第6話 魔都 小籠包の思い出

初めて上海に行ったのは、遠い昔遠い昔、街が万博直前で賑わっていた頃だ。

 竹橋を鉄パイプ肩に渡る労働者たちを見て、何だか日本の大道芸が馬鹿馬鹿しく思えた。

街は開発途中で何処もかしこも、埃に道溢れ、労働者の吸ったタバコの吸い殻が建築中のビルから落ちてくるのを、何度か見た。危険で環境は災厄なのだろうけど、一種おおらかな社会であったし、難しいこの抜きに上海の小籠包は絶品であった。

 小籠包屋は三階建てで、一回は赤いフールが下がっていて、手売りしていた、ちょうど浅草仲見世の"雷お越し"屋とか、横浜中華街の甘栗売りの様なさまで、人が雑多に集まっていた。

二階にいけば、丸テーブルのあるレストラン形式で、なんというか少し金のある共産党の、コミュニストの家族連れがいた(注 作者は保守派でも右派でもありません)。

 私は家族の仕事の関係で 、上海に来ていた為、中国の会社のお偉いさんが三階の豪華絢爛な中華レストランに招待してくれた。そこのフロアには中国人よりも白人が多かったように思う、日本人の観光客も団体で小籠包をつついていた。

私は中国人の同輩に注文も委託したので、あの中国式、招待客を満腹にさせ、"もう食べられません"と言ったら鯉の尾頭付きが出てくるスタイルであった。

別に悪いこととは思えない、食材を無駄にすることは、人工増加の一途をたどる世界の貧民街に生きる子供たちを思うと、負い目はあるのだけれど、目の前にある小籠包をメジャーリーガーが遠くに投げた所で彼らの口をすり抜け胃に到達させることは、メジャーリーガーの友人のいない私には不可能だった。

 無論、私は日本人であるから少しは無理して食べようと思ったが、不思議と余りに美味しく多種多様な味の小籠包を、おそらく三人分は平気で食べれた。

あの頃は若かったからできた、芸当だったのだけれど、同輩の中国軍の御偉いさんの、親戚にあたる男が 、流暢な日本語で

「貴方は素晴らしいですね、男はいっぱい食べないといけません、ひょろひょろの男達には国は守れません」と言った。

 悪い気はしなかったよ、彼は私の自尊心を壊さずに、中国的な誉め言葉を言ってくれた、国際社会になろうと、世界から国境がなくなろうと、人種の独自性には魅力がある、悲しいことに日本人にはそれがなくなってしまったのかもしれないけれど。

 食事を終へ三階分の階段を、

下り埃っぽい外に出ると、杖をついた、恐らく浮浪者が話しかけてきた、別に珍しいことにも思わない、私は東京の歓楽街出身で、歓楽街といえども昔のことだが、浮浪者 、ホームレスは珍しい存在ではなかった。

幼い頃、近所で有名だった、比較的若いホームレスが公園のポプラに首を吊って死んでいるのを見たこともあった。何処に居ようと救いなんて殆ど無いのかもしれない。

しかし、驚いたのは、私に声をかけてきた老人の顔が溶けていたことだ、恐らく古いケロイドの痕なのだろうか、鼻は削げ落ちていて、二つの穴が直接頭蓋骨に繋がっているようで、左目は潰れていた。

道徳的な観念から考えれば、恐れることは間違いだが、とっさのことで一瞬、頭が活動を終えた。

恐らく彼は金が欲しかったのだろう、マネーマネーと言ってきた私は金を渡そうと思った、これ以上せびられることはないだろう、私はフォリナーなのだったのだから、二度と出会うこともない。

 しかし、例の同輩は老人を一喝し老人は"とぼとぼと"去っていった。

 「最近上海には、あの手のフリークスが多いんだ」

「戦争の傷跡なのだろうか」

 「わからない、でも、中国はソーディープなんです、あなたの知ったるよりも」

 私は振り返り三階の豪華なレストランを見上げた。

今でも思う、私が食べたものはリアルでないものなんだと、ソウルフードではないのだと、少なくとも当時の中国では。

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