3-7

 「さて、とりあえずこれらのポイントが今後の課題になると思います」

 ホワイトボードに書き出した要点を指さしながら、楠木がこちらを向いた。

 夕食をファミレスで食べてからの、いつもの事務所である。アンティーク調の部屋に似つかわしくない、教室でよく見かけた現代のアイテムは、花巻がどこからか引っ張り出してきたものだ。

 俺がいつも通されている応接室風の部屋ではなく、備品室なのか関係者専用のスタッフルームなのか、奥の扉につながった場所からの登場だった。そちらがどうなっているのか少し興味があるか、今はそれどころじゃなかった。

 ボードに板書されたポイントは三点あった。


 1.三つ子の最後の一人の名前と現在の情報(住所、所在地等)

 2.上記の三つ子と秋留氏との関係性

 3.三つ子の一人である弐姫氏の調査


 1については、既に花巻が絶賛取り掛かっている。美羽は几帳面に家計簿をつけているマメな性格だったので、件の病院での治療費を払った日付をしっかりと記録していた。その日の前後でMとだけ記された三つ子の一人も同じ病院にいた可能性が高いので、診察記録を見れば該当者にあたりがつくだろうとのことだ。名前が分かれば調べるのはお手の物だろう。公的機関の記録ともなれば、住所も記載されているだろうし、そこから先は難しくないはずだった。

 2に関しては、相変わらず俺の心当たりはまったくない。本人に確認するのが一番いいが、楠木が敢えて濁して書いている現在の情報、つまり生死の確認という点において、既に亡くなっている可能性も十分にあることから、最悪の場合は死ぬまでに何があったか調べることになる。その過程で俺と何らかのつながりがあったかもしれないということだ。

 もっとも、神社関係の人間となんて、今まで生きてきて知り合いになった覚えはまったくなかったが。

 3については、言い換えれば弐姫と名乗っている仮転生体の実態を調べることになる。三つ子の最後の一人が弐姫であれば話は単純だったのだが、葉上夫妻によれば弐姫は幼少時に死んでいるという。ならば、なぜ俺のもとへ現れた仮転生体は弐姫という名前だけ憶えていたのか。死後ずっとさまよっていたというのも、転生というシステム上ないように思えるし、何より弐姫はどう見ても高校生くらいの年齢だ。辻褄が合わなすぎる。さすがに死んでから成長するというのはないだろう。と、思うが、実はあるのだろうか。常識など通用しないので、そこも不明ではあるが、それを考えていくとキリがない。ある程度は常識を適用した前提で考えないと泥沼にハマりそうだった。

 ゆえに、実は生きていた可能性というものを考慮しての調査なのだろう。もっとも、夫妻は墓参りまでしているとのことなので、あまりその線もなさそうではある。死亡届などは偽装できなくもないらしいが、医師の死亡診断書も添付することから、楠木によれば子供の死についてそこまで手間をかけて死んだことにする理由は見当たらないとの談だ。

 つまりは、あくまで念のためということで、俺の知る弐姫に関しては謎が深まったとも言える。

 両親が見つかったのだから引き合わせれば記憶が戻るかもしれないと車内では思ったが、よくよく考えると弐姫は赤子の時に引き離されて以来、二人とは面識がないはずなので意味がないかもしれない。だからといって、隠しておくのも何か違う気もするが、どう影響を与えるのか不明なのが対応に困るところだった。

 もちろん、赤の他人である俺がその判断をするのも烏滸がましいというか、面会の有無を決める権利を持っているはずもないのは理解している。それでも、下手な手は打てないという気持ちが強くてどうしたものかとずっと悩んでいた。

 楠木は俺の判断に従うと丸投げ状態だが、そのことを責める気にはなれない。実際に弐姫とコミュニケーションをとっているのは俺だけなので仕方がない。俺にしかできない役割だ。

 「1、3に関してはある程度こちらで対処できますが、2についてはやはり秋留さんの記憶というか、過去がどうしても必要となります。最後の一人が分かれば接点が見えてくるかもしれませんが、容姿が似ていることを考えると、現状でまったく心当たりがないことから、あまり見込みはないようにも思えます」

 「だよな……」

 まったく同意するしかなかった。何度も既に考えたというか、思い出そうとしてきたことだ。急にそういえば、というような感覚で思い出すこともないだろう。

 「実は前提条件が違うってこともあるんじゃないかとも思ったんだが……」

 「と、いいますと?」

 「要は、俺と弐姫が知り合いだから、俺にしか弐姫が見えないってことだったが、それって実は確定事項じゃないよな?」

 「ふむ。つまり、別の何かが原因だと?」

 「とはいうものの、他の条件とか思いつきもしないわけだが」

 「そうですね……例のガイド役に尋ねるにしても、仮転生体に関してはあれから新たな何かを見つけたこともないので、別の切り口から、というわけにもいきませんし……」

 そういえば、最近はめっきりちょわを見ていない。こちらから呼び出していないのだから当然ではあるが、ガイドという肩書のわりにまったく案内されていないことに不満を覚える。

