ココロ-1

「じゃあ、これからも旅は続けるんだね」


 ワタルの問いに、頷く。俺の悲願は一刻も早く次のハナミヅキを見つけること。ゲイルをどうしてあんなにあっさり殺してしまったのか、全く、悔やんでも悔やみきれない。生け捕りにして、鎖に縛りつけて毎日気の向くままに斬り続けることができれば、どんなによかったか。


「そうか、まぁ今日くらいはウチで休んでいくといいよ。いくらゲームの世界でも、野宿はそれなりにこたえるだろう?」


 ありがたい申し出だったので、お言葉に甘えることにした。確かにシャワーや布団が恋しくなっていたところだったのだ。


 紅茶のおかわりに茶菓子まで振る舞われ、俺とワタルは和やかに談笑した。俺は五名しかいないというアルカディアの実態について、率直に色々と質問した。


「実際、五人で回るもんなんですか? 俺、ゲームはやるばっかりで、創る側の苦労はさっぱり分からないんですけど」


「クオリティを気にしないなら、素人が一人でもつくれるものだよ。実際、僕なんてアルカディアに入社したのはユートピア・オンラインが完成する一年前だから、ド素人だよ」


「えぇ?」


「五人いるけど、この世界の構想から仕様、コード、ストーリーに至るまで、全てはシンジさん一人の頭のなかから生まれたようなものだった。僕ら残り四人は、それぞれの専門家スペシャリストとして、その外堀を埋めるのをほんの少し手伝っただけなんだよ。率直な言葉で形容するなら、君のお父さんはバケモノだね」


 ただ者でない雰囲気のワタルがこれだけ言うのだから、よっぽどなのだろう。事実これほどの仮想世界を、世界中の人間を巻き込んで実現させてしまったのだから、あながち誇張表現でもないかもしれない。


「じゃあ、ワタルさんはなんの専門家なんですか?」


「いやぁ、他のみんなに比べたら大したことないんだけど……言わば“ココロ”の専門家かな」


「ココロ?」


「一応、東大で臨床心理学を専行していたんだ」


 うげぇ、と思わず顔を歪める。滅茶苦茶なエリートじゃないか。


 でも、ゲームづくりに心理学なんて、なんの役に立つと言うのだろうか。


「今、ゲームづくりに心理学なんて、なんの役に立つんだろうって思っただろ」


「……」


 心理学者、怖っ。


「まぁみんなそう思うよね。でも、仮想世界ではこれがけっこう大事なんだよ。例えば……そうだな、セツナ君は彼女いるのかい?」


「へっ!?」


 全くノーガードだった部分に強烈なブローが飛んできた。


「い、いないですけど……今は」


「ふぅん、いたことないんだね」


「なんで分かったんですか!?」


「あ、本当にいたことないんだ」


「カマかけたの!?」


「メンタリズムさ」


「なんかうぜえ!」


 ケラケラ笑う白髪の美青年は、メンタリスト以前にどうやらかなりのサディストらしい。ぐぬぬぬと唇を噛んでいたところに、スッと手鏡を差し出された。


 そこに映る俺の顔は、普段が白いぶん、自分でも目を剥くほど真っ赤に茹で上がっていて、その恥ずかしさで更に顔が熱くなった。


「あはは、顔真っ赤」


「やめてくださいよちょっと! そりゃ恥かいたんだから、顔くらい赤く……」


 そこまで言いかけて、あれ、と思った。現実世界の話であれば、羞恥で交感神経系が刺激され、アドレナリンの分泌で顔が赤くなるのは自然な現象だ。


 しかし、ここは仮想世界。俺の体はアバターで、仮初かりそめのもの。それが赤面するということは――


 この世界は、人のココロを理解しているということになる。


「ユートピア・オンラインのメインシステムに、僕が人のココロを“学習”させたんだよ。だからこの世界で、人は羞恥に頬を染めることも、感動で涙を流すこともできる。あらゆる動物のなかでも、これは人間だけが見せる美しい反応だ。感情が表出しない世界は、想像するだに無味乾燥むみかんそうだと思わない?」


 ワタルの美しい微笑みに、俺は少々ゾッとした。


 確かに素晴らしい技術だ。崇高な発明だ。システムが人の感情を読み取り、それに合わせた感情表現を仮想体アバターに施す。この技術によって俺たちは、仮想体でありながら、まるで現実の肉体で現実の世界を生きているような没入感を得ている。


 念じただけで触れているものを《アイテムストレージ》に格納できるのも、思えば、システムがプレイヤーの思考を認識できればこそ。途方もない発明だ。


 だが、それならば、今俺が何を考えているのかも、世界には筒抜けということではないのか?


