(5)
彼女の言った事を、すぐには理解できなかった岳は、頭の中で聞いた言葉を反復した。
『私の為に
頭の中で何度繰り返しても、その言葉が変わる事はなく、益々、混乱するだけの無駄な事だった。
――僕に死んでほしいって……言ったよな……?
もう一度、彼女が口にした言葉の意味を、岳は確認する。
新村は、「殺したい」とは言っていないが、異性を殺す事に執着しているかもしれない。
彼に、そう思わせたのは、紛れもなく、真琴の存在が大きかった。
真琴と同じ、殺されても死なない現象を、彼女も体験しているのだとしたら、岳にも彼女の役に立てる可能性はある。
だが、その現象に関係なく、彼女に殺されたとしても、巻き戻らずに、そのまま時間が進むのだとしたら、それは受け入れられない。
――彼女が真琴さんと一緒なのか、違うのか……もっと話を聞かないことには、まだ分からないな。
冷静になって、彼女の話に耳を傾ける事にした岳。
その顔は傍から見ると困ったような表情をしており、説明が十分ではないと理解している新村も、言葉をつけ足していく。
「厳密に言うと、私、死んだ先輩と付き合いたいんです。なので、先輩、死んでくれませんか?」
「それで、『はい。死にます』ってなる人、そうそういないと思うよ……? それに、僕には、真琴さんがいる。君と付き合うことはできない」
伝えるなら簡潔に、はっきりと言った方がいいだろうと、岳は言い切った。
だが、彼女も、岳と真琴が付き合っているのを承知の上で、告白してきており、一筋縄ではいかない事は確かだ。
岳の発言は、彼女にとって、何も意味のないものだった。
彼が拒否しようがしまいが、彼女は自分のやりたいようにやるつもりだった。
薄暗い川沿いの道で、彼女は、頷きながら、彼の元に詰め寄っていく。
「そうですね。先輩はもう彼女がいる身です。先輩はみぃちゃんのお姉さんのことが大好きかもしれません。でも、先輩はどうですか? 彼女さんに好かれていますか?」
痛いところを突かれてしまった岳は、何も言い返す事ができない。
それを見て、彼女は不敵な笑みを浮かべながら、続ける。
「多分、そうじゃないですよね? 私が先輩に対して抱いている一方的な好意と変わりありません。だったら、二人の間に、私が入っていく余地はあるんじゃないでしょうか?」
眼鏡のレンズ越しの彼女の目は、真剣そのものだった。
彼女の雰囲気と言動は、電車を降りる前とは明らかに違っている。
完全に、自分の目的を達成する事だけを考えており、そのせいで、言葉足らずな部分が多く存在していた。
それを埋めていかない事には、話は進まないだろう。
岳もそれに気づいていたが、彼女に気圧されてしまって、うまい具合に事情を聞く術が思いつけない。
「もし仮に、君の言う通り、真琴さんが僕のことを好きじゃなくてもさ。僕は、君の為に死んでやることなんてできない」
「どうして、ですか? 今の彼女さんには殺されてるのに、私だとなんでダメなんですか?」
「君が僕を殺したら、ホントに死んじゃうからに決まってる」
殺されたら死ぬという当たり前の事だが、岳と真琴の間では、それが当たり前ではなかった。
故に、二人の殺し殺されの関係は、成り立っているのだ。
彼の発言に、彼女は自らの首を傾げてみせる。
どうやら、彼女の思っていた事と少し違う点があるらしい。
本当に死ぬという岳に、疑問を抱いた彼女は、彼の事を死なないとでも思っていたのか。
「真琴さんみたいな、人を殺しても死なない現象が自分の身に起こってるなら、死なないと言えば、死なないのかもしれないけど……新村さんは、そうじゃないよね……?」
「いいえ。そんなの知りません。殺した人が死なない現象? なんてあるんですか? 私はてっきり、先輩が死なない人だと思って……」
どうやら、そう思っていたようだった。
不死身の人間など存在するわけがないと、岳も言いたいところではあったが、彼女が聞いたのは、真琴と木下の会話だけだ。
岳が殺されるだけの存在であるという話から、そう誤解が生まれてもおかしくはない。
