三話 「帰路」

 六時限目終了のチャイムが、校内に鳴り渡った。

 どこの教室も、一日の授業が終わったため息ともつかぬざわめきに包まれている。

 しゅうは教科書をバッグにしまう孝蔵こうぞうのそばへやってきた。


「孝蔵、今日も部活かな」


「ああ、いや、今日は体育委員会と生徒会との、合同会議があるからな。

 そっちへ出席しなきゃならん」


 孝蔵の視線を受けた周は、おや? と眉を上げた。


「あれ、どうしてぼくをにらむのさ」


「当たり前じゃないか。

 おまえが俺を体育委員に指名しなければ、無駄な時間を過ごさずにすんだんだぞ」


「あらまっ、それは失礼いたしました。

 でもさあ、やっぱり体育委員となればさ、多少の荒事も引き受けねばならんとも限らんしな。

 きみにはピッタリじゃないか」


「おいっ」


 孝蔵は思いっきり目尻を上げる。

 抜身の日本刀のような、鋭利な光を発している。


「俺は空手や柔道などの武闘家じゃない。

 あくまでも弓道家だ」


「わかってるって。

 そんな恐い顔するなよ。

 孝蔵の目力の破壊力は半端ないってことは、本人以外誰もが知ってるんだから」


 周は降参するように両腕を上げる。

 横の席で帰り支度をしていためぐりは、思わずクスッと笑ってしまった。

 それを目ざとく発見した周は、めぐりに顔を向けた。


「ねえ、そう思うでしょ、奈々咲ななさきくんもさ」


 まさか自分に声を掛けてくるなんて思ってもいなかったから、思わず「ご、ごめんなさい、笑ってしまって」と、顔を真っ赤にして頭を下げた。


「周、迷惑だろ、そんな言い方したら」


 怒気を含んだ孝蔵の声に、めぐりはまるで自分が悪かったかのように小さくなってしまった。


三船みふねくん、行きましょうか」


 そこへ通学バッグを胸元に抱えた恋歌れんかがやってきた。


志条坂しじょうざかくん、ご同行よろしくねえ」


 周は言いながら孝蔵の肩をパンと軽く叩く。


「俺は子供じゃないんだから」


 孝蔵はそういいながら席を立った。

 三人は立ったまま話を続けている。

 めぐりはいつの間にか蚊帳の外であった。


 ~~♡♡~~


 生徒会と体育委員会合同の会議は予定時間をはるかにオーバーし、孝蔵と恋歌が校門を出たときには、夕焼けに夜のとばりが重なったグラデーションを空に描いていた。


「水と油かあ」


 恋歌は通学バッグとポーチを両手でにぎり、つぶやいた。

 特に孝蔵の相槌を求めていたわけではなかった。

 ふたりともバス通学であるため、歩く方向は同じである。

 孝蔵は通学バッグを指で引っ掛けて、背中で揺らしている。


「まあ、今日の会議に参加して、あらためてそう思ったな」


 まさか返答してくるなどとは思っていなかった恋歌は、整った眉を八の字にして意外な表情で孝蔵を見た。


「な、なんだよ、その顔」


「えっ、だって三船くんったら、会議のときもほとんど口を開いていなかったし」


「仏頂面、ってか」


 くすり、と恋歌は笑う。


「はい、おっしゃる通りです。

 まるで仏師が施した木の彫刻みたいに」


「彫刻って、俺は生身の人間だ」


 それでも孝蔵の声音に、トゲはない。

 他の生徒たちもバス停までの住宅街を歩いている。


「失礼しました。

 だから三船くんが私と会話してくれるなんて、正直驚いっちゃってるの」


 孝蔵はちらりと恋歌の横顔を見た。

 オレンジ色の夕陽に、恋歌のブラウンの髪がキラキラと反射している。

 百八十センチを超える周ほどの長身ではないが、孝蔵も同年代に比べると上背がある。

 恋歌も女子の中では背が高い方であるが、孝蔵の視線は自然とやや下を向く。


「俺は別に人と話すのが苦手だとか、嫌いということではない」


「うん、今よくわかった。

 室長の言っていたイメージとちょっと違うんだなって」


 孝蔵はピタッと足が止まってしまった。


「あらっ、どうかしたの」


「ちょっと待ってくれ。

 周は俺のことを、いったいどういう歪んだ情報を、志条坂に伝えたんだ」


 恋歌も歩くのをやめて、意地悪そうな表情を浮かべた。


「うふふ、気になるかしら」


「あ、当たり前だっ。

 俺だってクラスメートなんだぞ。

 変な目で見られてこの一年を過ごすなんて」


 目元に怒気を含んだ孝蔵。

 爪先だって恋歌は、孝蔵の顔に近づいた。

 ふわりと甘い香りが孝蔵の鼻孔をくすぐる。

 あわてて顔をそむけてしまう。


「すぐにキレるヤバイ男の子、だって」


 ゆっくりとじらすような声に、孝蔵は怒りすら忘れてたじろいだ。


「冗談ですう」


 恋歌は歌うように身をひるがえし、歩きだした。

 後を追う格好になってしまった孝蔵は、大股で追いかける。


「本当はなんて言ってたんだ」


「三船くんは一見頑固そうだけど、懐は深いヤツだから安心していいよって。

 室長は三船くんに、一目も二目も置いてるみたいよ」


 すぐに横に並んで、孝蔵は、はあっと息を吐いた。


「深いかどうかは知らんが、周には気をつけないと、どんな悪巧みを仕掛けてくるかわからんから、ヒヤヒヤだ」


「仲がいいんだね、ふたりは。

 でもうらやましいな、文武両道の親友同士って」


 住宅街を抜ければ、ナゴヤ市へ続く国道となる。

 人通りが多くなった。


「そうだ、私は書店に用事があるんだった」


 バス停からすぐ先に、チェーン店の大型書店があり桔梗が丘ききょうがおか高校の生徒たちもよく利用している。


「ああ、わかった。

 俺は先に帰る」


「うん、お疲れさま。

 じゃあ、また次回の会議のときにはお願いします」


「仏頂面でよければ、な」


「うふふ。

 じゃあね、さようなら」


 恋歌はにこやかな笑顔を残し、書店へ向かった。

 その後ろ姿に片手を振り、孝蔵は周の言葉を思い出していた。

『志条坂くんは、孝蔵に好意を寄せているようだな』である。


 初めて会話らしい会話をしたのだが、その短い時間のなかでも恋歌の人となりが、なんとなくわかった。


 美形であることや勉強ができることなどまったく鼻にかけず、むしろさばさばした性格で、会話していてもまったくストレスがたまらない。


 むしろもっと話し合ったら、また違う一面が現れて楽しいかもしれない。

 そこまで思ったあと、孝蔵は首をふった。

                          つづく

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