4-3

 楠木から連絡があったのは更にその一日後だった。

 朝から天気は崩れ、午後になってとうとう雨が振り出していた。

 雨はどうにも好きじゃない。傘を差さなければならないからだ。片手が塞がるし、傘を持つのが面倒だ。

 もう21世紀だというのに傘に代わる発明がないというのは何とかならないかと、昔真剣に考えたことがある。傘に代わる便利グッズが閃けば特許で一生食っていける、そう思っていたが、そんな天啓はまったくもって降りてこなかった。伊達に何世紀も幅を利かせてはいなかった。傘先輩、マジパねぇっす。

 ちなみに俺が使う傘はよく色々なところに忘れるので、コンビニでお馴染みのビニール傘だった。たまにそのコンビニで取り違えることもあるが、だいたい似通っている傘なので、そのまま使っても気が楽だという利点もある。ご丁寧にマジックで名前が書いてあったときは、慌てて戻しに帰ったが。

 量産型の傘にさえ、こだわりがある人間もいるようだ。

 ちなみに、楠木の傘は紳士御用達といった感じの紺色の高級傘だった。ワンタッチではなく、丁寧に自分で開くタイプのものだった。なんとなく、腹立たしい気持ちになって自然に舌打ちしていたのは内緒だ。

 まぁ、そんなことは些事なので捨ておこう。

 とにかく、楠木の得た情報を高坂夫妻に報告する際、俺も一緒にどうかという誘いだった。どうせ説明するなら一緒にということだろう。夫妻にはもう一度尋ねたいこともあったのでまったく問題はなかった。いつでも自由に動ける無職というのは、こういうとき便利でいい。外部要因による強制スケジュールがないことの解放感の素晴らしさよ。まぁ、懐のスカスカ具合の解放感もオマケについてくるが、深く考えてはいけない。

 そういうわけで、今日の訪問は楠木と俺だけとなり、先日のようにまた社務所奥の自宅へと通された。こないだのやるきのないJDらしきバイトではなく、近所のおばさんといった主婦だった。もちろん、巫女姿じゃない。見たくもない。ちょっとした手伝いといった感じだったが、確かなことは分からない。

 和室へ入ると、前回と違って時間的余裕があるためか、高坂夫妻はどことなくゆったりとして落ち着いて見えた。本来の彼らの性分なのかもしれない。流石に、事情が事情だけにやや緊張した面持ちではあったが。

 「早速ですが、本題に入らせてもらいたいのですが、最初に少しだけ注意事項です。これから話すことは分かっておられると思いますが、内容が内容だけに一切他言無用でお願いします。そして、おおよそ察せられるとは思いますが、決して気持ちのいい話ではありません。特に御婦人には少し刺激が強いものとなりますが、よろしいでしょうか?」

 殺人事件についての報告だ。聞いて楽しいものではない。まして、娘に関係する話だ、厳しいもの以外の何物でもないだろう。

 問われた静香は、覚悟を決めた表情でしっかりと頷いた。以前見た、虚ろな顔はもうしていなかった。どんなことであれ、澪に関する何かが得られることで生気が戻ったかのようだった。

 「では、まず分かったことからお話します。今回、澪さんが殺害された事件そのものが非公開になっている理由ですが、事の発端がとある大物政治家の長男が被害者だったことに起因しているようです。それというのも、その政治家が推し進めようとしている、ある法案があって、その恩恵を受けられる企業と逆に利益を損なう企業があるからです。その両極の企業には、それぞれ政党がそれなりの密着度で結びついているわけでして、今回の長男が行方不明――ええと、説明し忘れましたが、彼もまた切断された一部しか見つかっていなかったので当初はそういうことになっていましたが、実際の捜査部の見立てではもう殺害されたものとして扱われています。まぁ、とにかく、彼が行方不明となったことで、その法案の反対派である政党の仕業かもしれないと、そう判断されたわけです。要するに、政争の一環としての事件だと考えられていたわけですね」

