004 願掛けの方程式

 それから僕たちは近くの茂みに入り、ノブドウの蔓の採取に取りかかった。ノブドウはこの季節になるとちょうど実が色づき始め、美しいグラデーションを見せる。蔓も細くしなやかで、編み込むのに適していそうだった。

 なるべく丈夫そうで、傷のついてない蔓を慎重に選ぶ。

「この実キレイだねえ! ミサンガにつけたら可愛いかな?」

 木花がノブドウの実に顔を近付けて、指でつつく。

「そうだな。だけどノブドウの実は虫えいが多いから、やめておいた方がいいよ」

「ちゅうえいって何?」

「虫が寄生してるってこと」

「ふぎゃあっ!」

 猫のような悲鳴をあげて飛びのき、そのまま後ろ向きに転がる。

 そういえば大の虫嫌いだったっけ。

「もう、そういうことは私の思考を読んで先に言っておいてよ!」

 無茶を言うなと思いつつ「ごめんごめん」と謝りながら背中を払ってやる。

 ミサンガが切れるのが先か孵化が先か、なんて笑えないチキンレースで不興を買うのも阿呆らしい。チャームをつけるのは難しくても、せめて彩り豊かに色をつけるくらいはしてやろう。

 しかし……ここ最近やけに木花のテンションが高いとは思っていたのだが、そういう訳だったのか。「誕生日イコール楽しいイベント」というイメージが僕の中にないから気付かなかった。

 十七歳ということはつまり、僕の誕生日までの短い期間とはいえ、今まで歳下だった木花が同齢になるわけだ。後輩の女子がある日いきなり同級生になるみたいな感じがして、妙にむずがゆい気分になる。

 同じクラス。

 隣の席の木花美來。

 …………。

「なあ木花」

「美來だよ」

「え?」

「名前で呼んでって言ってるじゃん。私もカズも『想介』って呼んでるんだから、想介もそうしなきゃダメなんだよ」

 雑談でもして邪念を振り払おうと話しかけたのに、よりによって名前呼びを求められるとは。

「いやー、まあまあ、苗字でもいいじゃん別に」

「なんで? カズのことは名前で呼んでるじゃない。ヒーキだヒーキだ。風紀で兵器を放棄だ」

「壮大な理想論をかざすな」

 いくら仲が良いといっても、女子を下の名前で呼ぶのはどうも肌に合わない……が、そんなプラトニックな機微は理解してもらえそうにない。

「わかったよ、呼べばいいんだろう。それで美來、ミサンガには何をお願いするんだ?」

「ヒ・ミ・ツ♡」

「……なんだそりゃ」

 語尾のあざといハートマークが気になるが、当日までは内緒にするつもりらしい。

 悔しいので自分なりに予想を立ててみる。たとえば、僕がミサンガをもらったら、どんな願いを込めるだろうか?

 ——外に出ること。

 それはない。それだけは。

 そんなことはこれっぽっちも望んでいない。

 あのお姉さんの言うように、能力の副作用を恐れる気持ちもあるけれど、痛い思いをしてまで能力を使わないでいるのは、僕にとってもっと重大な理由がある。

 ——外に出たくない。

 強いて言うなら、僕の願いはそれだ。


 この病気は、罹患してすぐに診断が下されるとは限らない。

 明らかな超常現象を引き起こす能力であれば周囲が気付いてしまうが、そうでない場合は、本人さえ黙っていればまずバレることもない。そもそも自覚症状すらない場合もある。

 僕も最初はなかなか気付けなかった。

 能力に目覚めてから二年も経ってようやくこの更生センターへ連れて来られたわけだが、それ以前のことは思い出したくもない。

 ここへ連れて来られ、本当の意味で孤独になって、ようやく僕が取り戻した最初の感情は“安堵”だった。

 だけど、木花はきっと僕とは違う。

 未来に希望を抱いている——根本的に、僕とは向いているベクトルが違うのだ。

 だとすると、木花の願いはきっと……。


「あううー」

 うめき声に顔を上げると、長い髪を木の枝に巻き付かせて、こんがらがったマリオネットのようになっている木花が、泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 ほほう。これはこれは。

