第14話 粉雪

 12月の半ばから大雪が降った。

 連日の悪天候で全ての飛行が中止になった。

 クリスマスも近くなったある日、ようやく雪がやみ、風も穏やかになった。

 コンクリートの頑丈なブンカーの上に1m以上も雪が積もり、周囲も雪で埋まった。基地の人員は総出で雪かきをし、ブンカーの後ろに空気の通り道を作り、ブンカーの前には滑走路に通じる道を作った。

 『グスタフ』はこの数日の間に手厚い整備を受けた。グレーの機体は雪景色に溶け込むように、白い水性塗料を部分的に吹き付けられた。エンジン、機体構造、油圧装置、機関銃・機関砲、そういった各部は念入りに修理と調整を受け、それまでに蓄積された機体の傷みは一掃された。

 ブンカーの前は地面が見えるほど雪が除かれ、『グスタフ』は排気ガスを気にすることなくエンジンを始動した。

 彼はブレーキを踏み込んだ状態でスロットルを前に押し込み、DB605エンジンの咆哮と機体に伝わる推進力の勢いを感じた。いつにも増して調子がいいことが分かった。

 暖機運転で消耗したガソリンを追加で補給し、主翼の上に一人の兵士を乗せて『グスタフ』は動き出した。兵士の誘導でかき分けて端に積み上げられた雪を楽々と避け、滑走路を目指した。

 滑走路は除雪されていたが、その左右にもやはり、雪の壁ができあがっていた。その間の湿った黒ずんだ滑走路に、『グスタフ』は正対した。

 翼の上の兵士は役目を終えて地上に降り、滑走路から走って逃げた。管制塔と交信を重ね、彼は離陸の許可と同時にエンジンを全開にした。冷え切った空気は密度が高く、整備が行き届いたエンジンは一層力強く唸りを上げた。ブレーキを離すと強力な加速を開始し、またたく間に機体は地面を離れた。

 雪の壁も安々と超え、雪化粧したドイツの風景が眼下に広がった。12月の真冬といえども、これほどの雪はここ数十年ない降り方だった。

 飛行場の周囲をゆるく2回りしている間に3機の部下も離陸し、彼は編隊を整えて西に向かった。

 木や建物を避けるように高度をとると、ほどなく雲の底に達した。頭上にねずみ色の雲が空の上限を形成した。空気は冷え湿気を含み、旋回にともない翼の端から白い雲の糸が伸びた。


 雪原と、まばらにある黒々とした森が眼下を流れていった。既に国境を過ぎ、オランダの南端をベルギーとの国境に沿って飛んだ。30分ほどで北海につながる入江が見えてきた。一つの入江が南東方向に伸び、人工的な海岸線が直線的に入り組んだ港が確認できた。何隻もの船が岸壁に繋がれていた。

 ベルギーの港町、アントワープの上空だった。

 彼らがブンカーの下で愛機とともに一息ついている間に、武装親衛隊の機甲部隊がこの街を占領していることになっていた。

 眼下では雪の間にひっそりと息を潜めるように並ぶ石造りの建物が後方に流れていった。彼らは地上の様子を確認しつつ、ゆるい輪を描いて飛んだ。

 建物はひどく破壊されたものが目立ち、この街が平和な状態でないことは分かった。しかし、街のどこにもドイツ軍の姿は見えなかった。

 港の方に少し機首を向けると、設置された対空陣地が高射機関砲を盛んに撃ち上げてきた。雪雲で薄暗い世界を、曳光弾の鮮やかなオレンジ色が幾筋も駆け上がり、雲の中に消えた。

 街頭に止められたカーキ色の車両も、据え付けた機関銃を上空に放った。近くの兵士も小銃を構え、彼らの機体を狙った。

 いるはずの親衛隊がいないことは明らかだった。カーキ色の車両のボンネットの白い星を一瞥し、彼は機首を南東方向に向けた。


 ドイツに戻る方向に進み、市街地を抜けるとさほどの対空砲火を受けなくなった。雪原をしばらく飛び、黒々とした森が果てもなく続く場所に達した。

 再び彼らに激しい地上砲火が向けられた。

 森を抜ける通りに置かれた車両。いくらか開けた地区にたむろする兵士。そういった場所から様々な砲火が『グスタフ』を狙って撃ってきた。

 彼は高度を落とし、森の梢に近い高さを、通りや人がいそうな場所を避けるように飛んだ。

 彼方に黒い煙が幾筋か立ち昇るのが見えた。

 援護すべき武装親衛隊の機甲部隊が、その付近にいることは間違いないようだった。

 同時に、いくつかの小さい黒い影が森の上空に見えた。

 連合軍の戦闘爆撃機ヤーボだということはすぐに分かった。

 悪天候を突いて森を進んだ機甲部隊は、この日の穏やかな天候に、敵の航空攻撃にさらされるようになった。

 援護に駆けつけた戦闘機は、今のところ彼の小隊のみのように見えた。

 彼は森の梢の高さを維持し、気づかれずに近寄れそうな敵を探した。

 8機の戦闘機を右前方に見つけた。ずんぐりした胴体に、半楕円の曲線を描く翼。P-47戦闘機だとすぐに分かった。雲の高さが低く、互いの距離がそれほど遠くない。味方のFw190に対する誤認はまずないと確信できた。

