの名前。それ以外にも射的や金魚すくいなんて書かれた屋台もちらほらと見える。

 見当たらなくなった白い人影を探すように左右を見渡すと目に飛び込んできた光景は、要するに。


「……お祭り?」


 少なくともイツキには、それ以外にどう形容すればいいのかわからない光景ではあった。疑問形になって、小さく首を傾げる仕草がついたのは、その光景に対してあと一つ決定的に足りていない物があったからだ。

 食べ物の屋台の所に視線を向けても、そこには人の気配がない。屋台の内側にも、外側にも。射的や金魚すくいの場所でもその光景は変わらなかった。いや、そもそもからして沢山の屋台が並んでライトに照らされた道に立っているのはイツキだけで、他に視界で動くものは一つも存在していなかったのである。

 そのくせ祭囃子が遠くから聞こえていたり、いないはずの人々のざわめきや気配が周囲に散らばっているのは、もう多分理詰めで考えようとするイツキの方が間違っているのだろうか。どうせ夢だしと全てを投げてしまった方がずっと早いのかもしれないが、何とも居心地が悪いというか、あまり落ち着かない状況にイツキは軽く髪を掻きむしってから深いため息を一つだけ吐いた。


 自分が倒れ込んで意識を手放すまでの事は例によってよく覚えている。あの声が聞こえた事もそうだし、その直前の事もそうだし、オルゴールを聞いたわけではないのに、という点を除けばもういい加減慣れてきたいつもの夢だということに疑う余地はない。

 だとすれば考えるだけ無駄なのだ。イツキにできる事は、現実の方で目を覚ますまで待つか、もしくはいつものように宝探しをして自分の記憶を見つけるか。今回は目を開ける前に聞こえた曰く宝探しではなく「かくれんぼ」ということらしいが、手段が違うだけで大まかな所は何も変わるまい。


「とはいえ、かくれんぼって言われてもなぁ」


 ――私が隠れて、イツキが来るのを待ってるからね。


 はっきりしない視界の中で、確かに声はそう言っていた。それ自体はいいだろう。普段の宝探しと、探すものが違うだけでやる事自体はそう大差がないはずだ。

 問題があるとしたら、探す相手がどういうものかをイツキが知る手段を持っていないことだ。

 いつもと比べて圧倒的に情報が足りない。最初の宝探しの時もそうだったが、必ず声は探すべき宝があるはずのエリア指定など「宝探しのルール」について簡単な説明をしてくれていた。大体の場合指定される場所はそれなりに狭い範囲内だったし常に横で助言――と言っても半分以上はただの雑談だったりもしたが――をしてくれていたのだ。

 それがない。目の前に広がる祭りの光景はまだイツキにとっては思い出せておらず、かくれんぼと言われても隠れられそうな場所がどの辺りにあってこの場所はどれくらい広いのかも皆目見当がつかない。その事に少しだけ気が重いイツキであった。


 いつまでも途方に暮れているわけにもいかず、とりあえずは探さねば何も始まらないと言い聞かせながら周辺を探してみる。屋台の後ろや物陰などを見かけるたび覗き込んではみるが、そんな場所にはやはり隠れていないらしい。

 さてどうやって探したものかと首を傾げて、ふと思い出した言葉があった。


 オルゴールを聞くのが鍵になっているとはいえこれはイツキの見る夢だ、と言われた。

 それが一体どうしたと尋ねると、イツキ自身が覚えていない事だってここにはあると返ってきた。


「ここもそうだとしたら、やっぱりもあるのかな」


 答える相手がいないと知りながらも何気なく呟き、探すのは小さな少年の背中だ。最初の公園から今まで、イツキが宝探しを始めると必ずどこかにその姿があって、近寄るとその背中越しに自分の記憶に残っていない自分の言動を見ることができた。そのタイミングでは姿を見る事の出来ない「誰か」と幼い自分のやり取りは、そのまま宝探しのヒントになっていた。

