本編1-5 王たる誓い
死んだはずなのに、致命傷を受けて、命を落としたはずなのに。
その瞼がふるふると震え、紫紺の瞳に光が宿った。エルレシアが歓喜の叫びをあげて、うれし涙を流しながらも兄の身体にしがみつく。ラディフェイルはその様をぼんやりと眺めていた。その瞳が優しげに細められる。
それは紛れもない奇跡。雨の日に起こった、紛れもない本物の奇跡。
蘇ったラディフェイルの唇が震え、言葉を紡ぐ。
「……俺は、生きられたのか」
ラディフェイルはゆっくりと身を起こす。その身体から、あの致命傷は消えていた。
ラディフェイルはわんわん泣くエルレシアを不器用に撫でてやりながらも、目の前に立つ異質、謎の「彼」に誰何した。
「そんな奇跡を起こした、あんたは……誰だ?」
「この世界アンダルシアが闇神、ヴァイルハイネン」
にべもなく来た返答は、ラディフェイルの予想を大きく上回るもの。
闇神ヴァイルハイネンを名乗った男は、固まるラディフェイルに言うのだ。
「我は被創造物たる人間を愛する奇妙な神、神々の中でも異質なる存在。我は人間を愛し、人間の生に共に寄り添うことを望む者。……声が、聞こえたのだ。『生きたい』という、声が。だから我は気まぐれに、助けてみようと思ったのだ。信じられないか? ならば死んだはずの貴殿がなぜ今生きていられるのか、それを考えよ」
エルドキアの王族も学ぶ、神々の物語。神々の実在する世界で、この世界「アンダルシア」で、本当にあった物語。遥か昔、時という概念すらなかった時代、世界創造とともに生まれた七の闇神、闇の七柱神。そのうち五神は世界の安寧を保つために闇に埋もれたが、ヴァイルハイネン、ゼクシオールの双神だけは、天に残った。
闇神ヴァイルハイネン。今、ラディフェイルの前に立つ存在は、最古の神々の一人だった。そしてこの神は人間を愛し、時に人間のためにその悠久とも言える時間のほんの一瞬を費やし、その人間の一生に寄り添うという、話。遥か昔、「蒼空の覇者」フィレグニオが、彼に願って翼を得、翼持つ民「アシェラル」の創始者となったように。闇神の奇跡は見渡せば、世界各地に散らばっている。
その奇跡が、ラディフェイルの元に舞い降りた。闇神の気まぐれが、ラディフェイルの方を向いた。
彼の眷属たる、赤眼の鴉とともに。
死者復活なんて、普通の人間ができるわけがないのだ。
ラディフェイルは驚きに目を見開いた。
そんな彼に、ただし、と闇神は言う。
「『この戦乱が終わるまで』貴殿はそう願った。この国に平和が訪れるまで、と。ゆえに貴殿はその願いの通り、戦乱が終わって平和が訪れたら死ぬさだめ。そもそもが、死者を強引に生き返らせたのだ、貴殿は今や生ける死体、我ができるのもそこまでだし、貴殿も平和になったその先を見ることまで、願う余裕はなかった」
ラディフェイルは生き返るけれど。
全てが終わって決着が付いたら、今度こそ本当に死ななければならない。
それでも、本来ならば今ここで死ぬはずだった命なのだ、だからこれはチャンスだ、気まぐれなる闇の神のくれた、唯一無二のチャンスなのだ。
ラディフェイルは、頷いた。頷いて、頷いて、深く深く平伏した。
彼の目の前に立つは紛れもない神、奇跡を起こせる存在だった。
そんなラディフェイルを見て、闇神はふっと笑う。
「契約は、成った」
次の瞬間、影そのもののようだった彼の姿が、変化する。
くっきりとした輪郭は稲妻のような鋭さを秘め、その瞳は血の色の赤、その髪はぬばたまの黒、鴉の濡れ羽色。漆黒の、あちこちに穴が空いたボロボロのマントを身につけ、その下のベストもシャツも漆黒で、ズボンも鋲を打ったブーツも漆黒、極めつけは漆黒の手袋に胸から下げた黒曜石のペンダント、腰に差された漆黒の金属の剣。闇から生まれたような姿、しかし先程までの人外の姿ではなく、確かに人間らしい姿で、闇神ヴァイルハイネンは改めてこの場に顕現した。その姿からはもう威圧感や畏怖感を感じられなかった。