 「なるほど、最初は政治絡みだったわけか。けど、切断された一部?それだけで個人が特定できたのか?」

 「はい。特注で作られた腕時計をした片腕が残されていて、本人だと判明したそうです」

 「けど、それは別人の腕に巻いておけば……ああ、腕ってことは指紋も取ったのか」

 推理小説によくあるトリックを思いついて口を挟んだものの、日本の警察も馬鹿じゃない。裏付けはしっかりと他でも取っているはずだと思い当たった。

 「はい。どうも、一度大麻所持で捕まったことがあるらしく、指紋の照合が可能だったようです。ともあれ、始まりはそういった事情から脅迫目的の誘拐の可能性が考えられたので、捜査はまずその線を洗っていたようです」

 脅迫というか、腕を切断してたらその時点でもう相当な危険領域に入っていると思われる。逆に、それだけ本気だと言う意思表示ならアリか。無視できない警告という点では効果的ではある。政治関係で本当にそこまで強引な手が取られるのかは知らないが、警察がそう推測するなら、過去に事例があるのだろう。思っているより、日本の政治における裏舞台の闇も深いのかもしれない。

 「けど、そうじゃなかったと……」

 俺は楠木が話しやすいように合いの手を入れる。あまり必要なさそうではあるが、一度口を挟んでリズムを崩してしまったように感じたので、せめてもの罪滅ぼしのつもりだ。

 「そうですね。何らかの脅迫や要求があるかもと身構えていたものの、何の連絡もないということで、どうやらこれは政治絡みの事件じゃないのかもしれない、関係者が皆そう思いだした矢先、次の事件が起こりました。今度は被害者の生首だけが現場に残されていたのです」

 「いよいよ、バラバラ殺人の犯行ってやつか。けど、それが連続殺人というか、同じ犯人の仕業だとなんで分かったんだ?」

 「はい。まさしくそれが連続殺人事件だと断定された理由です。よくよく調べると、署名があったんです」

 「署名、ですか?」

 それまで黙って聞いていた吾郎が、ピンと来ないという顔で首をひねった。

 「はい。シリアルキラー、いわゆる連続殺人犯と呼ばれる犯罪者にはいくつかの特徴があるのですが、その中の一つに自己主張のための殺人という動機がありまして、世間の注目を集めたいという欲求が歪んだ形で発露する場合があります。その際、自分が殺したという証明のために、犯人独自の署名、サインのようなものを現場に残したり、犠牲者に刻んだりすることがあるんです」

 「刻んだり……まさか遺体に何か……?」

 「はい。先に刺激が強いといったのはその点なんですが、このまま続けてもよろしいでしょうか?」

 楠木が再び念を押すが、静香夫人はやはり黙って頷いた。その顔はかなり青ざめているが、決心は揺らがないようだ。

 「この場合の犯人の署名とは、切断した身体の一部を現場に残し、そこにあるものを埋め込んでいることです。それがすなわち、この犯人が実行犯であることの証明となっているわけです。自分がやったんだぞ、という自己主張ですね」

 「……なんという……その、あるものとは?」

 「すみませんが、それについてはお教えできません。というより、知らない方がいいと思います。脅すつもりは毛頭ありませんが、犯人がまだ捕まっていない以上、必要以上に犯人について知ることはあまりお勧めしません。何がきっかけで、目を付けられるかも分かりませんので、ご了承ください」

 「そういうもの、なんですか……」

 吾郎は大人しく引き下がったが、俺としてはもっと突っ込んで聞きたかった。それほど顕著な署名とは何なのか、気になってしかたがない。けれど、さすがにここで食い下がるのは筋違いだ。後で確かめることにする。代わりに違う疑問をぶつける。

 「そんな署名があったとしても、その二件目ですぐに判明したのか?」

 「いえ。正確には三件目です。そこで同様のものが見つかり、一件目に遡って調べてみると、といったところです。そしてそれは、次の澪さん、さらに次の犠牲者にもやはりありました」

 「……現状、五人が犠牲者ってことか」

 「はい。それで、初めの話に戻りますが、この事件が非公開なのはその政治家絡みで、諸般の事情で殺人事件として扱われていなかったこと、その政治家側の申し入れであまり公にはしたくないという圧力があったこと――この点に関してはまぁ、警察官僚との太いパイプがあるのは推して知るべしでしょう。その後に連続殺人事件と断定されたとき、かなりの日数が経っていたこと、更に言えば、手がかりとなるものがほとんどなく、公表できることが多くないこと、などの理由があるようです」