 「別の切り口……」

 楠木は何やら思案顔で独りごちていたが、頭を軽く振って何かを切り替えた表情で言った。

 「いえ、やはり、お二人には何らかの関係があったと考えるのが妥当な筋かと。もしかしたら、当事者が気づかないくらいささいなことだったのかもしれませんが、結果的に因果関係が結ばれていたというような、バタフライエフェクトの発端だったのかもしれません」

 「どっかの蝶の羽ばたきで、まったく別の場所にハリケーンが起きるってあれか?だとしたら、まったく俺には知る由もないような気がするぜ」

 「すみません。ちょっと極論というか、思いついたことを言っただけなので気にしないでください。ただ、方向性としてはありなのかもしれません。例えば、人ごみの中でぶつかったとか、どこかのレストランで同じ席に座ったとか、そういう類の偶発的な何かでその後の行動が変わったことに起因して……いえ、やはりこれ以上根拠のない憶測は意味がありませんね。補足証拠もない可能性を挙げていたらキリがありません」

 楠木の言いたいことは何となく理解できる。昔何かの映画で見たような話だ。ある男が座っていたレストランの席に、絵描きの女が案内され、落とし物のハンカチに気づく。そのハンカチには独特な刺繍があって、そのデザインにインスピレーションを得た女がそれをモチーフに名画を描けた、みたいな偶然が起こした奇跡だ。二人に面識はないし言葉も交わしていないが、そこには因果関係があったともいえる。

 俺と弐姫がそんな何かで結ばれているかは分からない。だが、そうだとしたらいくら考えても、無駄である可能性が出てくる。それは結果を見て後から気づく、もしくは結びつける類のものだ。現時点で俺に類推する余地もない。

 「とりあえず、そこはやっぱ最後の一人が分かってから、またって感じだな……問題は、弐姫がもう死んでるのにその名前を名乗っているってことか」

 分かりそうな所から埋めていく。俺に考えられるのはそのくらいしかなかった。

 「そうですね……そこは幾つかの可能性が考えられますが、どうにもオカルトの領分なので何とも言えないという結論になりかねません」

 「オカルトか……」

 俺の脳裏にこないだ知り合ったばかりの我孫子が浮かぶ。いよいよとなったら、そっち系の専門家も必要になるかもしれない。

 「それでも聞かせてくれないか。オカルトだの何だの言い出したら、そもそも俺の依頼自体がファンタジーだからな」 

 俺にしか見えない少女が死んでるかどうか確認したい、なんてことを言っている時点で常識外だ。今更、既存の枠で何かを語れるはずもない。

 「確かに。では、参考程度に留めてください。何の証拠もない暴論のようなものですから、単なる推測のブレインストーミング的なものだと聞き流すくらいの気持ちでお願いします」

 楠木は苦笑交じりに息を一つ吐き、右手の人差し指を一本立てた。

 「まず、一つ。弐姫さんが勘違いしている可能性。弐姫さんは三つ子の最後の一人だが、何らかの理由で自分を三つ子の別人だと思い込んでいる」

 いきなり複雑な推理だったが、有り得ないとも言えない。ブレストであれば否定的なツッコミはしないのがルールだ。俺が無言でうなずくと、楠木は先を続けた。

 「二つ目。弐姫さんが人格の一人である可能性。三つ子の最後の一人が、実は多重人格でその中の一人というわけですね」

 先ほどの説のバリエーションの一つのようだ。楠木は最初の頃にも、多重人格を疑っていた気がする。その手の話が好きなのだろうか。

 「三つ目。弐姫さんは実は生きているが瀕死か病に臥せっていて、霊魂だけが彷徨っている。病気のため、記憶の混濁があって名前しか思い出せない。この場合、三つ子の最後の一人は関係ないということになります」

 それは確かに三つ子に関係なく、弐姫という個人で完結する推測だった。弐姫が生きている可能性、弐姫本人に軽々しく示唆できない推論だった。本人であるなら一番無理がないが、客観的事実としては既に死んでいるという情報があって相容れない。仮転生体という状況も、生死の天秤で後者に傾いていることは間違いない。

 「四つ目。弐姫さんが嘘をついている可能性。本当は記憶も思い出していて、何らかの理由でそれを隠している」

 「んん?」

 それは思ってもいなかった指摘だった。思わず口を挟む。

 「俺が騙されていると?」

 「あくまで可能性の話なので他意はありません。秋留さんからの印象とお話を聞く限り、その線はないとは思いますが、一応何事も疑ってかかる職業なものですから。気を悪くさせてしまったのなら申し訳ありません」

