(6)

 勉強のできる彼女らしい場所と言えばそうで、彼も目的地が大学だと知って驚きはしなかったが、多少がっかりはしていた。

 具体的に期待していた場所が彼の中あったのかと問われればそれもなく、ただ、先ほどの電車の中から見た綺麗な海がその目に残っていた。

 海であれば、彼女の水着姿が見れたかもしれないが、ここでは彼女も水着になったりしないであろう。


 木々を切って、山を崩してできたであろう真新しい建物たち。周りには山。ここに至るまでのバスの道中からは田んぼや家畜を飼育している様子も見えた。

 自然と触れ合うには良い場所で、デートスポットでないわけではない。

 自分ががっかりした原因が掴めないまま、彼女にその様子を見せるわけにもいかず、彼は黙って目の前の建物を眺める。

 そんな彼に制服姿の似合う可愛い少女が、声を掛けた。


「嫌だった?」

「全然!」


 気づかないうちに負の感情が表に出ていたのかもしれない。

 それを隠すように、彼は口元を左手で塞ぎながら、右手を振って彼女の言葉を否定する。一瞬、がっかりしただけで、嫌という感情にまでは至っていないのだ。

 彼の気持ちを確認した彼女は、大学の門を入ってすぐ傍にあった受付の方へと向かった。

 パンフレットを手に取って、彼にもそれを渡しながら歩き出す。

 彼女が「行こう」と言って、彼を誘ったのは、工学部のエリアだった。

  

 機械、電気、化学、建築などの学科が名を連ねた工学部。

 理系なら是非とも見ておきたい学部で、理系クラスの二人が足を運ぶ場所としては適していると言えるだろう。

 そして、誘った方は彼女なのだから、彼女が見たい分野もこの中に含まれているはずである。

 彼もそう考えて、彼女の志望している学科を見つけようと思った。

 普段の真琴から容易に岳の頭の中で想像できる姿は、眼鏡を掛けた彼女が白衣をその身に纏い、フラスコを片手に難しそうな顔をしているところだった。

 どんな姿の彼女を想像しても、可愛いとしか感想は出て来ず、さらには、それはただの自分の願望であることに気づいた彼は、もう少し真剣に考えてみようと思う。

 しかし、一回想像してしまった彼女の姿はとても魅力的で、本当にやってはくれないものかとも思っていた。

 化学系の学科に行って、彼女に白衣を貸してくれる学生、もしくは、その場に予備があれば、彼の願いも叶うかもしれない。

 可能性はゼロではないのだから、彼女がその学科を目指して歩いていることを祈りながら、彼はその後ろを金魚のフンのようについていく。

 二人が辿り着いたのは、彼の希望とは異なる機械の学科の建物だった。


 ――ま、まあ、作業服も悪くないかな……?


 彼が彼女の作業服姿を想像する前に、彼女はどんどん先に進んでいく。


「ツバキくんはどこか興味のあるところないの?」


 突然、振り返った彼女がそんなことを聞いてくるものだから、準備のしていなかった彼は、焦る。

 パンフレットに目を落とし、一番初めに目に付いた単語を口にした。


「宇宙……系……? は気になるかも……?」

「へぇー。車とかには興味ないんだ」

「あんまりないね」


 車という単語が含まれた場所なんてあったかと、彼はパンフレットを再度凝視する。

 どうやら自動車部というものがあるらしい。


 ――もしかして、これの為にオープンキャンパス来たんじゃ……?


 もしそうだとしたら、先ほどの素っ気ない返答は良くなかったんじゃないかと、岳は思い返す。

 彼女の彼に対する印象は、確実に良くはならないだろう。

 誤解を生んでいてはいけないと思った彼が口を開こうとした時、二人は機械科の建物の中にいた学生に声を掛けられる。


「良かったら、うちのとこ見ていかない?」


 夜の街のキャッチでよくありそうな台詞だった。

 二人はまだ、高校生なので、そんなものに出会ったことはないが、変な人が何かの勧誘をしてきたみたいだとは思っていた。

 前を歩いていた彼女は無視して、その斜め後ろにいた彼に声を掛けたのは、彼女が綺麗すぎて声を掛けづらかったのか、それとも、彼女に睨まれでもしたのだろうか。


「真琴さん……どう?」


 彼女に確認を取ると、「いいよ」と了承した。

 「じゃあ」と言って学生の誘いに乗って、彼女と共にその研究室へと赴いた。

 そこは、ちょうど彼が興味があるものとして挙げた宇宙関係の研究室だった。

 やってる研究はスペースデブリに関するものらしく、中に入ると横に長い実験装置が待ち構えていた。

 研究目的、実験装置、実験結果やらを淡々と話した後に、実験の模擬演習を装置を使ってやって終わり。

 話の内容は難しすぎて、彼の頭の中には一つも入ってこず、彼女もつまらなさそうに聞いていた。


 それから他の研究室も回っていったが、いまいち彼女が興味を惹かれるものはないようだった。

 何の収穫もないまま、二人は機械科の建物をあとにした。

 ここに来てからどれくらいの時間が経ったのかと、彼が腕時計で確認する。

 時刻は既に十二時を回っていた。

 道理でお腹が空くわけだと、パンフレットを見ながら食堂の場所を探しだす。

 見つけた学食の方向へ彼が目を向けると、そこは大勢の人でごった返していた。


「お昼ごはんどうしようか?」


 彼女にそう彼が尋ねかけたのは、男性とは距離を置いていたい彼女を気遣ってのことだった。

 確かコンビニが近くにあったな、と考えを巡らせている彼の腕を彼女が掴んだ。

 