 「手がかりがない?少なくとも五件も起こっているのに?」

 日本の警察は世界でもそれなりに優秀なはずだ。少なくとも統計上の犯罪検挙率、特に殺人事件に関しては分母が少ないせいがあっても、かなり高かったように思う。しかも、連続殺人事件であるなら特別捜査本部とか何とか、そういう専門チームで捜査しているはずだろう。叩けば埃が出るという表現は違うかもしれないが、調べれば何かしら出るのが普通だ。どんな人間でも、何も残さずに生きていけるはずはない。

 「それがどうにもこの一連の事件の奇妙な点なようで、話を聞いた限り、捜査陣もかなり困惑している雰囲気みたいです。というのも、犯行時刻が白昼堂々という時間帯の件もあるのに、犯人の目撃者はなく、被害者関係からもそれらしい不審人物がまったく浮かび上がってこないという現状のようです」

 「無差別殺人か……けど、犯行時間の特定ができているのか?」

 「はい。もちろんすべてではありませんが、とある商店街の監視カメラに、犠牲者が走って逃げている姿が映し出されていたそうです。ただ、その後の映像を見ても、それを追いかけている人物は見当たらなかった。けれど、実際その直後には殺されている、と」

 「商店街……人目がある場所で殺されたのか?いや、目撃者はいないんだよな?どういうことだ?」

 「その犠牲者の場合は、走って逃げているうちに路地裏に入り込み、そこで解体されたと考えられています。現場は確かに奥まった場所で、昼間と言えど人は寄り付かないような死角ではありました。しかし、いくら見つかりづらい場所といっても、わざわざそこで殺して作業する、というか時間をかけるリスクは、常識的に考えてありえません。普通の精神状態ではまずやらない、できないはずなんです」

 確かに、そんなリスクは普通取らない。人目につく可能性のある野外で人間解体するとかあり得ないな。

 「犯人は精神異常者だってことか」

 「しかし一方で、証拠を一切残さず、自分の署名だけは現場に残している理知的な面も見せている。警察は犯人像さえ、はっきりとは明確にできないという状況のようですね」

 「あの、なぜ、犯人は遺体をバラバラにしているのでしょうか……?」

 吾郎が理解できないといった顔で質問を投げかけてくる。

 「そうですね、一般的には主に4つの理由が考えられます。一つは怨恨、二つ目は必要に迫られての合理的な判断、三つ目は死体を隠す、あるいは被害者の発見を遅らせるための隠蔽、最後は趣味嗜好です。このうち、今回の件に当てはまりそうなのは二と四のいずれかです」

 最後の趣味嗜好だった場合、被害者の関係者にとっては最悪だ。殺されたばかりか、遺体まで弄ばれたことになる。

 「合理的な判断……?」 

 まだピンと来ないようで、吾郎は首をかしげている。一般常識の範疇で考える限りはその反応が正常なのだろう。けれど、猟奇殺人やその手の刑事モノの小説を読んでいると、犯人が死体を切断する経緯等が少なからずあるので、想像に難くない。

 「はい。例えば先の場合、昼間の凶行にも関わらず目撃者はいません。しかも死体さえそこには残っていない。正確には、一部しか残っていない、です。殺した後、死体を犯人が持ち去ったと考えるのが妥当ですが、当然、死体を担いで運ぶわけにはいきません。堂々と人前でも死体を運ぶ方法として、小さく分けてバッグ等に入れるやり方が考えられます。まさか、そんなところに死体が入っているなんて普通は思いませんから」

 「な、なんという……」

 「もちろん、それは一つの可能性であって実際どうだったかはまだ分かりません。ただ、犯人なりの何か意図があってそうしていることは確かです」

 唖然としている高坂夫妻を横目に、俺は違う疑問をぶつけてみる。

 「バッグ云々の話だと、犯人は徒歩で持ち去ったみたいな推論だが、何か根拠が?足が車なら、たとえ外で作業したところで、近くに停めた車に積めばいい話だよな?」

 「先ほどの商店街は、車が入れない昔ながらの狭い通りのようなものを想像してください。入口は二つありますが、両端というわけではなく、中央で合流して残りは一本道の行き詰まりの構造です。殺害現場は、その袋小路の死角でした。死体を持ち去るには、徒歩しか手段がないはずなんです」

