本編2ー2 狩りの始まり

「エクセリオ様、エクセリオ様!」

「う……ん、何?」

 アウラの緊迫した声に、金色の少年は目を覚ます。お逃げ下さい、とアウラは緊張気味の口調で言った。

「人間たちです、襲撃です! もう、一体何なんですか! アルペはいつか、村ごと移動しなければならない日が来るのかもしれませんね!」

 襲撃、その言葉に、寝ぼけ眼だったエクセリオの意識は完全に覚醒する。

 かつて、メサイアが生きていた時代にも、人間たちによる襲撃は、あった。

 メサイアとの思い出が、悔やんでも悔やみきれない思い出が、エクセリオの原点たる思い出が、彼を突き動かす。

 まだ幼さの残るその瞳に、エクセリオは真剣さを宿した。

「リュエンと、カイオンは?」

「既に迎撃に向かっております。しかし今回の襲撃、これまでのとは規模が違うみたいで……」

「呼び戻す。話を聞くよ」

 鋭く言い放ち、エクセリオは素早く身支度をした。

 その瞳に、その顔に、昨日のような寄る辺なさ、弱々しさは、ない。

 エクセリオはエクセリオなりに、覚悟を決めたようだった。

 彼は右手を横に広げ、手をひらいて、閉じる。すると現れる、灰色の鳩。

 本物そっくりなそれは、本物と遜色ないそれは、エクセリオの作りだした幻影。エクセリオはそれを二羽作り出すと、家の窓から外に飛ばした。するとエクセリオの視界に、鳩の目から見た視界が二つ広がる。エクセリオの頭は三分割された。人間の本体と、二羽の鳩。それでもエクセリオは三つの身体を、何不自由なく同時に動かす。彼の情報処理能力は、人智を超えるほど速く、的確だった。

 本体のエクセリオは、不安げに隣に立つアウラに問う。

「二人は、今、何処へ」

「村の入り口だと思います……」

「了解。僕自身が伝言を送ろう」

 エクセリオの金の瞳には今、猛禽の如く鋭い光が浮かんでいた。その背中には、族長の風格があった。

 逃げないって、誓ったから。精一杯、好きなように、自由に生きればいいと、かけがえのない仲間が教えてくれたから。だからエクセリオは、前に進める。

 もともと弱い少年ではなかった。メサイアのことがショックで、それを引き摺って囚われていただけなのだ。

 エクセリオは、静かに呟く。

「僕はエクセリオ・アシェラリム。翼持つ民アシェラルの、族長だ!」

 死を背負い、死を越えて。後悔の道を歩く。それでもいつかその先に、贖罪の道が開けることを、信じて。

 エクセリオは笑った。明るく無邪気に、無垢で天真爛漫に。――そして、獰猛に。

「――さあ、狩りが始まるよ」

 その背にアシェラルの証たる、純白の翼が広がった。


  ◇


 エクセリオの心を乗せた、二羽の鳩。それは間もなく、襲撃の全貌をその目に捉えた。

 鳩の耳は人間のものとは違い、キャッチできる音が違う。しかしエクセリオは鳩の幻影で作られた身体を勝手につくりかえてほぼ人間と同じ音を捉えられるようにし、また、鳩の喉から人間の言葉が出せるようにした。

 鳩の目で、二羽の鳩の目で、エクセリオは、見る。

 小さな村、山の奥深く、高所にあるこのアルペの村に、

 雲霞うんかの如くやってくる、数多の人間たちの姿を。

 規模が、違う。規模が、違った。これまでエクセリオが経験してきた襲撃とは、規模が。

 これまでは多くても十人程度だったというのに、

 この多さは、何なのだろう。

 その中で、鳩の瞳は見覚えのある暗緑色を捉えた。暗緑色は手に剣を握り、人間たちと戦っているようだった。その顔が少し苦痛にゆがんでいる。よく見れば、彼の暗緑色のマントの肩が裂け、そこから赤い液体が流れだしていた。赤い液体は彼のマントを染め上げていく。

 幻影の鳩は、エクセリオの声で言葉を投げた。

「リュエン!」

「……ッ、いきなり現れないで下さい!」

 不意の声に、人間と切り結んでいたリュエンの体勢が崩れる。しかし驚いたのは人間も同じようで、人間は不思議そうな眼を幻影の鳩に向けた。ごめんごめんと幻影の鳩はエクセリオの声で謝る。

「当の僕から伝言さ。いいかい、今すぐ戻りなさい、というか戻れ。状況説明を頼もうか? その上で作戦会議だ、オーケイ? 今、僕の近くにはアウラしかいないんだよ。もしも僕らに何かあったとして、アウラだけで僕を守れるのかな?」

 リュエンは、頷いた。

「承知した! で、カイオンは?」

「生憎と僕も知らないんだよ。一緒じゃなかったの?」

「……探すか」

 一瞬、リュエンの顔に不安げな色がよぎった。

 リュエンとカイオンは幼馴染だ。三歳年上のリュエンはいつも、あらゆるものを拒絶する雰囲気のカイオンを、まるで弟のように大切に扱っていた。

 そのカイオンが、行方不明。この混乱した状況下で。

 とりあえず、と幻影の鳩は、言う。

「戦線離脱、さっさと僕本体の所に来て。僕の幻影はカイオンを探す。参考までに聞くけど、アイナさんは、どうした?」

 アイナ・アインタス。彼女は前族長ルェルトの妻だ。

 再び襲いかかってきた人間と冷静に剣を交えながらも、リュエンは淡々と答えた。

「死んだ」

「そう」

 対するエクセリオの答えも、淡々としたものだった。

「ま、メルジアを殺した前族長夫婦が死んでも、特に感慨は湧かないけれど。

 ところでリュエン、今、抜けられる?」

「隙を作ってくだされば」

「任せて」

 リュエンの言葉に、幻影の鳩は頷くような仕草をした。

 次の瞬間、

 現れた、幾十の花の幻影。それは何もない虚空から突如ふわりと現れ出でて、濃密な、本物の花の香りを辺りに撒き散らした。

 実体のある幻影。エクセリオの幻影は、人の五感に働きかける。ゆえに見破れない、わからない。日頃から人や物をよく観察している彼の作り出した幻影は完璧で、どこにも不自然な要素なんてない。彼の幻影は魔法素マナで作られているから唯一、魔法素マナそのものを見ることができる「イデュールの民」ならば彼の幻影を見破れるだろうが……。彼らは迫害によって離散し、今はもう、滅多に会えない人種になってしまったから問題ない。

 リュエンと切り結んでいた人間は、花の幻影に目を丸くして動きを止めた。その瞬間、リュエンが背の翼を大きく広げて、飛翔、戦線を離脱する。その身体に追いすがる矢は、エクセリオが生み出した幻影で受け止めてリュエンを守った。

 リュエンは自分の傍らに寄り添う、幻影の鳩に呟いた。

「改めて思うが……エクセリオ様の幻影は、すごいな」

「当然でしょ?」

 声からは無邪気な笑いが感じられる。

 じゃ、行くよ、と幻影の鳩は言った。

「もう一方に飛ばした別の鳩がカイオンを見つけたみたいだ。みんなすぐに合流できるさ」


  ◇

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