第28話 少年、「人生を変える一発」を見つける(後編)

 先程、響き渡った轟音は銃声だったようである。


 宿木は整った顔に狂気に満ちた笑みを浮かべながら僕らに迫ってくる。


「僕がしっぽを巻いて逃げたとでも思ったか。……こいつを取りに行っていたのさ。量子コンピュータがあれば銃器の設計図なんて簡単に手に入る。あとは3Dプリンタで原形を作って口の堅い鋳造所に頼めば、こうして圧倒的な力を手にすることができるわけだ」

「窃盗に違法アクセス、監禁に加えて今度は銃刀法違反か? もうすぐ警察が来る。諦めた方が良い」


 花咲は両手を上げながら諭すように告げた。


 僕も彼の暴挙を止めようと説得するつもりで声をかける。


「そんな純正品でもない粗悪な模造部品を素人が組んだような拳銃で本当に大丈夫か? 暴発するか、そうでなくともまともに飛ぶとは」


 再び『バァン!』と轟音が響く。

 

 僕の言葉を遮るように更に宿木は足元に発砲した。


「黙れよ! いいからお前はどけ。僕の目的はその女だ。そいつだけでもさらって逃げれば、まだ何とかなる! 逆らうようなら次は当てるからな」


 落ち着くんだ、とにかくできることをしようと僕は自分に言い聞かせた。何とか会話を引き延ばして警察が来るまで時間を稼げないだろうか。


「そんなことをしたところで、既にお前が自白した動画がネット上に流れて大多数の人間に見られてしまったんだ。もう無駄なことはやめろ」

「それなら、せめてその女を殺すまでだ!」


 宿木は息を荒げながら血走った目で、花咲に向けて銃を構え続ける。


「なぜ。……何でそこまでするんだよ。花咲は仮にもお前と半分血のつながった姉なんだろ? 義理とはいえ姉弟なんだろう? どうしてそこまで憎むんだよ」

「お前にはわからないだろうよ。昔からあの母親にずっと比べられ続けてきた。『あんたの姉はこの年で才能を発揮して、何百万もの年収を得ている』『どうしてあんたにはできないのか』ってなあ。僕は必死に頑張って高校で飛び級までして海外の大学に留学までしたっていうのに、あの女は僕をいまだに認めたことがない」


 花咲の父親を捨てたというあの母親のことか。遺産目当てで自分の娘を引き取ろうとしてはねつけられたことが、ひどくプライドを傷つけたようだ。自分が見捨てたはずの男との間にできた娘が、実は優秀でしかも自分よりも父親を愛していた。


 それは花咲の母親からすれば気に入らない事実だったのだろう。だから自分の花咲の父を切り捨てた選択は間違っていないと思いたくて、新しい夫の間にできた子供「宿木高志」に自分の理想と対抗心を押しつけ続けていたのだ。


「こいつが劣っていることを証明しないと! それができないならこいつをこの世から消さないと! ……僕の人生は始まらないんだよ」

「可哀そうなやつだな、君は」


 僕と同じことを思ったのか、花咲がポツリと呟いた。


「うるさい! お前になんて同情されたくない!」


 その言葉と同時に宿木の指先に力が入る。


 僕ははっとなった。宿木の銃口は確実に花咲の方を向いている。


「花咲っ!」


 僕は考える間もなく、彼女をかばうように拳銃に背を向ける形で飛び出していた。


 轟音。破裂。


 数瞬後に震えるような激しい音がさっきより間近で聞こえ、背中になにか熱い痛みが走った。


「は、花咲。無事か?」

「う。うん。……草壁くん!」


 どうやら弾丸が当たってしまったらしい。痛みとぬるりとした出血が服にしみていくのを感じる。

 

 ドクンドクンと心臓が鼓動を打つたびに背中の痛みも激しさを増しているようだ。それと同時に何か熱いものが背中から抜けていくような気がした。


 全身にしびれが走り、力が抜けそうになるのを自覚する。


 もう駄目なのかもしれない。


 ……いや、まだ彼女を守り切れていない。ここで終わるわけにはいかないじゃないか。


 僕は最期の力を振り絞って宿木に振り返った。


 宿木が僕の気迫を感じたのか「ひっ」と怯えたように声を漏らす。


「お前に彼女は傷つけさせない!」


 僕は宿木に飛びかかる。奴も引き金を引こうとするが、既に数メートルの距離まで詰めているのだ。まともに狙いをつける暇など与えるものか。


 僕は雄たけびを上げて、そのまま宿木に拳を叩きつけた。


 宿木はそのまま勢いに負けて、階段から落下する。そのまま起き上がってはこなかった。どうやら気絶したようだ。


「く、草壁くん」


 花咲が近づいてきたが、流石に限界が来たようだ。力が抜けて体が傾いていく。


「草壁くん!」


 花咲は倒れかけた僕を抱きとめてくれた。

 

「花咲。……あの、さ」

「な、なんだ?」

「前に人生を変える一発を叶えてくれると言っていたよな」

「あ、ああ」

「今ようやくわかった。……僕にとっては、大切な女の子を守ることだ。それこそが僕にとっての『人生を変える一発』だった」

「え?」

「……僕は、さ。子供の頃、誰かを守る『ヒーロー』に憧れていたんだ。だけどだいぶ前に諦めて、自分に見切りをつけていた。僕は自分を駄目な奴だって思い込んでいた。……そんなことは無理だって」