 イツキくらいの身長なら横に寝そべることも可能なくらいの幅がある道と、その左右に並ぶいくつもの屋台が続く先に目を凝らしてみて――やっぱりそれはあった。

 今の己の腰くらいまでしかない背丈と、坊主頭からちょっと伸び始めたくらいの短い髪。小さな子供の頃はその髪型が恥ずかしくて嫌だったが、ある程度髪が伸びると半ば強制的にそのくらいの長さまで切られたのは今でも嫌な思い出の一つだ。着ている服は薄れかけた記憶にもまだ残っている。大体小学校の低学年くらいの頃の自分が一番気に入っていた組み合わせだ。気に入っていた理由の方はごく最近思い出したばかりだ。その服格好いいねと褒められた、ただそれだけの単純な理由だった。


 振り返る気配を微塵も感じさせないその背中に、ゆっくりと近づく。

 来るだろう、と待ち構えていたものは、すぐに聞こえてきた。


「うん。今日は、父ちゃんからお小遣い多めに貰ったからさ。期待してくれていいよ」


 聞こえてきた幼い声はどこか自慢げだ。お前が自慢することでもないだろうと、距離を詰めながら少しイツキは苦笑する。


「それでさ、まずは何が食べたい? 俺が奢っちゃうよ」


 だから、それはお前が堂々と言うものでもないだろうに。内心で小さく突っ込みを入れた丁度そのタイミングで、ロウソクの火を吹き消すような呆気なさで子供の後ろ姿がかき消えた。聞こえていた声もそれっきり聞こえなくなってしまい、後には姿の見えない人ごみのざわめきと遠くの祭囃子だけが耳に残る。思っていたよりもずっと短いヒントだった。

 もう二言か三言くらいはあるものだと思っていたイツキが肩透かしを食らった気分で何度かまばたきを繰り返す。いつもならもう少し、宝探しに関するやり取りが聞けたりするはずなのだが。


 ――ちりん。


 拍子抜けしたイツキが憮然とした表情で立ち尽くしていると、微かな鈴の音が耳に届いた。

 いるはずなのに見えない人々のざわめきとは明らかに違う。その音だけが明らかに浮いて聞こえた。聞こえた位置は、イツキのすぐ後ろのようだ。何かを思うよりも前に、殆ど反射的な動きで振り返って音がした方を見る。


 猫がいた。黒い毛並みで、すらりと細いシルエットの猫が、黄色い瞳をイツキに真っすぐ向けていたのだ。

 首元に巻かれた皮のベルトについた鈴が、小さくちりん、と鳴る。ついさっき背後から耳に届いたのとまったく同じ音だった。


「黒猫? 今までに出てきたこと、無かったよな……?」


 明るいグレーの敷石が並び、上からいくつもの灯りに照らされた足元を猫の形に切り取ったように黒い毛並みをした猫は、イツキの言葉になんの反応も返すことなくただじっと見据えてくる。

 全身余すところなく黒いのかと思っていたが、よくよく見てみると少し違うらしい。前足だけ、両方とも先端の毛だけが白い。純白の手袋でも嵌めているような、少し特徴的な毛並みをしていた。


 イツキの視線に反応したのだろうか。二度目以降は鈴すら鳴らないほど微動だにしていなかった黒猫が不意に踵を返す。イツキに尻尾の方を向けて、ゆったりとした足取りで歩き始めた。ちりん、ちりんとリズミカルに澄んだ鈴の音色が何度か響いて、再びそれが止まる。猫が足を止めたからだ。

 こちらに尻尾を向けたまま少し固まって、それから猫の首がゆっくりとイツキの方を振り向く。黄色い双眸がもう一度イツキを真っすぐ見据えたまま細められて、にゃあ、と一鳴きしてからもう一度猫が正面を向いて歩き始めた。

 さっさとついて来い、と言わんばかりの態度だ。


 そう感じてイツキが猫の方に一歩踏み出す。ちらりとこちらをもう一度振り返った猫はイツキがついてくるのを確認したのだろう。先ほどまでよりは少しだけ早い歩調で道を進んでいった。

 走っているというわけでもない速度だが、かといって追うのを躊躇っているとあっという間に見失ってしまいそうで、イツキは小走りでそのあとを追うのだった。

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