(6)盾の役割


(私……?)


 今まさに駆け出そうとした足を止めて、ディーナは王を見つめた。


 しかし見つめる先で、王の手ははっきりとディーナに向かって差し出されている。太陽を背にした黄金色の髪が鬣のように輝く。


「来い。ディーナ」


 再度言われた言葉に、やっとディーナの頭にその意味が伝わった。


「は、はい……!」


(どうして? アグリッナ様がいるのに……)


 今までの陛下ならば、アグリッナ様への純愛を示すために、決してディーナをパートナーにはしなかったはずだ。


 だから驚いて王の側に駆け寄ったのだが、急いで手を取ると、王はにっといたずらをするように笑っている。


「すまんな。まだアグリッナは足が痛いらしいんだ」


「まあ」


(間違いなく嘘ね)


 だって、さっきまで小走りで恋人に近づくほど元気に歩いていた。


(きっと、陛下の側にいることで、また嫌な噂を囁かれたくないんでしょうけれど……)


 しかし、ちらりと振り返ったアグリッナは、ディーナが王の側に駆け寄ったことにあからさまにほっとしている。


 それをわかっているのか。王はディーナの顔を覗きこむといたずらっぽく笑った。


「だから、ちょっと協力してほしいんだ。このままじゃあ、私が誰かの手をとるまでこの寵姫騒動がおさまらない」


 目配せをしてまるで子供が罠をしかけるような王の仕草に、思わずディーナも笑ってしまう。


「もちろんです。私でよければ、いつでも陛下のお手伝いをいたしますわ」


(変なの、私)


 騙すためでもない相手の手をとるなんて。しかも、少しも不快に感じていない。


 きっとそれは、この方のお心が、何があってもアグリッナ様から動かないと感じたからだろう。


 その上で、協力してほしいという。


 ならば、とディーナは華やかに笑った。


「私が盾になりますわ。社交界の悪の華と敵意を向けられるのは慣れております。陛下は、今は私に誑かされているふりをなさってくださいませ」


「すまんな」


「いいえ。宮廷の悪意が私に向いて、アグリッナ様のことを逆に認めてもらえる空気ができるのなら、それにこしたことはありません」


 だから、まるで腕を組むようにして並ぶ。


 今までアグリッナ以外側に近づけなかった王の腕に、しなだれるように手を絡ませて歩くディーナの姿に、園遊会に来ているみんなの瞳が丸くなった。


「あれは、一体?」


「さあ。最近ラノス公爵令嬢の紹介で、陛下の夜のお仕事を手伝っている女性と聞いたが」


「夜の? え、それはどういう関係で?」


(あら。面白い方向に誤解している)


 確かに最初はそれを狙って夜の手伝いを申し出たのだから、世間一般とずれた感性の持ち主でなければ、すぐにそちらに誤解するだろう。


(問題は、世間一般と違う感性の持ち主が肝心のターゲットだったということだけれど)


 だけど、結果的に回りにそう見られれば問題はない。


「まあ公爵令嬢の紹介で、あれって……! それじゃあ、アグリッナ様は御自分の身代わりに……!?」


「それとも、令嬢もそんなつもりはなかったのに紹介した娘に裏切られたのか。陛下のアグリッナ様への愛は有名だが、そこを利用して籠絡されてしまわれたのか?」


「まさか……! あの陛下ですよ?」


(うん。実に都合の良い誤解だわ)


 だから、もう一歩と王の方を見上げた。


「陛下」


 にっこりと笑う。そして手を伸ばした。


「おぐしにほこりがついております」


「うん?」


 下を見た王に微笑むと、ゆっくりと手を伸ばす。そして耳たぶの下から、すっと指を金の髪に差し入れた。まるで口づけの時の仕草のように。


 それに、周りがどよめく。


 けれど、起こった声に振り返りもせずに笑う。


「小さな葉が飛んできたのですね。これでステキな陛下のおぐしに戻りましたわ」


 けれど、やはり肝心のターゲットは、ディーナが今回りに対して何を牽制したのか気がついていないのだろう。ディーナの瞳を覗きこんでにっこりと笑っている。


「そうか、気がつかなかった。ありがとう」


 王の微笑みに、周りの声が更に大きくなった。


「陛下がアグリッナ様以外にあんなお顔をなさるなんて!」


「これは、いよいよ今回の騒動をおさめるために、公式寵姫を持たれるお心を固められたのか」


 聞こえてくる声に、ディーナは薄く笑ってしまう。


 けれど、その時、急にリオス王子が掌を握り締めると前に進み出た。


「兄上。お見せしたいものがあります」


(来たわね)


「なんだ、リオス?」


 リオス王子の後ろには、黒い長いマントで全身を包んだ老婆が立っている。


「ロマノウンで評判の占い師です。予言の的中率は十割。ぜひ、オリスデンの未来を占ってみてください」


 差し示された黒装束の老婆は、不吉な笑いをマントの中からこぼしている。老婆を見つめるディーナの横で、夏の風が木々の葉をざわめかせながら走りぬけた。 



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