乾いた牙-3

 死んだ、と思った。凄まじい衝撃が真横から俺を突き飛ばすまでは。


「ぐふっ!?」


 爆風にあおられ、吹き飛んだ俺の体は獅子の攻撃を間一髪かいくぐった。一度食らった衝撃だから、すぐに分かった。ハルカが【ホット・ショット】で、俺を横から撃ち抜いて吹き飛ばしてくれたのだと。


 ゴロゴロ転がりながら減速し、砂地に四肢を投げ出した俺は、ようやく生きた心地を取り戻した。今更冷や汗が噴き出る。


 ――た……助かった。


 パーティーメンバー同士の攻撃は《フレンドリーファイア》と呼ばれ、ダメージや痛みが発生しない一方、衝撃だけがそのまま伝わる仕様となっている。それを利用して、離れた位置から俺の窮地を救った。とっさにできるか、そんなこと。


「わ、悪い……」


「喋ってる暇ないよ! 下がって回復して!」


 ハルカは既にフラッシュボムを投擲していた。着地した獅子の目の前で発動した閃光を受けて――獅子は、まるで何事もなかったかのようにハルカの方を振り返った。


 フラッシュボムが、効かない……!?


 よろめきながら起き上がり、ようやく獅子の異変に気づいた。眼光は赤く燃え、口の端から荒く白い噴煙を吐き出している。この世界では見たことがないが、これまでの俺のゲーム経験に照らせば、あれはきっと……《怒り》状態。


「ハルカ、一度逃げよう! データがなさすぎる!」


 これまでなかった咆哮攻撃もそうだが、HPバーが半損した途端明らかにパワーアップした。フラッシュボムも効かないとなれば作戦が全て白紙に戻る。


「せっかくここまで削ったのに、冗談やめてよ。回復されない保証もないのに」


 恐れを知らぬ少女は、剣士の構えになるや勇猛に獅子へ向かっていった。獅子の突進を闘牛士のようにひらりとかわし、横腹に連撃を浴びせる。鋭く振るわれた前足を紙一重で避け、回避の間にも攻撃を挟み続ける。風を切るサウンドエフェクトが、レイピアを振るうたびしゅぱっ、しゅぱぱと軽快に鳴る。


 なんと人間離れした動きだ。あの女の辞書には「防御」が書いていないのか。一撃でも食らえば激痛を味わうと知っているはずなのに、まるで怖がる様子がない。


《怒り》状態となったヌシの動きは一段と鋭くなっているにもかかわらず、ハルカはその全てをことごとかわして一撃を返す。これまでどんな無茶な旅をしてきたか、この戦い方を見れば一目瞭然だ。これではどちらがバケモノか分からない。


 全く当たらない攻撃に痺れを切らしたか、獅子が大きく息を吸い込んだ。――まずい、咆哮アレが来る!


「【バック・リープ】」


 爆音が放たれる寸前、ハルカの体は獅子の懐から大きく後方へ跳ねた。無色透明のエフェクトが獅子の口から放射状に解き放たれ、周囲の景色を波打たせるが、ハルカに到達することはなかった。


 あの一回で、咆哮の射程範囲を見切ったというのか。


「【スラスト】」


 咆哮攻撃のエフェクトが消える瞬間まで見抜いたようなタイミング。地を蹴ったハルカの刺突スキルが、獅子の眼球を深々と抉った。凄惨な悲鳴がほとばしる。固く剣を握るハルカの冷たい顔が、俺にはあまりに恐ろしかった。


 だが――なんということだろう。


 その目に剣を突き刺したまま、獅子はケロリと立ち直った。そのまま、目に入った虫を払うようにハルカの体を掴む。


 獅子のライフは、あれから1%も減っていなかった。


「ハルカ!」


 身も凍るような恐怖を覚えて、俺は駆け出した。《怒り》状態になってから、ハルカの攻撃の"通り"が絶望的に悪くなっていることに、俺は気づいていた。敵の装甲が跳ね上がったのだ。どれほど神がかった動きをしても、RPGで、その差だけは覆しようがない。


 獅子の前足の中で、ミシミシとハルカの体が悲鳴を上げる。両目を見開き、悲壮なほど顔を歪めてハルカは激痛に絶叫する。奴らによって痛覚アブソーバーの再現率が100%に設定された今、彼女が味わっているのは、全身の骨がゆっくり粉々に折られるような痛みに違いない。


 逃げろ。逃げるべきだ。全力で走る俺を、もう一人の俺が大音量で制する。


 もう間に合わない。よしんば助けられたとして、退路が完全に絶たれる。俺は逃げるよう提案して、ハルカはそれを拒否した。もう仕方ない。俺まで死ににいくことはない。


 恐怖で足が止まりそうになったとき、俺の脳裏を過ぎったのは。



 シュンが殺されようというとき、ただ泣き叫び、抜けない刀を愚直に引っ張ることしかできなかった、あの日の光景だった。




「――ぁぁァァァァァァアッ!!!」


 半狂乱で飛びかかったその瞬間、振り上げた刃から、全身から、パチィ、と火花の弾ける音がした。


 蒼い炎が爆発した。


 獅子の横腹目がけ我武者羅に振り抜いた刀の軌跡をかたどるように、俺の肉体アバターからあらわれた蒼い火焔かえんは瞬く間に膨れ上がり、巨大な斬撃の形となって獅子の巨体を斬り裂くや、そのまま二十メートルも吹き飛ばして岩壁に叩きつけた。


 吹き飛ぶ前に拘束が緩んだか、ハルカはその場から柔らかい砂地に落ちた。全身を小刻みに痙攣させながら震えている。脳に本来の許容量を超える痛みが届いたはずだ。意識はあるが、しばらくはあのまま動けないだろう。


 だが、ライフはまだ残っている。良かった、と思った。心から安堵した。この世界は、あの数値が1でも残っていればやり直せる。何度だって。


「せ……つな、君……?」


 蒼い炎に包まれた俺を、ハルカは呆然と見つめた。


「少し休んでろ。多分、一人で倒せるから」

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