(12)

 土曜日という事もあって、客は多かったが、放課後に、真琴と木下のそれぞれが安久と話した席は、偶然にも空いていた。

 注文を済ませた二人は、ドリンクを持って、対面するようにその席に腰を下ろした。

 ストローを口に咥え、甘いものを口に含んで、一息つく。

 その間も会話はなかったが、唐突に真琴が口を開く。


「今日のオープンキャンパス。ツバキくんを誘って行ったのは、主に二つの目的を遂行するためだったの」


 淡々とした、感情のこもっていない彼女の話し方は、木下には事務的な感じに思えた。

 そして、そのままの話し方で彼女は、目的の内の一つを話し出す。


「一つは、ツバキくんのため。一週間、酷い目に遭わせてきたから、私とオープンキャンパス行くことで、少しでもツバキくんのメンタルが回復してくれれば良いかなって思ったの。でも、安久さんと会って、トラウマが蘇っちゃったみたいだったから、これは失敗だったかな? 本人に聞いてみないことには分からないわね」

「その話はいいよ……もう一つの方は?」


 ここ一週間、あの数学科準備室で何をしているかまでは探れなかった木下には、岳が酷い目に遭っていたかどうなのかを知り得ない。

 むしろ喜ぶべき時間を過ごしたのではないかとも思った木下にとって、彼の話はどうでもいい以上に不快な話だった。

 早々に切り上げてもらおうと、もう一方の目的の話をするように催促した。

 しかし、彼女は一つ目のように淡々と話そうとはしなかった。


「ツグミも、もう分かってるでしょう?」


 ただ一言、そう返してきた。

 質問を質問で返され、木下は反応に困ってしまって、黙り込む。

 彼女の言う通り、大体の見当はついていた。全てを仕組んだという彼女の言動から。

 木下の計画を阻止するには、二人の邪魔をしてくるだろうと予測する必要がある。

 予測するには、木下の事を知る必要がある。つまりは――――


「あなたの為よ、ツグミ。これ以上、私とツバキくんの邪魔をしてほしくなかったから、何をしたところで無駄だって、今日ので分からせてあげたかった。“私が好きなら”、十分に分かってもらえたと思うんだけれど……どう? これに関しては成功だった?」


 ――――彼女は、知っていたのだ。木下が真琴を好いているという事を。

 知った上で、彼女に邪魔をされると分かった上で、この土曜日の計画を練ったのだ。

 彼女の言う通り、全ては彼女によって仕組まれていた。


「安久さんとは、いつ話をしてたの……?」

「ツグミが安久さんに会う前の月曜日。目を付けるとしたら、多分、彼女だと思ったから、あなたのいうことを聞くようにその時、お願いしたの。彼女のおかげで、あなたの思惑を潰すことができたわ。失敗して、残念だった? でもね、あなただけがうまいくいくわけがないでしょう? そう思わない?」


 真琴の言う通り、木下は、全て自分の思い通りにうまくいくと、そう思い込んでいた。

 何故なら、これが、自分と真琴の物語であるという事を、木下は信じて疑わなかったからだ。

 確かに、木下の思い描いていた理想は、真琴に見破られ、失敗してしまった。

 だが、それだけの事で、二人の物語が終わりを迎える事はない。


 ――そうだよ……わたしのやることは変わらない……!


 開き直った木下は、強張っていた表情を変える。

 真琴が自分の事を知っているのなら、もう何も怖がる必要は無いと、木下は真琴を一心に見つめた。


「失敗……うまくいくわけない……そうだね。まーちゃんの言う通りだよ。今回のは完全に失敗だった。でも、まーちゃんの方も失敗だったね。わたしは、諦めないから。まーちゃんのこと好きだから、どんな手使ってでも、まーちゃんを手に入れるからね?」


 彼女は本気だった。

 彼女の言葉に嘘はなく、真琴を手に入れる為ならば、本当に何でもする気だろう。

 木下の発言を興味なさそうに、ストローを口に咥えながら聞いていた真琴は、呆れるようにため息を吐いて、首を横に振る。


「ツグミ。あなた、ちょっとズレてるのよ。私を手に入れる? 私はものじゃないし、そこに私の意思を含む気はある? ないなら、ただの自己満足で、自慰行為となんら変わりないわ」