「うん、そうだよ」


 またしても心を読んだみたいに、ワタルは穏やかに頷いた。鳥肌が立った。


「そんなに怖がることかな? システムは確かに感情を理解はするけど、システム自体に感情はない。例えば君がどんなにエッチな妄想をしたとしても、それを読み取ったメインシステムは君のアバターの一部分を大きくこそするが、決してそんな君に幻滅なんてしない。むしろ、いざというときソレが役に立たない方が困るだろ?」


 童貞には難しい話題に、またしても顔が熱くなる。この情動すら、ただシステムが俺のアバターを操作した結果に過ぎない――なんだか、知らない方が幸せだったかもしれない話だ。


 辱しめられて涙目になった俺を見て、ワタルは嗜虐的しぎゃくてきな笑みを引っ込めた。


「あはは、ごめんごめん。少し虐めすぎた。まぁ、僕の仕事はそんな感じだよ。人のココロを数値化、プログラミング言語化して、二十四時間計測する仕組み――《マインドオブザーバー》を創った。プレイヤーの精神衛生面も管理できるし、我ながら画期的だったんだけどね……ハナミヅキに乗っ取られて、今じゃ僕の権限では閲覧すらできない」


「じゃあ、今はハナミヅキの誰かが管理しているってことですか」


「まぁそうなる。でも、マインドオブザーバーそのものは悪用しようがない。十万人それぞれの思考、感情は全て専用のプログラミング言語に変換されるから、たとえ僕が閲覧しても直接的な意味は分からないようになっているからね。そもそも膨大な情報量だから、人間の頭にいれようものなら一瞬でパンクするよ」


 では、ひとまず俺の思考が、ハナミヅキの誰かに閲覧されるようなことはないと思っていいようだ。少し安心すると同時に、今さら、僅かな不安が鎌首をもたげた。


 ハナミヅキは今や、世界の全実権を手中にしている、言わば神にも等しい存在だ。その気になれば、俺のことなど指を振るだけで殺してしまえるのではないか?


 今まで、思い至らなかったわけではない。それでも燃えるような復讐心に突き動かされてここまできた。しかし、ワタルと話すうち、俺がこの茫漠ぼうばくな数式の海のなかで、どれほど矮小な存在か思い知らされた気がした。


 俺は……勝てるのだろうか。この世界、そのものに。


「不安なら、今からでも故郷に送ってあげようか?」


 全てを見透かすようなワタルの目に射抜かれて、俺は硬直した。


「別に恥じることじゃない。たった一人でここまでやってきただけでも驚くべきことだ。敵の大きさに気づいたなら、勝てない勝負だと分かったなら、引き際をわきまえるのも立派な勇気だよ。帰りづらいなら、さっきの提案通りここに残ってくれてもいい。元より、ハナミヅキと戦うのは僕らアルカディアの使命だからね」


 ワタルの目は、静かで、強靭だった。あまりに強大な敵を前にしてなお、全く臆す様子がない。


「……俺は」


 ――死にたくねぇよ。


 それは、俺の言葉ではない。涙を流しながら死んでいった弟が、最期に、俺にすがりつきながら放った魂の叫びだ。


 あの瞬間を思い出す限り、俺の体は何度でも、内側から灼熱の炎に焼かれる。勝てる、勝てないは、ハナから問題ではないのだ。たまたま父親がシンジでなければ、とっくに地球とともに滅びていた命だ。胸に手を当てて、揺り戻ってきたあまりの憎悪で壮絶に顔を歪めながら、どうにか嗄れた声を振り絞った。


「この命は、ハナミヅキを殺すためだけに使う」


 俺は一体どんな顔をしていたのだろうか。これまで決して余裕を崩さなかったワタルの顔が、狼狽で揺らぐ。俺は慌てて、パッと笑顔を作った。シュンのように、自然に。


「だから俺たち、仲間みたいなもんですね。フレンド登録して、情報は逐一共有しましょう」


 差し出した手を、ワタルはやや狼狽うろたえながらもとった。これ以上ないほど、心強い協力者を得た。しっかりとワタルの手を握る。


「あ、もしハナミヅキを捕まえたら、絶対に俺を呼んでくださいね? 抜け駆けしたら、許しませんから」


 つい力が入りすぎて、ワタルの手を砕かんばかりに握ってしまった。ワタルは冷や汗を一筋、白い肌に浮かべながら、「肝に銘じておくよ」と苦笑した。

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