それに、この話は不可思議現象の原因である真琴が関わっている時点で、最初からおかしいのだ。
そして、そんな彼女にあてられてか、新村の思考も狂っていた。
「僕は普通の人間で、ちょっとしたことでも死んじゃうよ。ただ、真琴さんが特別なだけ」
「そうですか……先輩自身が死なないわけではないんですね……」
彼の言葉を聞いた瞬間、彼女は落ち込んだ様子をみせる。
それを見ていた岳は、彼女が死なない人間に興味があるものだと勘違いしていた。
死なない人間だから、岳と付き合いたい。
しかし、それだと、彼女の「死んでくれ」という言葉の説明がつかなかった。
彼女自身も何故か、彼の言葉を聞いて、落ち込んでしまった。
それに気づいた途端に可笑しくなって、彼女は嗤い出す。
「アハハ……そうですよね。死なない人間なんているわけがないです。みんな、死んじゃうんです。駅で電車を待っていた会社員の人も。窓口でお客さんの対応をしていた駅員さんも。私の目の前にいる先輩も。みんな、突然、死んでしまいます……」
彼女の独り言のような語りを聞きながら、彼は彼女の過去の話を思い出していた。
幼馴染がいなくなった悲しい話。
それが原因で、彼女の中の何かが変わってしまったのかもしれない。
真琴が、あの日、変わってしまったように。
唐突に、岳の背筋に悪寒が走る。
恐怖を抱かせるような何かを、彼女の方から感じ取った。
それは、野生の勘とも言うべき、科学では検証できないような、再現性もあるかどうかも分からないものだ。
彼の中の本能が、ここから逃げるべきだと、危険信号を発していた。
「私は、死んでる人が好きなんです。最初は先輩なら、その役を買って出てくれると思っただけなんです。でも、どうして、それが……死なない人を求めている風に、なってしまったんでしょうか……?」
自問自答する呟きに、岳は目を見開く。
――死んでる人が好き……!?
同時に、彼は彼女から感じ取ったものの正体に気がつく。
あれはまさしく、殺気だった。
彼女は本気で、彼を殺すつもりで対峙している。
――真琴さんと同じなのか……?
岳を殺すという点では同じだが、違う。
真琴は殺す行為自体を好いているが、新村は死んだ人間が好きだと言い放った。
「どこにも落ち込む要素なんて、ないですよね。ごめんなさい……――――」
誰に対して謝ったのか、それを口にした直後、彼女は岳の右手を両手で握る。
「なっ!?」
意外な行動に思わず声が出てしまう岳の事を、彼女は上目遣いで見つめた。
「先輩にはもう断られてしまいましたが、やっぱり、私は諦めきれません。どうしても、死んだ先輩と付き合いたいです……だから、少しだけ強引なことしてもいいですか?」
顔を近づけてくる彼女が何をしようとしているのか、岳は彼女の目を見て、理解する。
そして、それを阻止するように、彼は彼女の顔に自らの左手を押し付けて、彼女の顔を抑え込んだ。
彼女が彼の手を放した後、彼も彼女の顔から左手を退ける。
岳の手の油で汚れたレンズを拭き取りながら彼女は、尋ねかける。
「どうして、拒むんですか……?」
「そりゃあ、一方的に言い寄ってくる後輩にキスされそうになったら、阻止するに決まってるでしょ?」
「残念です。キスして油断した先輩を、私が殺してあげようと思ってたのに」
眼鏡を拭き終わった彼女は、再度、掛け直して見せる。
殺そうとしたという彼女だったが、その手に凶器はない。
それを見て、岳はまだ、彼女と話し合えると思っていた。
「殺すなんて……そんなのぜったいダメだよ。僕も君も、周りの人も、不幸にしかならない最悪の方法だし、それに、まだ、君と十分に話せてもない。なんで、君は死んだ人と付き合いたいの? 教えてよ、新村さん?」
彼の尋ねかけに、何かを言いかけた彼女は、自らの口を噤んだ。
そして、数秒の間があって、彼女は口を開く。
「先輩は、優しいです。意味の不明な、こんな私の話でも、ちゃんと聞こうとしてくれてます。だったら、その優しさを、私の望みを叶えるために使ってくれませんか?」
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