「オレは、闇の剣士ハイン」
改めて彼はそう名乗る。
先程までの勿体ぶった口調を捨てて。
その顔に、不敵で挑戦的な笑みが浮かんだ。
「少年、あんたの命はこのオレが預かったが、オレはあんたと共に過ごしてみたいんだ。人間という存在の、その生き方に、生き様に興味がある。だからオレのことはハインという仲間として扱ってくれないか」
闇神ヴァイルハイネン、もとい闇の剣士ハインは、こうしてラディフェイルらの旅についていくことになった。
まだ状況を呑み込み切れていないラディフェイルらに、彼は笑いかける。
「ま、おいおい慣れてくれればいいさ。とりあえず、今のオレは神様なんかじゃないぜ。ただの、強い闇の力持つ剣士だよってことでよろしく頼む。人間の姿、人間の口調……慣れるのにそれなりに時間は掛かったが、これなら不自然じゃないだろう」
とある雨の日、一人の少年に奇跡が起きる。
そして少年はその奇跡を受け入れた瞬間、その運命を強制的に定められることになった。
ラディフェイル・エルドキアスは戦わなければならない。この国のため、神聖エルドキアの平和のために。
待っていても平和は訪れない、待っていても何も始まらない。だから。
ラディフェイルは立ち上がる。ゆっくり、ゆっくりと。誰の手も借りずに、一度は死んだ身体を動かして、自分の足で、自分だけの力で。
「……俺は、王だ」
それは、宣言。
「――俺は! 王だ!」
役目から、重荷から、
逃げない誓い。
こうして神聖エルドキアに、新たなる王が、誕生した。
◇
降伏したことにより、戦乱は収まる。その代わりに暴動は起こる。
侵略戦に負けた国はアルドフェックの者たちに支配され、近いうちに体制が出来上がるだろう。
戦乱は、終わった。しかしラディフェイルはまだ、これを戦乱の終わりとして見てはいなかった。
セーヴェスの首が、大好きな兄の首が、民たちによって、彼が守ろうとした民たちによって晒されたのを見たとき、ラディフェイルは思ったのだ。
――まだ戦乱は終わっていない。
ヴァイルハイネンもそれをわかっていたようで。
「オレとの契約期間は、あんたが国を取り戻すまでだ」
と言ってくれた。
国は落ち、民は乱れる。こんな情勢の中で「俺は王だ」と名乗り出るのはあまりに愚策。
だから、ラディフェイルらは潜むことにした。
いつか民が支配体制に不満を抱き、自分たちの手で殺したセーヴェスを惜しむようになる日が来るまで。
願いは叶わなかった。戦乱に引き裂かれた兄弟が再会する日はついぞ来なかった。運命はそう、個人に都合よくはできていない。セーヴェスの死は必然の死だった。あの日、彼はもう二度と会えないことをわかっていて、それでも次の世代を担う者を生き残らせるために自ら犠牲になったのだ。
セーヴェスの首が晒されたのを見たとき、エルレシアは思い切り涙を流したが、ラディフェイルは泣かなかった。
彼は、思ったのだ。いつの日かこの国にようやく平和が訪れたとき、自分が死ぬ前に一度だけ、兄を思って涙を流そうと。それまで涙は取っておくと。
ラディフェイルはエメラルドのペンダントを握りしめる。セーヴェスと別れる前に彼がくれた、彼の遺品。まるで彼の瞳のような、美しい緑をしたエメラルド。
いつかいつしかいつの日か。この国に平和が訪れたとき、作られるであろうセーヴェスの墓に。このエメラルドを埋めようとラディフェイルは思った。
でも、まだ、その時ではないから。
「潜もう、時が来るまで」
こうして王は、民に紛れる。
◇
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