ケント-2

 門は透明な壁で塞がれたようになっていて、外へ出ることができなかった。参加者たちが続々と集合し、マラソン大会のスタート地点のように門の前に密集する。


『イベントクエスト開始まで、十秒前』


 アナウンスが流れ、門の向こう側に数字の『10』が浮かび上がる。それは一秒ごとに一つずつ数字を減らしていく。


「冒険者さま、うーちゃんを、どうか……」


 残り五秒。俺たちのすぐ後ろまでついてきた少女は、涙目で拳を握り祈った。スタートラインの先頭に立つ俺は、門の向こう側を見渡す。


 外に出てすぐ左手に、鬱蒼うっそうとした暗い森がある。あれが《迷いの森》だろうか。開始と同時に、まずはあそこに飛び込もう。うーちゃんとやらの特徴は、ウサギ型のモンスターらしいこと以外は分かっていない。それっぽい生き物の姿を探して、闇雲に走り回るしかなさそうだ。


『3、2、1……クエストスタート』


 アナウンスが告げると同時、門のバリアが消える。我先にと外へ飛び出そうとしたプレイヤーたちは、森の茂みからピョコンと顔を出した生き物を見て、一瞬時を止められた。


 耳の長い、黒ウサギ。俺たちの姿を見るなり、耳をピコピコ挑発的に動かしてーーザザッ、と茂みの奥へ逃げていった。


「あ……あいつだー!」


「追え!」


「どけ、俺が一番だ!」


「ぐふぅ!?」


 血相変えて飛び出していったプレイヤーの大群にかれ、ぺちゃんこになった俺は、毒づきながら砂まみれの体を起こした。


「やったな……」


 両足に力を込め、一息に地を蹴り出す。途端に、俺の体は高速で前方に弾き出された。下り坂で自転車を漕ぐような加速度で、みるみる景色が高速で流れる。


 あっという間にプレイヤーの大群に追い付き、そのど真ん中をぶち破って追い抜くと、悲鳴が上がった。


「なんだあいつ!?」


「は、速ぇ……!」


 そんな声さえ置き去りに、早々に一団をぶっちぎった俺は、一番乗りで《迷いの森》に飛び込んだ。途端にのどかな青空と太陽が遮られ、薄暗くなる。


 初期値から群を抜いていた俺の敏捷性アジリティーは、レベルが一つ上がるごとにも優先的に上がり続け、今ではただのダッシュでこの通り、原付並みのスピードが出るようになった。筋力も体力も最低値の俺にとって、唯一の長所である。


 足元には、よく観察すれば、小さな動物の足跡が残っていた。その先をたどるとーーいた。黒い長耳のウサギが、三十メートルほど先でこちらを見ている。俺に気づくなり、ピュンッ、とすごい速さで向こうに駆けていった。


「なるほど……ウサギとの鬼ごっこか。確かにシュンの言う通り、こりゃ俺が有利だ」


 ウサギを追って、俺も力強く地面を蹴り飛ばした。



 襲いかかるように迫ってくる木々を左右に避けながら、風を切って疾走する。


 薄暗さの理由は、木の密度だ。一本一本が密集して生えていて、間隔が狭い。獣道というにも険しい道ばかりで、全速力で走るのはかなり難しかった。


「こん……のっ!」


 すぐそこに迫った黒ウサギのもふもふした背中に手を伸ばすも、寸でのところでピョンッとかわされる。勢い余って木に激突し、悶絶して倒れる俺を、ウサギはその場に飛び跳ねて小馬鹿にしてきた。


「こいつ……絶対取っ捕まえる」


 俺はアイテムウィンドウを開き、一つのアイテムを選択して物質化した。なにもない空中から、ポンッと音を立てて、ハチミツ色の液体が入った小瓶が現れ、俺の手に落ちる。


 《寄せ蜜》。モンスターを呼び寄せるアイテムだ。本来はレアなモンスターをおびき寄せる目的で使うアイテムである。


 それを足元に振りかけると、ウサギの表情がわずかに変わった。ひく、ひくと鼻を動かし、ついに、俺に向かってにじり寄ってくる。


「よし……いい子だ」


 あと五メートル。駄目押しに瓶の中身を全てぶちまけると、ウサギは警戒心さえなくしたようにフラフラと近寄ってきた。あと二メートル。緊張感で震える両手を開いて、その一瞬に備える。


 今だ!


 飛びかかった俺の手が、無防備なウサギの体に触れる直前。手の甲に強い衝撃が走った。


「いって!?」


 飛来した何かに手を弾かれ、空振った俺は顔から地面に着地した。ウサギは驚いて逃げてしまい、俺は呻きながらよろよろと起き上がる。


「危ない危ない。先を越されるところだった。君、すっごく速いね」


 綺麗な男の声がする方へ顔を向けると。二十メートルほど離れた木の枝に、金髪の少年が笑顔で立っていた。恐ろしく整った顔立ちの少年だ。幾つかの石ころを手で放って遊んでいる。


 俺のすぐ近くにも、同じような石ころが一つ転がっていた。あの石を、俺の手を狙って投げたのか? あの距離から……?


「妨害はダメってルールはないから、恨みっこなしでいこうね」


「……いいけどさ。そっちこそ、何されても文句言うなよ」


「もちろん。僕と君、どっちが先に捕まえるか競争だね。スピードじゃ勝ち目はなさそうだから……僕はショートカット作戦で」


 少年はそう言うと、木の太い枝から枝へ忍者のように飛び移って、あっという間にウサギの逃げた方角へ消えてしまった。なんだあいつ、身のこなしが人間じゃないぞ。


「ムカつく……」


 俺もウサギと少年を追って、森の中を風のごとく駆け出した。

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