「ニヤニヤしてないで助けてえ」

「悪い、あと十秒待って。目に焼きつけるから」

「なんでやねん、しばくぞワレ!」

「いきなり口悪っ!?」

「おい、何してんだお前ら」

 少し離れたところで作業をしていたカズも事態に気付いたようで、呆れ顔で近づいてきた。

「何がどうなったらそんなことになるんだよ。手伝うどころか手間増やしやがって、このトンマ」

 悪態をつきながらも髪をほどきにかかったので、僕も仕方なく加勢する。

「しかし本当に髪長いよな、木花……美來は。伸ばしてるのか?」

「伸ばしてるっていうか、切ってないだけだよ」

「何が違うんだよ」

 髪の話題で、ちらっと伴動さんを思い出す。彼女もかなり伸ばしているが、木花の髪の長さはその比でない。

「邪魔くせえから切ってもらえよ。カイワレじゃねえんだから、髪なんて伸ばしたところで何の役にも立たねえだろ」

「ちょっとカズ、なに言っちゃってるのよ! 乙女の髪ってのはね、中年男性の毛根と同じくらい価値のあるものなんだよ!」

「乙女がする喩えじゃないぞ」

「それにね、これは願掛けでもあるんだよ。願いが叶うまでは切らないって決めてるの」

「願掛け?」

 それは初耳だった。願掛けといえば、今から作ろうとしているミサンガもそうだが。

「ほれ、ほどけたぞ」

 最後の枝を乱暴に取り払い、カズが木花の頭をポンと軽く叩くと、木花はふてくされたように口を尖らせた。

「ふん。一応、お礼を言っておこうか」

「なんで上から目線だよ。脳味噌までほどけたのか」

「だって扱いが雑なんだもん。二人にはわからないだろうけど、乙女の髪のお手入れは大変なんだからね」

「知るか。俺はお前が坊主でもアフロでもひとつも困らねえよ」

「ふっ」

 マイペースに喋り続ける二人のやり取りを見ていて、つい噴き出してしまう。

「あっ」「お?」

 二人が同時にこちらを向いたので、僕はたじろいだ。

「な、なんだよ」

「やっと笑ったね、想介」

「ずっとしけたツラしてたからな」

 ……不覚。

 気を遣わせてしまっていたのか。

 今朝変な夢を見たせいだろうか、昔のことを思い出してしまって気分が沈んでいたのだが、まるで隠せていなかったらしい。

「カズと美來ってホント、兄妹みたいだよな」

 照れ隠しにそう言うと、二人は顔を見合わせ、「俺の妹がこんなヌケサクなわけあるかよ」「私のお兄ちゃんがこんなガラ悪いわけないでしょ」と、絶妙な息の合い方を見せてきた。

「想介、今の発言はあれだろ、俺とこいつを兄妹扱いすることによって俺をライバルの座から蹴落とそうって肚だろ。安心しろ、俺はロリコンじゃねえ」

「し、心外だ! そういうつもりで言ったんじゃない!」

「そうだよ、ハイティーンはもうロリータじゃないよ!」

「いや、そうだけどそうじゃない」

 僕はただ「兄妹みたいに仲が良くて微笑ましいね」というニュアンスで言っただけだ。


「さておき、これだけ集めりゃ充分だろ。寒いし戻ろうぜ」

「そうだな。もういいよな、こ……美來?」

 秋とはいえ山なので、日が暮れてくると気温はかなり低くなる。

 が、木花は首を横に振った。

「ミランダ二つ分にはまだ足りない」

「誰だよ」

 蔓で人体錬成でもやる気か。

「お前、二個も作る気かよ? 髪の願掛けにミサンガ二つって、欲深いにも程があるぜ」

「違うよ、三つとも同じ願いだもん。同じというか、重なり合ってるっていうか。ほら、願掛けの“掛け”は掛け算の“掛け”でしょ? つまり三つ重ねれば三倍叶いやすくなる、というわけなのだよ」

「じゃあお百度参りでもしたら」

「千羽鶴でも折ってろ」

 カズと息が合う。

 わけなのだよ、とか言われても、願い事の当選確率はそんな安易な計算式で導き出せるものでもないだろう。

「それに、二つとも私がつけるわけじゃないしね」

「ふうん?」

 そうなんだ……って待て待て。それはどういうことだ?

 二つ目は他の誰かがつけるということか? ペアリングならぬペアミサンガなのか?

 それってなんだか、とても特別な相手って感じがするが……。

 正直、それが自分なんじゃないかと期待する気持ちが、自惚れだと自覚しつつも、ないわけではない。

 だけど、不安の方がよっぽど大きい。

 選ばれない恐怖の方が。

「お前、俺たちが贈ったミサンガを他の奴にくれてやるつもりなのかよ?」

 カズの問いに木花は「にひひ」と笑った。

「大丈夫、二つ目は私が作るから。どっちもちゃんとプレゼントになるんだよ」

 ますます意味がわからない。

 けれど何故かカズはピンときたようで、「ああ、そういうことか」と笑った。

「なんだ、わからないの僕だけかよ」

「想介には当日まで内緒だね。きっとビックリするから、楽しみにしててよ!」

 と、悪戯っぽい笑顔を向けてくる。

 ううむ。楽しみにしていていいのか。

 それは——とても楽しみだ。

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