 「いや……でも、それはないと思う。俺を騙しても何の得もないし、記憶が戻っている兆候もない」

 あるいは俺がそう信じたがっているだけなのだろうか。疑惑の種をまかれて、俺の判断はたやすく揺らぎそうになるが、弐姫のあの様子を見る限り記憶がないのは確かなはずだ。だが、一方で常に疑問も持っていた。

 死んでいるかどうかの確認をお願いされたが、弐姫はどこか上の空というか、他人事のような淡白さがある。いや、淡白というよりは能天気すぎるというべきか。常にへらへらと笑っている姿しか思い出せない。陽気な性格だからと言ってしまえばそれまでだが、真剣味が足りない印象は拭えない。不安の裏返しとも取れなくもないし、時折真面目な面持ちもなかったわけじゃない。

 それでも、やはりどこか違和感を感じているのは確かだ。それが何なのかは分からないが、もしかしたらそれこそが楠木の言う欺瞞なのだろうか。

 段々と自分の確信にも自信が持てなくなっていた。

 「すみません。思っていたより何か刺さってしまったようですね。本当に単なる思いつきに過ぎないですし、僕も本気でそう考えているわけではありません。何か意図があったとしても、潜伏期間が長すぎる気がしますし、メリットが見当たりませんから。とにかく、ここまでにしましょうか。結局、現時点では机上の推論でしかありません」

 俺の動揺が伝わったのか、楠木が気を利かせて話を切り上げた。

 「……悪い。ちょっとトイレ借りる」



 特に用を足したかったわけじゃなかったが、少し落ち着く必要があった。

 洗面所で手を洗うついでに、冷たい水で顔を冷やす。

 弐姫のことを考えてはたと気づいた。いや、無意識に避けていた問題に向き合ったと言うべきだろうか。

 俺はあいつについて何も知らない。

 本人の記憶がないのだから当然ではあるし、初めの頃は色々と質問したりして、記憶を引き出そうと頑張ったこともある。しかし、どんなに知ろうとしても何も出てこなかった。

 健忘症だとしても、名前を思い出している以上、もう少し何か他のことも思い出してしかるべきなんじゃないだろうか。記憶喪失の回復のメカニズムなど分からないが、一般的なその手の物語では徐々に何かしら思い出している。現に、弐姫も一般常識的なことは無意識に受け答えができていたりするし、かつて行っていた行動などに照らしたような返事があったようにも思う。

 自分の記憶に関してだけ、まったく何も思い出せないということがあるのか。

 俺の中で疑惑が膨らんでゆく。

 弐姫は実は何か思い出している?

 その可能性について、楠木に言われて初めて気づかされた。騙されているとは思えない。だが、希望的観測はあまり好きじゃなかった。

 弐姫の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 あの天真爛漫な笑顔が計算づくだったとしたら?何もかも最初から嘘で、何か目的があって俺に近づいてきたのだとしたら?

 疑心暗鬼の塊が急速に俺にぶつかってくる。

 俺にそんなことをして何のメリットがあるのか。俺に特別な力はない。自分が有象無象の一つに過ぎないことは一番よく分かっている。物語の主人公のような、英雄のような素質はゼロだ。平凡を絵に描いたような人間に、特別なことなど舞い降りない。

 現実を見据える。自らを特別視するような期待はしない。弐姫が見えるという一点だけで、俺には異常事態だ。それ以上の特殊な事情など俺にはありはしない。

 もう一度水で顔を乱暴に冷やして、頭を振る。

 くだらない被害妄想に陥っている気がした。

 ちょわのことを思い出す。転生というシステムがある。記憶喪失のフリなんてものを見逃すはずがない。非現実的な世界観ではあるが、それなりに機能しているはずだ。

 俺は弱気になっているだけだ。

 あるいは、何かから目を背けている。

 何から?

 自問自答しながら、答えは自ずと認識していた。

 俺は弐姫に両親のことや三つ子のことを伝えるべきかどうか迷っている。

 その決断を下すことから逃げている。

 結局、それだけのことなんだろう。

 言い訳をして論点をずらすな。覚悟を決めろ。俺にしかできないことだ。面倒でも、これは俺がやるしかない。

 いつのまにか、水の冷たさも忘れていた。

 やると決めたのなら、グダグダ言わずにやるべきことをやる。

 あれこれと考えても面倒が増えるだけだ。

 そして面倒なことは御免だ。特に自分でそれを作るなんてもっての外だった。

 より少ない面倒を取る。それでいい。それがいい。

 俺の心は決まっていた。

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