014 その瞳に映るもの

 心臓が飛び出すんじゃないかというほどに強く脈動している。手はぐっしょりと汗に濡れている。副作用と上井出の心を受け止めた反動で、僕まで倒れてしまいそうだった。

 夜夢瑠々の顔からは笑みが消えていた。

「カガミン、君は……それに伴動さんも。確かに三本使い切っていたはずだ。なぜ四本目を持っている? まさか、吾棟くんから譲ってもらっていたのか?」

「違うね」

 カズにももう薬のストックは無い。最後の一本については別の依頼をしておいたから。

「私と各務くんが能力を入れ替えていたと知った時点で思い至るべきだったわね。あの時、私たちが薬を使っていなかったことに」

 伴動さんが淡々と種を明かす。

 これは言ってしまえば当たり前の話で、能力を偽るのだから、馬鹿正直に薬を消費する必要はない。針を深く刺しこんで注射を打つフリさえすればいいのだから。

 この土壇場でなければ夜夢瑠々には見抜かれてしまっていただろう。際どい賭けだった。

「ふふ。ははは」

 夜夢瑠々が、ようやく思い出したように笑った。

「確かに迂闊だったよ。つまりこれでお互い、正真正銘すべての切り札を使い切ったというわけだ。ここから先は生身の殺し合い……やはり私の方が有利な状況は変わっていない」

「片目と片腕を失った君が有利? 僕は生まれてこの方喧嘩で負けたことはないんだぜ」

 わかりやすく虚勢。喧嘩をしたことがないから負けたことがないのは事実だけど。

 周到に準備をして作戦が的中した。玖恩さんが攻撃された時も薬を温存した。そこまでしてようやく互角の条件に持ち込めたというだけだ。

 夜夢は本来なら立っていることすらできないほどの重傷を負っているが、先に見せた人間離れした戦闘力に加え、身体の一部を失ってもけろりとしているその異常な精神性。

 こんな怪物に勝てるだろうか。

「この怪我のことなら心配はいらないよ」

 僕の逡巡を見透かすように、夜夢瑠々が言葉を紡ぐ。

「言っていなかったけれどね、私は能力の副作用で痛みを感じないのさ」

「なんだと?」

「本当だよ。私には痛覚も温覚も冷覚もないんだ。性感は人並み以上にあるけどね。だから、ちょっと視界が狭くなって利き腕のリーチが半分になっただけだよ。戦うのになんら支障はない」

 と、一歩踏み出して間合いを詰めてくる。

 その言葉の真偽はさておき、有効な牽制であることは確かだった。

 足が出ない。もしここで負けたら。僕だけじゃない、ここにいる全員が死ぬことになる。

「各務くん」

 名を呼ばれて振り向くと、伴動さんが。

「私も戦うわ。軽くたたんでやりましょう」

 そんな台詞とともに、微笑んだ。

「……僕よりよっぽど男らしいんだよなあ」

「なによ。女子力はさらに高いわよ」

「マジで?」

 じゃあ、せめて男子力だけでも挽回しないとな。

 ようやく僕は地面を蹴った。

 夜夢瑠々は余裕の表情で迎撃の姿勢を取る。視界の悪さを補うためだろう、右半身を前にして斜めに構えている。右腕は使えない、とすれば左の突きか蹴りだ。

 予想通り、蹴りが飛んできた。ガードの上からでも衝撃が伝わる。右腕が折れたかもしれない。構わない。片腕くらいくれてやる。

 その代わり、止まってやらない。

 身体ごとぶつかり、そのまま後ろに押し倒すと、僕より体重の軽い夜夢瑠々は簡単にひっくり返った。抵抗できないように左腕を右足で抑えつけ、左肘で首を圧迫する。

 このまま締め落としてやる。

 だが次の瞬間、もの凄い力で身体ごと持ち上げられ、前方に投げ出された。ブリッジの要領で跳ね上げられたのだ。信じがたい膂力。

 体勢を立て直すが、すでに夜夢は反撃に移っていた。あろうことか右腕の傷口で殴りつけてくる。肘が鼻頭にめり込み、僕は誰のものかわからない血にまみれながら仰向けに倒れた。

 今度は夜夢瑠々が僕に跨り、マウントを取られる。

「こっちも仲良くお揃いといこうじゃないか」

 夜夢は左手をチョキの形にし、僕の目に向けて振り下ろしてきた。

 なんとか両手で掴んで防ぐが、体勢が悪く力が入らない。じりじりと夜夢の指が眼前に迫ってくる。

 指が僕の眼球に触れたその瞬間――夜夢の後頭部を、振り下ろされた椅子が殴った。火花のように鮮血が飛ぶ。

「その手を放しなさい! 私が相手よ!」

 伴動さんが叫び、再び椅子を振りかぶる。

 しかし、振り下ろされた二撃目は、僕の両目から離れた夜夢の左腕によって止められた。引き剥がすように椅子を奪うと、返す刀で伴動さんを薙ぎ払う。伴動さんの軽い身体はブリキの人形みたいに吹き飛んでいった。

