不死身の男


 「殿っ!」

 「殿!!」

 「殿ぅぉーーーーー!」


 小姓たちの悲痛な声が、川面かわもを行く舟に響く。

舟に横たわったその男は、かすかに目を開いた。


「戦況は……」


乾いた唇から、かすれた声が吐息のようにもれた。

あの力に満ち、従うことを当たり前とする王者に相応ふさわしい、いつも声と比べるすべもない。


「全ての隊、無事に撤退し申した!」

「敵も既に陣を払い、城へ戻る様子に御座る!」

小姓の声に、男は左様かとうなずくように目を一度閉じた。


血の引いた青白い顔は、もう生命を感じさせない。


岳父がくふである同盟の相手が、跡目あとめを継がせた嫡男に攻められ、その手合てあいに駆けつけたが、一歩遅く岳父は討死。

男は敵領にて陣を整えている処を、その嫡男の勢いに乗って取って返した兵に襲われた。


その上、背後を突いて、連枝(親戚)と言っても良い間柄の隣の領地の城主に、居城きょじょうを襲われた。

居城に兵が帰るためには、その城主の領地を通らねばならない。

男は自軍を無事に戻す為、自ら殿しんがりを勤めた。


最後に馬廻と足軽に川を渡らせると、男は舟に僅かばかりの小姓と乗り込み、鉄砲を撃ち放しながら、彼らを逃した。


「藤八郎に我が甲冑を着けさせ、あやつめの城下に火を点けさせよ。そして、舟はこのまま城へ入れよ。あの城を落とすまでは我が死は伏せ、跡目は……」

「殿!さような気弱な事を申されますな!」

「人はいつか死すものぞ。早いか、遅いかの違いじゃ。」


男は頬をわずかに緩めてみせた。


船橋ふなはしに舟がごとりと音を立てて着くと、手を少し浮かせ指を微かに振った。

「藤八、参れ。」

「はっ!」


涙をこらえ小姓たちは膝をつき、主人の最後の命を受けた。


急ぎ、手当のために脱がせていた主君の甲冑に被り、面頬めんほうを着け、主人の影武者となった小姓の一人を先頭に、船橋で待っていた何も知らぬ近習きんじゅたちと合流し、自軍の旗を押し立て、背後をついた卑怯なる隣の領地の城の城下を焼くために東へ向かった。


「参ったか。」


暫く目を閉じていた男が、また目を開いた。


元服してより常に側に侍り続け、今や小姓頭を務める男が濡れた目で覗き込んでいる。


「はっ!」


「では帰城する。最早片道だけの道行みちゆきじゃ、ゆるゆると参ろうぞ。」


ゴトリ

馬廻の男が船頭を務める舟が岸を離れ、また川を下り始めた。


舟に横たわる男は、空を流れる雲を見つめたまま、好きであった幸若こうわかを唄う。


川に声が低く流れる。


男達は、静かに涙を流しながらじっとその声を聞いていた。


止血しきれなかった男の血が、ヒタヒタと舟の床を濡らしていく。

それは男の命が尽きていく砂時計のようだった。


「我が命、五十年の半分にも満たなかったの。」

掠れた自嘲の声がし、そのまま沈黙が続いた。


ただ川の流れる音と、男たちのむせび泣く声が水面に流れて行った。



 ごとり、ごとり


舟は夢の亡骸なきがらを乗せて、その城の内を流れる川へ入って行った。


城に入る前に人目につかないよう、冷たくなっていく男の体を、戦さ場で勇姿を飾っていた家紋旗で包んだ。


 城内の船着場に舟が着くと、門番から知らせが入ったのだろう、留守居の男と後詰の連枝の男が家臣たちを伴って出迎えた。


「お迎え、大儀に御座る!」


小姓頭の声が威厳に満ちて響いた。


背筋を伸ばしてストッと舟から、城の地に降り立った。


主人を失った、空しいばかりの空間に。



先代が亡くなり、主君が跡目を継いで二年、この国はまだ治っていない。主君の跡目は決まっておらず、混乱は深まるばかりであろう。


周囲からの侵略も強まり、野心のある家臣のみならず、連枝たちからも他の有力な大名家に転ずる者が出るのは、この時代、自明の理。


殿に引き立てられた小姓、近習の多くは国衆くにしゅうの次男以下の根無し草。後ろ盾は何も無い。最早、全て霧散か。



座った目で小姓頭の男は、出迎えた二人を見た。異様な小姓たちの空気に、出迎えた男達は思わず目を見合わせた。


その時……


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