第三章 不吉な予言

(1)まさかの呼び出し!


 次の日の朝。ディーナは呼ばれた王の部屋の前で、大きな扉を見上げていた。


(突然呼び出されたけれど、やっぱり昨日のことよね……)


 正直に言えば、王からの呼び出しがあるまで、改めて事態や処罰について何か詳しく聞かれる可能性を忘れていた。


(それというのも……!)


 全部あいつのせい! とディーナは思い切り苦虫を噛み潰した顔をしてしまう。


(何よ、あの昨夜の口づけは!?)


 百歩譲って、薬を飲むのに困っているディーナを助けてくれたのかもしれない。


(だけど、突然乙女の唇を奪うって本当にあの男の中で、女の価値ってどうなっているの!?)


 口移しで水を飲ませて助けてくれたのは認めるが、それと女の唇に唇で触れることは話が別だ!


(しかも、包丁で魚がうまく切れましたというぐらいの顔しかしていないし!)


 自分のことをまな板の上の鯉か、単なる手ごまにくらいにしか思っていないのじゃないかと思うと、昨夜からふつふつと腹が立って、解毒剤が効いてもなかなか寝付くことができなかった。


(ああ、腹がたつ!)


 わかっている。相手にとって、これが単なる事務的な一つだっただろうことは。


(わかっているわよ! 私だって、別に初めてじゃないし!)


 それなのに、口説いてくる男以外に唇に触れられたのは初めてで、これからどうしたらいいのかわからない。


(こんな時って、とりあえず殴ればいいの!?)


 相手が口説いてくるつもりで唇に触れた時は、後で五回はうがいをして、全財産を巻き上げる勢いで騙してやった。


(それだけ罪悪感がなかったわよ!)


 けれども、今回のはディーナを口説くつもりがあるのかさえはっきりとしない。


 最悪の場合、口でストローの役割をしてあげましたという素振りだ。


(この場合報復はどうしたらいいの!?)


 するべきなのか。それとも、助けてくれたと感謝するべきなのか。


(だいたいあいつ女に興味があるの!?)


 最早この時点から謎だ。お蔭で、昨日から悶々として腹立ちなのかよくわからない感情で、イルディとのこと以外が考えられなかった。


「おい、入らないのか?」


 昨夜から、何回目かの百面相で扉の前で頭を抱えていたディーナは、側の衛兵からかけられた声に、やっと自分が今なんで呼ばれているのかを思い出した。


(いけない、いけない)


 また、気がつけば怒りの百面相をしていた。


「失礼しました。まだ風邪で喉の調子がおかしくて」


 慌てて少し照れた表情をしてみせる。


 そしてにっこりと笑っただけで、衛兵の不審そうな顔がほろりと変わった。


「そうか。それなら、かまわないが。いつも遅くまでお仕事お疲れさん」


「ありがとうございます」


 衛兵と親しくなっておくのも大切だ。


 だから、ディーナは華やかな笑みをこぼすと、とりあえずイルディの顔を脳裏の端に蹴り飛ばして、王の部屋の扉を叩いた。


「陛下、ディーナです。お呼びと伺い参りました」


「入れ」


 すぐに言葉が返ってきたのは、相手が待っていたということなのだろう。その事実に気がついてディーナは顔を引き締めた。


(さて。どんな用件かは知らないけれど、なんとか切り抜けてやろうじゃないの)


 昨日の主犯がアグリッナかと尋ねられたら、自分だと言い張るしかない。イルディだと素直に白状すれば、国王に薬物を盛った反逆罪扱いになりかねないが、自分だと言い張れば、アグリッナを庇っている可能性も捨てきれないはずだ。


(最悪、それで投獄されてもアグリッナ様とあの陰険補佐が大丈夫なら、絶対に自分を出してくれるはず!)