「じゃあ、どうすればまーちゃんはわたしと一緒にいてくれるっていうの?」

「もう既に一緒にいるけれど?」


 真剣に尋ねかけているのに、相手にはそんな屁理屈を言われ、木下は自らの頬を膨らませる。

 二人の関係は、まるで、駄々をこねる子供とそれを冷たく宥める母親のようだった。


「違うの! わたしが言いたいのは! どうしたら椿本くんの今のポジションが、わたしのものになるのかってこと!」

「それは無理な話だと思う。今の私にとって、彼の代わりはいないから」


 その言葉を聞いて、「じゃあ、無理やり奪うしかないじゃない」と木下が呟く前に、真琴が付け加える。


「彼との関係を続けたままなら、良いんだけれど……」

「……へ?」


 それは、木下にとって衝撃的な発言だった。

 彼女が言っているのは、浮気する事を肯定しているものであり、しかもその相手が女性である自分でも良いと言っているのだ。

 平然とそう言われて、驚かないはずもなく、木下は思わず確認する。


「良いの……? わたし女だし、それって浮気だし……」

「私は構わないけれど、ツグミは嫌でしょう? 放課後、私がツバキくんと一緒に過ごしたり、今日みたいにデートするかもしれない。それに耐えられるの?」


 耐えられないから、こうして、彼女と対面して話し合う状況になっている。

 だが、木下の心は揺らいでいた。

 岳と真琴が付き合っているのをこれ以上邪魔する事はできないが、真琴と付き合う事ができる。

 そうまでして、何故、真琴は岳という男に拘っているのか、木下はそれを知りたくなった。


 ――そっか。わかったよ、まーちゃん。


 これは多分、駆け引きなのだと、木下は思った。

 彼女と彼が付き合っている理由をこれ以上、詮索させない為に、彼女は木下とも付き合おうとしているのだ、と。

 しかし、その解釈は間違っていた。


「なんで嫌なんだろう? どうして耐えられないんだろう? ツバキくんと私が付き合っているからって、ツグミと私の関係が悪化するわけでもない。それなのに、ツグミは何に怯えているの? 彼は、あなたにとって何の脅威にもなり得ないわ。だって――――」

「――――!? 今、なんて……? なにを言ってるの……? まーちゃん?」


 彼女の言葉に動揺する木下。

 それはごく当たり前な反応で、彼女は確かにこう言った。



「――――彼は、私に殺されてるだけだもの」



 木下の知らない、真琴がそこにはいた。

 瞳の奥に宿る、殺意を纏った赤黒い光が木下を見つめる。


 彼女は、彼との間に存在する秘密を守ろうなどとは、考えていなかったのだ。

 彼女の思考にはそんなもの存在せず、ただ、椿本岳を殺す環境が邪魔されずに整っていれば良かった。


 真琴は、彼女の動揺する言動を無視しながら、話を続ける。


「だから、ツグミはツバキくんが背負っているものを見なくていい。今までどおりの私と付き合っていきましょう? それが、ツグミにとっても一番良いはずよ――――美しいだけの私を見ていられるから」


 自分の本質である、美しいものへの渇望。

 それを真琴に見透かされていたと知った木下は、背筋に悪寒が走るとともに、鳥肌が立った。


 彼女を初めて見た時、それが作り笑いであるとすぐに分かった。

 そして、それを見た瞬間に、木下は恋に落ちた。

 美しい作り笑いの先にいる本当の彼女は、もっと美しいものだろうと思ったのかもしれない。

 だが、どうやらそんな事は無かったらしい。

 それを垣間見た瞬間に、木下は恐怖で言葉も出なくなってしまったのだから。


 ――そっか……触ろうとしちゃダメだったんだ……この深淵は……


 彼女の美しさの向こう側に存在するものまで、自分一人のものにしようと思ったのが駄目だったと、気が付いた。

 同時に、この物語の中心は、自分と真琴ではなく、自分だけでもなく、笠嶋真琴だけである事に漸く気が付いた。


 ――覗いちゃダメだったんだ……

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