第5話 わたしの居場所

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 四月七日

 外回りを無事にこなし会社に戻ると事務所では社員達が何やらにぎやかに盛り上がっていた。

 ここの明るく活気のある雰囲気は好きだ。親近感を得やすいというのはきっと生い立ちによる。私は町工場の娘であり工場には馴染みがある。実家と比べるとここは規模が違うので少々失礼かとも思うが、社員がまるで家族のように心を通わせる会社の雰囲気は似ていると言ってもよいだろう。

 雰囲気といえば、ここは金属機械メーカーということで鉄や油の匂いがする。そういう空気も育った環境とよく似ていて心が安らいだ。

「おう菜月ちゃん、おかえり、ご苦労さん!」

「ただいまです、山本さん」

 山本さんが私を見つけて声を掛けてくれた。この山本さんの「おかえりと」と「ご苦労さん」も私は大好きだ。

 ……そういえば前の会社にはこのような気安さはなかった気がする。

 フランクにいこうって、口で言ってはいたけれど、みんなどこかで他人と一線を引いてお行儀がよかった。整然として品はあったが、今を思えばお高く留まったように見えなくもない。会社の設立当初には、そのようなこともなかったのに、

 あそこは、いつからあんな空気を持つようになったのだろう。

 ふと思索に耽る。

 だがしかし考えることを止めた。自分には元々こういう職場が合っていたのだと思えたし、何よりここは居心地がいい。自分が好きな所にいるのだからそれでいいじゃないか。

「菜月ちゃん、帰ったところで悪いんだけど、ちょっと頼み事をしていいかい? これなんだけど」

 谷本さんが私に声を掛け一枚の紙を手渡してきた。

「お花見、ですか?」

「ああ、菜月ちゃんは初めてだったね、そうだよ花見。全員がいっぺんに参加するってわけでもないんだけどね、まぁここの連中は何かといえば集まって騒ぎたがるじゃないか、それで毎年ね」

「いいですね! お花見」

「そうかい! あんたも好きな方かい」

「はい!」

「そりゃよかった! おいみんな、今年は菜月ちゃんも参加だよー!」

 谷本さんの声を聞いて、事務所の中が更に賑やかになる。受け入れられているのだと感謝の念が湧いた。

「それでね、菜月ちゃん、用ってのはさ、これを工場に持っていって中身を知らせてきて欲しいんだよ」

「いいですよ、で、誰に渡せばいいんですか?」

「ああ、工場に責任者をやってる浅田あさだ竜矢りゅうやってのがいるからさ、その子に渡しておくれ」

「浅田さんですね、わかりました」



 工場は事務所のすぐ隣だったが……そういえば入社時に説明がてら案内されたきり尋ねることがなかったな。

 入り口まで来て空を見上げる。すっかり日は落ちて暗くなっていたが、工場の中を覗くと煌々と照明が灯されていて昼間のように明るかった。

 中に入ると、直ぐに鉄と油の混じった独特の匂いが鼻孔に届いた。私は思わず笑顔になっていた。

 すぐ近くにいた老齢の職人に浅田さんの居所を尋ねると、怪訝そうに顔を向けられてしまった。私は入社して日が浅い。チラシを持つ見知らぬ女を不審がっているようだ。私は慌ててチラシを見せた。すると途端に険が取れ、目つきも変わり優しい顔になった。その人は「なんだよ」と頭を掻きながら浅田さんのいる所を指差して教えてくれた。こういう無骨な感じも職人さんらしくて良いなと思いながら、離れ際のその職人さんの背中をみて父のことを思い出した。そういえば最近ろくに電話もしていない。父は元気だろうか。


 教えてもらったところへ着くと、真っ黒に汚した作業着を着た色黒の男性が何かの部品と格闘中だった。

 職人が機械に向かって集中している時は声を掛けてはいけない。小さい頃から父に教えられていたので黙ってその作業を見ていた。暫くすると浅田さんが私に気付き、先ほどの職人と同じような眼差しを向けてきた。

「なんか用か?」

「あ、すみません、お邪魔しちゃいましたね。あの、谷本さんからこれを浅田さんに渡すように言われて参りました」

「ああ、谷本のおばちゃんからか、で、あんた誰?」

 渡した紙に目を落としながら浅田さんが訪ねてきた。

「はい、私は二月にこちらの会社へ途中入社しております。営業の佐藤菜月と申します。宜しくお願いいたします」

 挨拶をすると浅田さんの顔も笑顔に変わった。

「あ、ごめんな。あんた身内だったんだな」

 この反応も先ほどの職人さんと同じだ。

 みんな似るのかな? でも、この感じは好きだな。

 工場の職人の気質が似ているのは、ここに纏まりがあるということだと思うし、このような些細なことからも一体感みたいなものが伝わってくる。

「いま、新型に掛かっていもんでさ、ピリピリしてんだ。見知らぬ顔にしては堂々と入ってくるもんだからどなた様かと思ってな。ごめんよ、今年の花見の話だよなこれ。まったく、こいつを仕上げなきゃならねえってのに、事務所の奴らもお気楽なもんだ」

 小言を言いながらも浅田さんはどこか嬉しそうだった。

「あの、谷本さんに何かお伝えすることはありますか?」

「あ、ああ、じゃ、了解って言っといて、それで分かるから」

「はい、了解!」

 私の答えにキョトンとして目を丸くした浅田さんの様子が少しだけおかしかった。

「お、おう」

「では、作業中失礼いたしました」

 軽く一礼をして事務所に戻ろうとすると、浅田さんが急ぎ口で引き留めるように声を掛けてくる。

「は、花見、あんたも来るのか?」

「ん?」

「あ、い、いや……」

「もちろん参りますよ」

「そ、そうか、で、あんたはいける方かい?」

 浅田さんがグラスを傾ける仕草で聞いてきた。

「もちろん! 浅田さんよりは飲めると思いますよ」

 浅田さんは一瞬だけ固まって、そのあと大きな声で笑った。

「あんた、おもしれえな、これからもよろしくな!」

 いって浅田さんは勢いよく手を差し出してきた。だが、手を伸ばした直後に自分の油まみれの黒い手を見た彼は「あっ」といって手を引っ込めようとした。しかし私はその手を何食わぬ顔で掴み、しっかりと握手に応じた。

 驚いた顔をした後、照れた顔を隠すように下を向いた浅田さんの姿が少し可愛く見えた。

「ご、ごめん。つ、つい、手が汚れてるの忘れてた」

「油で汚れねえ奴は、使えねえ! って実家の父が申していたものですから。私の実家も町工場なんです」

 そういって私が笑うと、浅田さんは違いないといって大きな声で笑った。








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