ワタル-2

 デザーティア南西に広がるプレイヤー居住区。白いレゴブロックでしつらえたような真四角の住居郡の一角、取り立てて他のプレイヤーと差のない一軒家が、ワタルの家だった。


「お、お邪魔します……」


「遠慮しないで、上がって。君は恩人だからね」


 白髪の美青年に促され、俺はおずおずと玄関を潜りながら、どうしてこんなことになったんだっけ、と考えた。ところが経緯はと言えば、至極単純である。


 ワタル――アルカディアの研究員と名乗った男が、町人を助けてくれたお礼も兼ねて、色々と話を聞きたいからウチに来ないかと誘ってきたのだった。


 彼の語る素性が真実かどうかは怪しいにせよ、ヒヒを一撃で仕留めた実力は本物。あれだけ訓練された町人たちも、彼をリーダーのように慕っていた。只者ただものでないことだけは確かである。ハナミヅキの情報を集めるという当初の目的を果たすためにも、この男に接触する価値は大いにあると思えた。


「おかえりなさい、あなた……あら、君は」


 玄関をくぐった俺たちを小走りで出迎えた女性は、俺の顔を見るなりおっとりと目を見開いた。なんと、先ほど俺が話しかけた女性である。


「ただいまユリア。お客さまだ、お茶をいれてくれるかい」


 遠慮がちに会釈した俺に、ユリアというらしい女性は楽しそうに微笑んだ。「あなたが人を家に招くなんて、珍しいですこと」と、鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌に奥へ消えていった。


 俺はダイニングに通された。ワタルと向かい合わせに座ったところで、ユリアが紅茶を持ってきた。


「ごめんねセツナ君、狭い家で。客間があればいいんだけど」


「そんな、お構いなく」


 あれ、今、俺の名前――あぁ、プレイヤーネームを見たのか。あまりに知った名前を呼ぶ風だったから、思わず身構えた。


「代わりと言ってはなんだけど、その紅茶、デザーティア産のいいヤツだから。旅人さんには地元のものを振る舞わないとね。よければ西瓜スイカも絶品なんだけど」


「ありがとうございます、お気持ちだけで」


 俺はふと、奇妙な気持ちになった。これまで当然承知していた、「この世界は仮想世界である」という当たり前の認識が、不意に薄れたと言えばいいだろうか。


 この男は、自らをこの世界の創造者と自称しながら、まるでこの世界に生まれたような顔をする。


 俺に一度手で促してから、ワタルは手元のティーカップを端整な鼻に近づけ、絵になる仕草で香りを楽しんだ。そんなことをしても、仮想の馨香けいこうがアバターの鼻腔びくうを通過したことをシステムが感知して、あらかじめ設定された香りの具象イメージを、僅かの誤差もなく錯覚させられるだけだ。


 現実のワタルの肉体は、カビ臭い地下シェルターに転がった、無菌状態のカプセルの中に横たわっている。そんなことは、彼が一番よく知っているのではないか。少なくとも俺は、シュンが死んで以来、食事さえスタミナの最大値を回復させるためだけの存在と見なしている。


「そんな顔で旅をしているなんて知ったら、シンジさんがっかりするだろうな」


 ティーカップから金色の瞳を俺に向けたワタルに、ドキリとした。


「君、シンジさんのお子さんだろ?」


 俺は瞬時に、この家から脱出する方法を考えた。しかし俺が座らされたのは、部屋の奥側だ。玄関へ続く扉を背にしてワタルが座っている。


 俺はこの旅を、父にだけは知られてはならなかった。絶対に家から出るなと、繰り返し世界中に放送している張本人だ。俺があの家に留まっていたなら、数日中にもアルカディアの遣いがやってきて、俺は母とともに保護されてしまっただろう。だから即日出発したのだ。


 抜かった。この男は最初から、俺を捕らえるために。もし紅茶を飲んでいたら……ごくりと生唾を呑み、何が仕込まれているか分からない緋色の液体と、ワタルを順に睨む。


「そう殺気立つなよ。刀なんて環境ぶっ壊しアイテム振り回すプレイヤーがいたら、研究員なら誰でも怪しむさ」


 確定だ。この男は本物の研究員だ。そうでなければ、俺とシンジを結びつけることなどできない。


 どうする。背後の壁を破壊して逃げるか。いやダメだ、万が一にも通行人が歩いていたら。それならいっそ、この男と戦うか。俺は勝てるのか。少なくともあのヒヒを一撃で倒す攻撃力がある、このゲームを創った側の男に。


「やるかい? いいけど、壊した家具は弁償してくれよ」


 テーブルの下で腰の刀に手を振れた瞬間、ワタルは明後日の方を向きながら不敵に笑った。俺の緊張感をシステムが認識し、こめかみに冷や汗が滲む。


 俺は意を決して、ぐわりと上体を持ち上げた。穏和なワタルの瞳が、一瞬で戦士のそれになる。


「――見逃してくださいッ!!」


「……あら?」


 頭と両手の平を机につけて、俺は嘆願した。


 戦うのは最後の手段でいい。俺はこの男の、父との“ズレ”に賭ける。


「さっきの、町のプレイヤーたちは、ワタルさんが鍛えたんじゃないですか? 間髪入れず《フラッシュボール》を投げ続けてハリツケにするアレは、どんなにレベル差があってもモンスターを足止めできる技術だ。彼らの動きは明らかに、ゲームに詳しい誰かによって訓練されたものだった。一般人に戦闘スキルを教えるのは――「戦うな」という父の意思と、矛盾してますよね?」


 顔を上げ、下からワタルを睨む。そう、ワタルの行動はシンジの意思に反している。だから俺は、この男が研究員だと名乗ったときも懐疑的だった。


 彼が研究員であると確定してしまったからには、この男が、必ずしもシンジに味方するとは限らない可能性にすがるしかない。


「俺はハナミヅキを殺すために旅をしているんです。この世界で強くなるには、正しい知識と、情報と、経験値しかない。家に閉じ籠っていては何一つ得られない。あなたと俺の考えは近いはずだ。だから見逃してください」

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