 「なるほど、通り抜けできない道なのか……でも、監視カメラがあって怪しいヤツも映ってないってのは解せないな」

 「はい。だからこそ、捜査陣も手を焼いているのでしょう。それに、被害者が必死に走って逃げていたということは、何らかの危険を感じていたはずですが、それについて周囲に助けを求めている様子もなく、また同時刻にいた他の商店街の客の誰一人として、被害者に特に注意を払っている様子がないというのも奇妙です。後ろから誰か追いかけている人物でもいれば、誰かの記憶に残るでしょうし……」

 確かに、いくら他人に無関心な世の中とはいえど、昼間っから走って逃げているような人物とそれを追いかける誰かがいれば、何事かと思って視線を集めるだろう。逆に注意を払われなかったということは、単に誰かが走っているだけだと認識されていたわけか。

 「その一件だけでも奇妙だが、他の件も似たようなものなのか?」

 「そうですね、時間帯も、夜、夕方と一貫性はなく、目撃者もいません。男女比率も2:3と特にどちからに固執しているようにも取れず、年齢、職業、その他で共通点も今のところ見つかっていません。今のところ、無作為に選ばれたと考えるしかありません。ただ、犯人の署名は必ずあるので同一犯としか思えません」

 「本当に難航してるみたいだな……」

 その状態で事件を公表しても、手がかりはまったくなしで警察は無能扱いされそうだ。危険だからと警告を発しようにも、何に気を付ければいいのか分からない。時間帯も決まっていないなら、夜道は一人で歩かないように、とか当たり障りのない標語のような注意を促すのも、たいして意味はないように思える。

 だが、広く目撃者を募ることはできそうじゃないかと聞いてみると、周辺の聞き込みでまったく成果がなかったという異常な結果を鑑みて、見込みなしの判断が下されたという。何も手掛かりがないという話は、誇張ではないようだ。

 それらの妥当性はともかく、公表するメリットがないという点は納得できなくもなかった。

 「あの……その……遺体を持ち去って、犯人は一体何をするのでしょう?」

 恐る恐る尋ねたのは、静香だった。

 娘の澪の残りの遺体の行方が気になってしかたがないのだろう。けれど、その質問はある種の地雷だ。知らない方がいいことも世の中には腐るほどある。

 単に現場に死体を残したくない、持ち運べるようにしたい、という意図の犯行によるバラバラ殺人であれば、まだマシかもしれないが、今回の件はそうではなさそうだ。わざわざ一部をその場に残していることからも、犯人は快楽殺人の類である可能性が高い。合理的判断なだけの遺体解体ではないのなら、もちろん何か別の目的があって持ち去っていると考えられる。

 そんなもの、ろくな理由であるはずがない。

 楠木はどう答えるのだろうかと思っていると、

 「犯人の性格にもよりますので何とも言えませんが、一例を挙げますと、コレクター系の殺人犯なら遺体は犯人にとってトロフィーのようなものになり、剥製などにして部屋に飾ったり、臓器等を抜き取ったりして部位ごとに保管したりする者もいます。変質的な美的感覚の殺人犯なら、理想の身体を作るという目的で、複数の人体をつなぎ合わせて理想の人形を遺体で作るといった変態行為もあり得ます。また、カニバリズムに傾倒している犯人の場合、遺体を食する……」

 「おいおい、楠木!」

 ストレートに話し出す眼鏡探偵を俺は慌てて遮った。余りにも自然に、普通に語っていたが、内容は刺激的すぎだった。静香は一気に真っ青になって、よろめくように昏倒していたのだ。吾郎がとっさにその体を支えた。

 その様子を見て、楠木も「あっ」と自分の失態に気づいた。

 「すみません、少し実直に話過ぎたようです……一般の方の感覚を失念していました」

 まさしくそれに尽きる。そういう偏執的で奇態なことがあると知っていればサラリと流せもするが、まったく未知の領域であった場合、そんな変態行為を知ったらかなりのショックだろう。普通の人間が思いつく所業じゃない。

 静香が気を失ってしまったので、吾郎は介抱しにさがり、少し休憩を挟むこととなった。

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