フリーバトル-2

「ゲームは一日一時間まで」と口うるさく言われていた小学生のころ、「こんなに早く過ぎる一時間があるのか」と衝撃を受けた。ゲームが時を忘れさせるものだとすれば、この一ヶ月があまりに早く過ぎ去っていったのは至極当たり前なのかもしれない。


 まさしくゲーム漬けの日々だった一ヶ月をぼんやりなぞっていた俺は、ふと、見上げる茜空に紺碧こんぺきが交じり始めたのに気づいて覚醒した。


「もうこんな時間か」


「うん。お腹減ったね」


「錯覚だろ」


「えーっと、さっきのフリーバトルはどっちが勝ったんだっけ」


「……わかったわかった」


 俺は観念して、メインメニューを呼び出しアイテムウィンドウを展開した。《食べ物》のカテゴリから、ソレを二つ選択する。


 果たして、包み紙から半分その身を覗かせた三角形のサンドイッチが二つ、虚空から音を立てて出現した。一瞬空中を浮遊したあと落下したそれを受け止め、一つをケントに放る。


 フリーバトルで負けた方が軽食を奢るルールだ。負けっぷりが板につき、最近では負けたあと買いにいくのが面倒なので集合前に買っておく用意周到ぶり。


 今のところ買っておいたサンドイッチが役に立たなかったことは一度もないので、俺には先見の明があると言えるだろう。


 俺達はセントタウンの外れ、《月見の丘》と呼ばれる場所にいた。フリーバトルフィールドは展開している間あらゆるプレイヤー、モンスターの侵入を許さないため、町中でやろうものなら大迷惑になりかねない。ここは遮蔽物も少なく、逆に言えば空が綺麗に見える以外これといった特徴もないためほとんど人の来ない、俺達の秘密基地のような場所だった。


 寝転がったまま、湯気を立てるサンドイッチを口に運ぶ。安物だから少しパンが硬いものの、レタスはシャキシャキと瑞々しく、マスタードが良く効いていてハムも肉厚。うん、美味い。


「最初は味すら感じなかった食事も、最近みるみる美味しくなってきたよね」


「あぁ、今じゃ戦闘より食事が楽しみなくらいな」


「セツナのお父さんたち、頑張ってるんだねぇ。ほんと頭が下がるよ」


 行儀良く体を起こしてサンドイッチを食べながら、ケントは敬意のこもった眼差しを空に向けた。


 俺の父があのシンジであることは、少し前に伝えてある。ケントなら、大袈裟にはやし立てたり、それを知ることによって俺との付き合い方が変わるようなことはないと判断したからだ。実際、ケントはひどく驚いていたものの、関係は全く変わっていない。


 ただ、このゲームの大ファンであるケントは、どうにかしてシンジを一目見たいらしく、


「まだ、一度も会えていないの?」


 数日に一回くらいのペースで俺にこう聞いてくるのが鬱陶しいところだ。


「会えてない」


「そっか。やっぱり忙しいんだね」


 そりゃそうだろう。俺だって会えることなら会いたいが、これから永遠にこの世界に住むことになった十万人の人間のために、父にはやるべき仕事が山ほどある。


 たとえば、このサンドイッチ。本物の食事を二度とありつけない俺達にとって、仮想とは言え美味に舌鼓を打つことは何にも替えがたいものだ。


 ログイン当初は何を食ってもほとんど味がせず、そもそも空腹感さえ一向に感じなかったから、誰も進んで食事を摂ろうとはしなかった。


 電気信号によって脳を騙して"味"と"満腹感"を得る――アスリートの食事制限やダイエットなどを目的に、医療機関や美容クリニックで既に実用化されていたものだ。この世界で仮想のサンドイッチを食べて、複雑な味を舌に感じ、満腹感を覚えるようになったカラクリは、その技術を応用したものと考えられる。


 ついでに、一定時間何も食わなかったり、旨そうなものを目の前にしたときは、とてもにせとは思えない空腹感を感じるようになった。


 途方もない技術だが、それはアルカディアの仕事のほんの一部に過ぎない。生活に必要な物資の支給。アイテム、通貨の流通量の調整。ハラスメント防止コードの緩和。容姿編集の制限。モンスターの弱体化……エトセトラ。


 アルカディアは、今もなお、この世界の内部からシステムを改良し、ここをゲームの世界から、第二の現実世界へと近づけるべく、アップデートを繰り返している。


「早く会えるといいね。……そ、その時は是非僕も」


「分かってるって。あと数ヵ月は先だろうけどな」


「シュン君にもまた会いたいなぁ。今日もフィールドに出てるんだろ? すごいよね、僕らよりずっとレベル高いのに」


 数度だけ、ケントとシュンと三人で遊んだことがある。武道に精を出してきた者同士、通じ合うものがあったのか、二人はすぐに仲良くなった。二人のフリーバトルはアクション映画も裸足で逃げ出す激闘で、戦績はほぼ五分。また遊ぶ機会を心待にしているのは、三人とも同じだろう。


「シュンは予約がいっぱいだからな。少しは断ればいいのに」


「いい子だから仕方ないよ。それに、お父さんからもらった装飾品を早くちゃんと装備したいって言ってたから。今はフリーバトルよりレベル上げ優先なんじゃないかな」


 否定できるポイントがひとつもなかったので、俺は苦い顔でうなずいた。シュンがレベル上げに邁進まいしんしているのは、父から贈られた《イージス・リング》を装備するため。


 シュンのレベルは確か26。そこまでいってしまっては、このあたりのモンスターを何十と倒したところで、もう雀の涙ほどの経験値しか得られない。


 いったいレベルがいくつになれば《イージス・リング》を装備できるようになるのかも分からない中で、そんな苦行を毎日毎日続けられる実直さには、我が弟ながら本当に頭が下がる。


 俺だって、父から最高ランクの刀をもらっている。ジョブを進化させて、一刻も早く装備したい気持ちはシュンと変わらないはずだ。ジョブを進化させるには、間違いなく一定のレベルに達する必要がある。


 それでも、俺はシュンのように頑張れなかった。あまりの「単純作業感」と圧倒的な非効率さに、早々に根を上げてしまった。


 だから、ケントにシュンの話を出されると、なんとも言えない劣等感で話題を変えたくなる。頑張っているシュンに「たまには俺たちとも遊ぼう」なんて言うのは、もっと難しい。


「三人で、旅に出れたらいいのにね」


 ふと、ケントが何の気なしに口にした一言は、俺の視界を覆っていたもやを斬り払った。天啓に打たれた、そんな思いで想像する。


 俺と、シュンと、ケントで旅に出る。もっと遠くの、強いモンスターが湧くエリアを転々とするのだ。野営したり、新しい町の宿舎に泊まったり。


 なぜもっと早く思い至らなかったのだろう。路銀はモンスターを狩れば調達できるし、この世界では死どころか、怪我や病気の不安さえない。そこを強くプレゼンすれば、母を説得するのは可能かもしれない。


 ケントも一緒だと言えば、母も鬼から小鬼くらいには弱体化するだろう。優等生イケメンのケントに母は絶対的な信頼を寄せている。実際、ケントと遊び初めてから、母も俺が門限にルーズなことに対して寛容になっていた。


「いける……」


「え?」


「それ、いけるぞケント。泊まり掛けすら許可もらえないなんて思っていたけど、言ってみるべきだったんだ。死んでも生き返るようなこの世界で、危ないことなんてないだろ。一緒に親を説得しようぜ」

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