「行為の最中に邪魔をするなんて野暮だね君は。順番に相手してあげるから、カガミンがイクまで待っててくれたまえ」

 そう言い放ち、再び僕の両目に指を挿しこもうとしてくる。


 ――なんでだ。

 どうしてこいつは、平気でこんなことができるんだ。他人を操って、出逢ったばかりの人間を殺して火をつけて。用済みになれば呆気なく殺して。相手の傷を抉るようなことを言って。泣かせて。怒らせて。相手の親しい人間を傷つけても涼しい顔で。

 そんなことを「楽しい」と言うのだろう。

 僕は上井出じゃないし、ヒーローなんて頼まれたってごめんだ。

 でも、それでも……こいつだけは!


「おっ?」

 勢いよく頭を上げた僕に、夜夢が驚いた声を出す。

 指が目にめり込んで全身を電流のような痛みが貫く。しかし同時に、僕の左手の人差し指も夜夢の右目をとらえていた。目潰しのクロスカウンター。

「うっ!?」

 夜夢がのけぞり体重を浮かせた、その隙にすかさずマウントから脱して距離を取る。

 夜夢は右目を抑えてうずくまっていた。潰すとまではいかなかったが、視力を奪うことには成功したようだ。僕の右目からも涙だか血だかの体液が流れ出ていて瞼が開かないが、気にしていられない。この好機を逃すわけにはいかない。

 夜夢の頭部めがけて夢中で蹴りを放つ。硬い衝撃。小さく呻き声を洩らして地面に転がり、そのまま転がって距離を取ろうとする――その先には、玖恩さんが横たわっていた。

 僕が追いつくのよりも一瞬早く、夜夢は玖恩さんの身体を盾にした。手探りで玖恩さんの姿勢を把握し、頭部を両腕で挟み込むように持ち上げた。

「そこまでだカガミン。彼女はまだ生きている。だけど一歩でも近づいたら、このまま首をへし折る」

 僕は内心舌打ちをした。あと一歩というところだったのに。

「さすがに驚いたよ。まさか目を捨てるとはね。痛覚のある君には地獄のような苦痛じゃないのかい?」

「黙れ。あれだけ大口を叩いておいて、いざとなったら人質か? 僕なんかを相手に、恥ずかしくないのかよ」

「矜持や流儀なんて犬にでも食わせるさ。どうだいカガミン、この辺で休戦といかないか? こういう泥臭い取っ組み合いは好みじゃないんだよ」

 ふざけるな、と叫びたい衝動にかられるが、なんとか飲み込む。

 膠着状態。このまま時間を稼がれて回復されるのはまずい。じきに右目も見えるようになるだろう。対してこちらは身体が思うように動かなくなってきている。

「まったく、本当に予想外だよ。警戒すべきは『金縛り』の能力者だと思っていたが、『精神感応』なんかに手こずらされるとは。木花さんの時に遊んだりせず真面目にやってれば簡単にいっていたはずなのにね。まあでも、それだと楽しくなかったけれど」

「……なんだって?」

「いやね、いきなり黒焦げの死体が見つかったら面白いだろうと思ったんだよ。何事も遊び心が大事だからね。だから華雅くんを選んだ。実際盛り上がっただろう?」

 全身の血が沸騰した。

 衝動のままに足を踏み出そうとした――が、夜夢の台詞から感じた違和感が僕の理性を引き止めた、その時だった。


「うおらあああああーーっ‼」


 耳をつんざくような大きな声が響き渡った。

 声の主は天照さんだった。いつの間に目を覚ましたのか、うつ伏せに倒れたまま、右手を前にかざしていた。

 彼女が何をしようとしているのか、目の見えない夜夢には気付けるはずもなく――反対側から猛スピードで吹っ飛んできた車椅子が、夜夢の頭部に直撃した。

 血飛沫が舞う。玖恩さんの頭から夜夢の手が離れた。


 僕は祈った。


 ――ようやく、仇が取れるよ。


 露になった夜夢の顔面に、僕の渾身の右フックが命中した。

 仰向けに倒れ、ぴくりとも動かなくなった夜夢瑠々を見下ろしながら、僕はようやく、右腕と右目の痛みを感じていた。

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