007 ほどけぬ糸、まんじりともせず

「さて、どうする。俺たちも部屋に戻ってカードでもやるか?」

 カズのその提案は魅力的だったが、僕にはまだ懸案事項が残っていた。

「いや、やっぱり美來のところに行こうかと思う。夜夢さんたちと一緒にいるってのもやっぱり気になるし、二時間後と言わずに今すぐに」

 そう答えると、カズは肩をすくめた。

「しゃあねえな。なら俺が代わりに行って見て来てやるよ。お前はミサンガの方なんとかしとけ」

「なんだよ珍しいな、いつもならそんなの面倒くさがるくせに」

「くそ面倒だよ。でもお前はどう見ても冷静じゃねえし、放っておくと後々さらに面倒なことになりそうだからな、面倒の芽は早めに潰しておくに限るってだけだ」

「う……」

 確かにカズの言う通り、僕が行ったところで事態が良い方向に転がるとは考えにくかった。

「わかった、じゃあ悪いけど、そっちは任せていいか? 僕はもうしばらくここにいるから、終わったら合流しよう」

「へえへえ」


 カズが出ていき、一人食堂に残った僕は、ミサンガを作り直すことにした。

 制服のベストを脱いで、注意深く繊維をほどいていく。紐状にすればもう一度同じやり方で作れるはずだ。ハンドメイド感が減ってしまうのは残念だけど、この際仕方ない。

 無心で手を動かしていると、頭が回転し始める。

 この不可解な状況……先ほどの議論を踏まえると、三つの可能性が考えられる。

 まずは施設側の仕組んだテストである場合。

 これが最も可能性が高いと思うが、しかしその目的が不明だ。いくつか仮説は出たものの、いずれも説得力に欠けている。

 次に、何かしらのイレギュラーが生じた結果である場合。

 僕たちには及びもつかない何か大きな力が働いたとか、第三者がこの施設に介入してきたという可能性だ。夜夢さんの言う「何者かの意思」というのもここに含まれるだろう。彼女には何か思い当たる節でもあるのだろうか?

 最後、三つ目。この中の誰かが仕組んだ場合。

 だが、これはないと言っていいだろう。

 他のメンバーの能力を知らない僕たちにはあのリストは作れないし、施設がこの状況を黙って見ているわけもない。施設とグルという可能性は……いや、それこそ誰にも何のメリットもない。

 いくら考えても答えは出ない。それなのに、漠然とした不安が頭から離れない。

 何かよくないことが――起ころうとしているという予感。


 ぶちっ。


 と。

 知らぬ間に力を入り過ぎてたいのか、ほどこうとした紐が切れた。

「よくないこと……起こった」

 ベストを放り捨てる。

 なんで僕はこんなにイライラしているんだろう。

 怖れているのか? 何を?

 ダメだ、どうにも感情が昂ってしまっている。

 こんな時は……そうだ。二点倒立でもして落ち着こう。


「何をしているの?」


 天井に逆さまに張り付いている伴動さんの姿が視界に入る。憐れむような目で僕を見上げて——いや、見下ろしていた。

「いや、これはその、違うんだ。ちょっと遊んでたっていうか……」

 なぜ伴動さんがここに? 部屋に戻ったはずではなかったのか。

 誰もいないと思ったから逆立ち歩きしながらビートルズの『Ob-La-Di, Ob-La-Da』を口ずさむという僕の気分転換ルーティンに勤しんでいたのに。

「これはほら、筋トレだよ。男子たるもの身体を鍛えないといけないからね。ふざけてると勘違いされたら困るからいつもは部屋でしかやらないんだけど、いやはや、まさか見つかってしまうとは、参ったなハハ」

「…………」

「伴動さんはどうしてここに? 何か忘れ物とか?」

「……………………」

「あの、伴動すわん?」

「…………………………………………」

「すみません、ふざけてました。馬鹿でごめんなさい。お願いですから何か喋ってください」

 このまま絶対零度の視線にさらされ続けていたら凍死しそうだった。

「各務想介くん」

「え?」

 フルネームで呼ばれた。

「あなたに話が、あったのだけど」

「僕に話?」

「話があったと、思うのだけど」

 おや、推定形になった。

「なかったことになりました。それじゃあ私はこれで」

「ちょっと待った!」

 いや、確かに今目撃したことはなかったことにしてほしいけど!

 このまま去られたらいたたまれなすぎる!

「わざわざ話をしに来たってことは、それなりに重要な用事なんじゃないのか?」

 何か発見があったのか、あるいは提案か。なんであろうと聞いておきたい。

 いやそれ以前に、「伴動奏子に話しかけられた」という超レアなこの出来事は、それだけで取り逃してはならない理由になる。

 伴動さんは口をつぐんだまま、僕から視線を逸らした。

「……やめておくわ。これはまだ、差し迫って必要と言えるほどの話じゃない。無駄に話しかけてしまってごめんなさい。このことは忘れて。それじゃ」

 言うが早いか、扉の前から姿を消してしまった。

 何の用事だったのだろう。よりにもよって伴動さんにこの姿を見られてしまうとは……。


 その時、カズが両手をこすり合わせながら入ってきた。

「おい、いま伴動とすれ違ったけど……ってお前、何してんだ?」

 僕の姿を見るなり呆れたような声を出す。

「やあカズ。報告を聞こうか」

「逆立ちしたまま何言ってんだ。脳味噌逆さにしても馬鹿は治らねえぞ」

 憎まれ口を聞きながらストーブの前にしゃがみ込む。

「しかし寒いな今日は。体の芯から冷えちまった」

「あ? 寒いなんてことはわかってんだよ。こっちはあの三人がどんな様子だったかって訊いてんだよ」

「なんでキレてんだよ。逆立ちのせいで頭に血昇ってんのか。別に、普通だったぜ。夜夢の部屋で三人でくっちゃべってただけだ。ついさっき解散して、全員部屋に戻った」

「普通に、ねえ……」

 あの三人が普通にって、どんな会話をしていたのだろう。。

「それから、美來からの伝言を預かってきた。二十分後に一人で部屋に来いってよ」

「え、マジ?」

 時計を見ると、もう十時半を過ぎていた。あれから一時間近く一人で作業していたことになる。

「でも、まだミサンガできてないんだよ。あと一時間くらい後じゃダメかな」

「悪いこと言わねえから言われた通りにしとけって」

 ストーブに両手を当てて温めているカズが首だけをこちらに向けて言う。

「二十分後だぜ。ちゃんと行けよ」

 それからカズはすぐに食堂を出て行き、食堂にはまた僕だけが残った。

 呼び出しがかかったのなら仕方がない。ミサンガは間に合わなかったが、それも含めて正直に話すしかないだろう。


 ——そして十分後。

 たった二十分も待ち切れなかった僕は、丈の短くなったベストを着て、美來の部屋の前に立っていた。

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