 だから、一度唾を飲み込むと、ディーナは王の部屋の扉を開いた。


 中では、着替えた王がいつもと同じように奥の机にゆっくりと腰掛けている。


 けれど、入ってきたディーナの姿に目を上げた途端、急に王の顔が真っ赤に染まった。


(うん?)


「陛下――。あの、昨日は申し訳ありませんでした」


 けれど、昨日まではなかった王の反応にディーナの眉がよってしまう。


 しかし王は、机の数歩前まで近寄ってきたディーナに、急に顔の下半分を手で覆うと、まだ赤い顔を必死に隠そうとしている。


「あの――その後お体は……」


(まさか、まだ媚薬が効いているのかしら)


 ディーナは解毒剤を飲んだから早くに効果が切れたが、よく考えたら陛下があの後どうしたのかは知らない。


 だから心配そうに顔を覗きこむと、更に王の顔は赤くなった。


「あ、ああ。あの後、こっそり侍医を呼んで、解毒剤を処方してもらったから大事はないんだが――」


(だとしたら、何でこんなに赤い顔をしているのかしら)


 明らかにうろたえていて、挙動がおかしい。


「その――、すまなかった。十年間禁欲生活をしてきた私には、正直、貴女はあまりにも魅力的すぎて……。薬のせいとはいえ、本能にかられて貴女の体を抱こうとしてしまった……」


(え!? なに、それ!? つまり、押し倒そうとしたことに照れているの!?)


 それこそいくつの青少年だと言ってやりたい。


(別に、今まで私を押し倒そうとした男なんて、何人かいたし)


 相手が寝台に連れ込む素振りを見せた時点で、急所を蹴り上げて逃げてきた。


 それなのに、この方は、ディーナのことを対等な人間として扱い自分の情欲を恥じていてくれる。


 赤面を繰り返す様子に、ディーナの王を見る視線が柔らかくなった。けれど、側に立ったディーナの変化には気づかずに、王は情けない瞳で見上げてくる。


「自分のことに精一杯で、あの時貴女のことを気遣ってやることさえできなかった。私のせいで、一緒に媚薬を食べたのに。あんな体で部屋を追い出して――。その、あの後大丈夫だったか?」


 その瞬間、ディーナの脳裏に忘れかけていたイルディの面差しが甦った。瞬間的に怒りに火がつきそうになるが、今はそれを必死に忘れて笑う。


「はい。私も部屋に戻って解毒剤をもらいましたから。その後は、一人で休みました」


「そうか」


 ディーナの笑みに、はっきりと王の表情に安堵が表れた。


「よかった……。貴女に何かあったら、アグリッナに怒られるところだった」


「あの……でも、陛下。こう申しては何なのですが、私に何かされた方がこの場合アグリッナ様に叩いてもらえたと思いますよ? 今回のことは、私が勝手にしたことですし……」


「だから貴女の中で、私はいつ被虐趣味に決定したんだ……」


 思わず王が机に向かって俯いてしまう。


 けれど、ディーナは口に出しにくそうに言葉を続ける。


「それに、あの――耐え忍ぶのを楽しまれているのなら申し訳ないんですが、我慢しすぎは年頃の男性としてはあまり……」


「だから何で全部私がそういう趣味前提なんだ!?」


 けれど、思わす顔を上げた王をディーナは正面から見返す。


「じゃあ、なんでそこまで頑なにほかの女性を拒まれるんです?」


 王の両肩がびくっと揺れた。


 王の表情に、不思議そうにディーナが首を傾ける。


「アグリッナ様も私のことはお認めですから。今回の私の独断に驚いて、たとえ一時お怒りになったとしても、いつかは必ずお認めくださいますのに――」


(まあ、ついでとばかりに婚約破棄にまで話を持ち込まれるだろうけれど……)


 しかし、内心引き攣っているディーナの前で、王は視線を僅かに逸らすと、小さな溜息をついた。


「――私の父には、公式寵姫がいたんだ」


「えっ!?」


 初めて聞く話に、王を見つめるディーナの瞳が大きく開いた。


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