 敵が親衛隊の機甲部隊を狙っていることは間違いなかった。そして、戦闘機が近づいていることに気づいた様子も見られなかった。

 彼は森の上空を舐めるように飛び、P-47の後下方の位置につけた。攻撃開始の意志を告げると、プチプチという無線のマイクのスイッチを押すノイズが3通り聞こえた。僚機を見ずとも、彼につき従って飛んでいることは間違いないと確信できた。

 スロットルをやや押しながら操縦桿を引くと、まばらな8機の編隊の最後尾の機体のシルエットを目指して上昇を開始した。P-47の大柄な機体はすぐに照準器いっぱいの大きさになった。暗い影となった機体だが、雪の反射で下面の白黒の縞模様が識別できた。

 命中が確実という確信を得ると同時に、彼は機関銃と機関砲を一斉に発射した。機首の上面とプロペラ軸から伸びる火線は敵機の胴体をまっすぐ貫き、操縦桿をやや右に倒すと、さらに主翼を舐めていった。

 P-47からは次々と破片がこぼれ落ち、彼の機体のすぐ下をかすめていった。まっすぐ狙い続ければその破片に飛び込む恐れがあった。右に向きを変えてその危険から逃れた。

 いくらかP-47から離れたところで高度を下げつつ、進路をふたたび敵機に合わせた。先程撃った敵は翼から炎を吐いて落ちていくところだった。

 同様に墜落する機体がもう1機見えた。さらに2機がバラバラと破片を落とし始め、やがて煙と炎を上げて落ちていった。

 残りの4機は、何事もなかったかのように前に進んでいった。

 後続の1個小隊が落とされたのに、まだそれに気づいていないようだった。

 いつこの損害に気づくのだろう。

 彼方の攻撃目標に飛び去ってゆく戦闘機を見ながら、彼は酸素マスクの下で口角を上げた。


 地上から撃ち上げられる曳光弾の数がまた無視できない勢いになったため、彼は部下に無線で伝えつつ、右に旋回して奥深い森の方に向きを変えた。

 対空砲火が当たらないと思われるあたりで向きを変え、敵機との交戦前に見えていた煙の方を目指した。

 その煙に到達しなくても、状況は程なく分かった。

 雪に覆われた大地に、何両もの戦車が、そして装甲車が、動くことなくそこにいた。

 どれも無傷で、交戦した形跡は見られなかった。しかし、ハッチが開け放たれ、車両からいくつもの足跡が森の奥に向けて続いていた。

 しばらく飛ぶと、敵のロケット弾攻撃のためか黒く焼け焦げた戦車が目に入った。同じく黒焦げの死体が何体か、周囲に散らばっていた。砲塔が車体の横に裏返して落ちている車両もあった。総統肝いりの武装親衛隊も、ロケット弾の威力の前にはまるで歯が立たないように見えた。

 森の中から細い銃弾の火線が舞い上がった。

 彼は反射的に、その火線の方向に向きを変えた。

 機体は射線を素早く横切り、命中弾を受けずに射撃手の狙う領域を抜けた。

 機関銃を撃ってきた相手のいる方向を見ると、森の中の道に何人かの兵士が見えた。装備やヘルメットの形から、武装親衛隊の兵士だとすぐに分かった。

 空を飛ぶ者は何でも敵。そういった誤認はよくある。彼はそう考え、軽機関銃を構えた兵士についてそれ以上気にすることはなかった。


 森の上空は、いつの間にか雪が降り始めていた。

 いくらかマシになったと思われた天候は、ふたたび悪化し始めていた。

 雲から舞い落ちる粉雪は、やがて森の上空の視界をかなり遮るようになった。

 彼は無線で列機に伝えると、翼を東に翻し、ドイツ国内の基地へと向かった。天候の悪化も問題だが、『グスタフ』にはもうさほどの燃料が残っていなかった。

 舞い落ちる粉雪は、燃料と、主を失った車両を、ゆっくり、ゆっくりと、白い真綿で包んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る