「草壁くん?」

「……でも、ほんの少しの間だけど、花咲のおかげで誰かを守れる自分になれた。花咲は約束通り僕の人生を変える一発を叶えてくれたんだ。……ありがとう」

「そんな、私は何も」

「最期に好きな女の子を守れて良かった。……僕は花咲に会えて良かったと、本当にそう思って」


 花咲はここで困ったような顔で僕の言葉を遮る。


「いや。あのう、勘違いしているかもしれないが、君に弾は当たっていないぞ?」

「えっ?」


 僕は思わず目を見開いた。


 花咲は「ほら」と床に落ちている鋭くとがった金属片を指さした。


「宿木の放った弾丸は狙いがそれて、後ろの量子コンピュータに当たったんだ。それで金属部品が砕けてはじけ飛んで、君の背中にわずかに刺さっていた。まあ、何針か縫うかもしれないが命に別状はないと思うよ。……コンピュータは修理の必要がありそうだが」

「なーんだ。そうだったのか」


 とほほ、とため息が出そうになる。とんだ早とちりだ。


 いや、それどころか死ぬと思い込んで相当芝居がかったことを口走ってしまった気がする。羞恥心で顔から火が出そうである。


「僕って馬鹿だなあ」


 思わずそんな言葉がついて出る。


「何を言うんだ。君が私を守ってくれたことには変わりないよ」


 そう言って彼女は微笑んだ。


 僕は花咲の手を借りてよろよろと立ちあがる。それから僕らはゆっくりと階段を下りて行った。一階の倉庫の床には気絶した宿木が横たわっている。


 憎むべき敵には違いないが、可哀そうなやつでもあった。


 ルックスにしろ、海外の大学に飛び級で入学するのほどの知能にしろ平凡な僕に比べたら何まわりも上回っているのは確かだ。若くして会社を興し、ベクトルこそ犯罪に向いてしまったものの、目的を実行する計画性と行動力も備えている。


 それなのに母親からさらに優秀な姉と比較され歪んだ理想をぶつけられたばかりに、復讐心に憑りつかれてしまった。


 あるいはこの一件が彼の目を覚ましてくれたら。罪を償って社会復帰した後で、その才覚を正しい方向に使うことができれば新しい人生も手に入るのだろうか。


 もしそうなら、ここで失敗したことも彼にとっては「人生を変える一発」になりえるのかもしれない。


 ふと見ると扉向こうの港近くの道路に赤く点滅する車のライトがいくつも集まり始めていた。


「ようやく警察が来てくれたみたいだな」

「ああ。……あと数分かそこらといったところかな」


 ふと僕は彼女と身を寄せ合っていることに気が付いた。さっき怪我を負ったために彼女の肩を借りて階段を降り、そのまま一緒にいる形だったのだ。


 しかも花咲はずっと下着姿の上に白衣を羽織っただけの煽情的な格好である。


 僕は急にそのことを意識して、つい彼女を凝視していた。


 花咲がそんな僕の内心を知ってか知らずか、僕の顔を見つめ返して口を開く。


「それにしても、君も意外とずるいやつだな」

「えっ? 何のことだ」


 何を言っているのかわからない。僕は彼女にそしられるようなことをしただろうか。


 しかし彼女は少し顔を赤くしながらも、いつものようにからかうような笑みを浮かべる。


「君、例の惚れ薬を使っているだろう。どこかで宿木が作ったフェロモン香水をくすねて使っているんじゃないか?」

「……そ、そんなことしていないよ」


 言いがかりである。ここに来てからそんなことをする暇はなかったし、僕はそんな香水は使っていない。


 だが彼女は僕の目をまじまじと見つめて「本当かな?」と僕の耳元で甘く囁いた。


「だって、さっきから。君が、私のことを好きだと言ってくれてから、君に触れて繋がりたいという気持ちが……止まらないんだ。おかしいじゃないか、こんなの」


 そういいながら花咲は潤むような目で僕を見つめて、背中に手を回してきた。


「でも、あれはある程度の信頼関係がないと効果がないって花咲だって言っていただろう」


 彼女は数週間前にこう言っていたではないか。


『恋愛というものに幸せを見出すことができない』

『他人の心だなんて、ちょっとしたことで変わってしまうようなものに自分の幸せを委ねることが怖いんだ』


 今、僕の目の前にいる彼女は「……そうだな」と呟いた。


「私のことをここまで一心に信じて、ついてきてくれるような男の子には初めて出会った。……だから、優しい優しいこの私は君が惚れ薬を使ったことは特別に許してあげよう。その代わりに効果が切れるまで私をこんな気持ちにさせた責任を取ってもらうからな」


 それならばずっと効果が続いてほしい。


 そんなことを考える僕に彼女の顔が近づいていた。


 直ぐ数センチ先にある彼女の瞳に心を吸い込まれてしまいそうだ。


 倉庫の床に落ちる僕と彼女の影はしばらくの間、一つに重なっていた。


 たっぷり数十秒はお互いの心と体を通じ合わせたところで、『あのう、お二人さん?』という遠慮がちな声が僕のポケットから聞こえてくる。


 宇田の声である。


 僕は今更ながら、携帯電話の通話をオンにしたままだったことを思い出した。


『盛り上がっているところ悪いんだけれど、さっきからずっと会話が聞こえているからね』

『なんか、こう微妙な気持ちになるね』

『いやあ、あんな面倒そうなやつを好きになるとはねえ。苦労しそうな気がするがな』


 鴨井と果部のからかうような声も聞こえてくる。


「ええ?」と僕は思わず動揺で顔を引きつらせる。


「は、花咲。どうしよう。今の全部、みんなに聞かれていたみたい」


 花咲は僕の言葉に少し困った顔をしてから「まあ、仕方がない」と頷いてこう答える。


「量子コンピュータの修理が終わったら、最初にみんなの記憶を消す薬を作ればいい

さ」


 花咲の冗談とも本気ともつかない発言に『それはやめろ!』と友人たちの抗議の声が電話の向こうから聞こえてくる。

 

 僕と花咲は顔を見合わせてクスクスと笑いあった。

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