「真琴さん……?」


 そのまま彼を引っ張りながら歩き出す真琴。

 息が荒く、いつもより頬を赤くして、その額には汗も滲んでいた。

 そんな彼女の姿を岳は、珍しいと思った。

 いつも無機質で白い肌、シャンプーのコマーシャルの女優のように綺麗な髪の毛に、丸くて大きな眼。人形のような姿で目の前にいて、余裕そうに、楽しそうに、笑みを浮かべながら、ナイフで椿本岳を殺す。

 それとは異なる、少し焦ったような様子で、彼女は大学内の別の建物に彼を連れていく。

 オープンキャンパスとは無関係の、いくつもの講義室だけが並んだ三階建ての建物だった。

 そこの男子トイレに彼女は踏み込むと、個室に彼を押し込んで、彼女自身も入って、鍵をした。

 狭い個室で、向かい合う二人。


「私、ツバキくんに謝らなきゃいけないことが二つあるの」


 彼女は手にナイフを持ちながら呟いた。

 刃物を装備しながらの謝罪などあってたまるかと思いながら、謝られるようなことをされたか彼は振り返る。

 人を殺す行為への謝罪なら彼も納得だった。


「一つ目は、ツバキくんに電車の中で殺されたいか聞いたこと。それで少し困ってたでしょう? だからごめんなさい」


 電車内でのあの事を謝られると思っていなかった岳は、これの反応にも困った。

 彼にとってあれは、困っている彼の姿を見る彼女なりのたのしみ方の一つである、という認識だったのだ。

 今までもそうやって、彼の心を翻弄して愉しんでいたのに、今回のことだけを急に謝られても、彼が反応に困るのは当然の結果である。

 それを分かった上での今の彼女の発言なのか、彼は図りかねていた。


 そして、彼女は勿論、彼が戸惑うことを承知の上で、謝っていた。

 謝罪されて困っている彼の姿を見るためにわざと、謝るべきことが二つあると言っていた。


 一つ目は、彼をからかう為とほんの一ミリ程度の申し訳なさを表して。そして、二つ目には本当に謝りたいことを。


 そのまま二つ目のことを伝えても、自分らしくないと、彼女なりの照れ隠しのようなものだった。


「二つ目は、今からのこと。私は今、ツバキくんを殺したくてたまらない。でも、今日一日は、あなたを殺すつもりじゃなかったの」

「嘘だ。今朝だって、昨日の分も、今日は殺すって……」

「確かに、私はツバキくんにそう話した。嘘だって言われても仕方がないわ。だから、これから言うことも嘘だと思って聞いて」


 真琴にそう言われると、彼女のこれから言うことが本当のことのように思えてくる岳。

 彼女の言うことの嘘か本当どうかの判断は、彼にはもうできなくなっていた。


「ツバキくんには、私と付き合ってることを実感してもらいたかった。私だけがあなたを殺して、満足してしまっているから。今日だけは、あなたの彼女としての役割を果たそうって思ってたの。でも、うまくいかなくて、殺したくなって……本当にごめんなさい……」


 いつもの彼女とはまるで違う様子に、彼は驚きを隠せないでいた。同時に、どちらが本当の彼女か、分からなくなっていた。

 罵って殺す彼女と、謝って殺すのを少し躊躇っている様子の彼女。


 ――もう、わけわからん……


 男子トイレの個室で、謝ってきた彼女への対処法を彼は知らない。

 多分、ネットで検索を掛けたとしても、出てこないだろう。


「とりあえず殺してみたら……? それで、いつもどおりでしょ……」

「……そうね」


 彼女は持っていたナイフを彼の腹に突き立てる。

 そのままゆっくりと、差し込まれる刃物に、彼は痛みに耐え切れずに声を上げる。


「うぐがあぁああああああ――――」


 その瞬間、彼女の左手が彼の口を覆った。

 人が来ない為の配慮ではない。何故なら、一連の出来事を覚えているのは、この二人だけなのだから。

 彼女が五月蠅うるさいと思ったからやった行動に他ならなかった。

 声を封じ込められた彼は、痛みの発散先を失うと同時に、反射的に口を押えた彼女の指に噛みついた。

 彼女も痛みに顔を歪ませる。が、それでも、刃物を持つ手の力は緩めない。


「良いわよ……? お昼だものね。お腹が空いてるなら、私の指をあげるわ、ツバキくん」


 彼女の中指と薬指を咥え込んだ彼は、その挑発を聞いた刹那に、「ガリッ!」という音ともに、彼女の指を食いちぎる。

 左手がある意味で解放された彼女は、残った右手に力を入れて、彼の腹を横に切り裂く。

 ナイフで引き裂かれた彼の腹からは、真っ赤な内臓が零れ落ちた。


「これじゃあ、余計にお腹が空いちゃったかな……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る