第13話 夕方


 時刻は夕暮れ。辺りは暁に支配されつつある。柳の枝を揺らす風も、昼と比べれば肌に馴染む温度だ。この時間の蒼鳴宮は特に総毛立つ雰囲気をより濃くする。

 玉鈴はぼんやりとした面持ちで明鳳と貴閃の背を見送った。納得がいかない様子の明鳳は時折、背後を振り返りながら前に進んでいる。その背後を貴閃は早足で追いかけた。怪談が苦手だという彼は決して周囲を見ようとしない。


「やっとお帰りになりましたわ」


 背後に控えた豹嘉がうんざりと言った風に声を荒げた。


「いっときはどうなることかと思いましたが、入獄にゅうごくは避けられそうですね。阿呆ながら玉鈴様の存在の大切さをきちんと理解したのでしょう」


 二人を見た豹嘉は鼻で笑う。

 その脇を尭が小突いた。妹と似た容貌には苛立ちが滲んでいる。


「お前が失礼なことをいったからだろう」

「痛いわ!」


 豹嘉は小突かれ脇をさすった。さして尭は力を込めなかったが痛かったようだ。


「だいたい先王様の言いつけも守らないぼんくら王が悪いのよ! 龍の半身である玉鈴様の宮に押し入って、暴力を振るうなんてありえないわ!」

「お前はいい加減にしろ。最初から追い返そうとしたのは分かっているぞ」

「勝手に押し入ってきた人に優しくする必要はないわ」

「亜王様はまだ幼い。大目に見ろ。悪いのはお前だ」

「私、悪くないわ! 悪いのはあいつよ!」


 きゃんきゃんと吠える豹嘉は頬を膨らませた。頑固な彼女は自分の非を簡単には認めない。

 妹には甘く、日頃は大目に見る尭も亜王の御前での態度には黙認できないらしい。いつもの姿からは予想ができない剣幕で口を開いた。


「お前の行動がなければ玉鈴様は叩かれたり、床に押し付けられたりしなかったんだぞ! 俺たちの行動の全てが玉鈴様の評価に繋がるんだ。お前はそれを理解しろ!」


 兄の叱責に豹嘉は目尻に涙を溜めはじめる。


「私は悪くないわ」


 声は先ほどよりも勢いはない。


「だって急に来るあの餓鬼が悪いんだもの。書簡すら出さない人のせいだもの」


 豹嘉はまだ非を認めない。尭が再度、口を開こうとするがそれを玉鈴は止めた。


「お黙りなさい。豹嘉、尭の言う通りです。貴女は感情に任せて発言する癖を治しなさい」

「……すみません」


 納得ができないらしいが最愛の主人に咎められ、豹嘉はうめきながら頷いた。


「申し訳ございません。自分の教育不足です」

「いえ、それは主人である僕の役目です。後で僕から叱っておきますので、もう怒らないであげてください」


 口ではたしなめながらもどこか陰を含む主人の美貌を見て、はてと尭は首を傾げた。


「そこまで深刻な事態なのでしょうか。自分が見た時、そこまで酷くはないと思いました」


 これまで何度も柳貴妃に付き従い、後宮の怪奇を目の当たりにしてきたが、今回の才昭媛の件に関しては危険度は低いと感じた。確かに才昭媛は酷く弱っていたが、それは気分が滅入っているからだと思った。


「雰囲気も比較的、落ち着いていました。侍女達を見ても、そこまで深刻に捉えていませんでしたし」


 珍しく饒舌じょうぜつな尭をちらりと見つめて、玉鈴はこうべを振った。


「対象は才昭媛様だけです。術師は彼女だけを殺したいようで、その殺意は研ぎ澄まされた刃よりも細く、鋭い」

いにしえの呪術ですか」

「才昭媛様にかけられたのは蠱毒です」

ですか」

「ええ。けれど、今回の術師は才能があるためか今までのものとは精度も威力も桁違いです。これを祓うのは一筋縄ではいかないでしょう……」


 表情を雲らせた玉鈴を見て、尭の帯に掴まりながら豹嘉が驚きの声をあげた。


「そんな呪を才昭媛は一身に受けているのですね」

「常人ならば耐えることは難しいでしょう。才昭媛様は本当ならばすでに呪い殺されていました。まだ、生きているのはのおかげです」


 あの子とは三毛猫のことだろうと尭が察する。

 翠嵐の宮を訪れなかった豹嘉は意味が分からないと首を傾げた。


「あの子は守っています。けれど、それも時間の問題です」


 玉鈴は両目を伏せた。


「時間は有限です。いつもより、迅速に行動する必要があります」


 翠嵐の宮で見た物や気配で大まかだが呪詛の場所は把握できた。そのかけた張本人も。

 呪詛の原因は翠嵐がいつも身につけている香袋こうぶくろと耳飾りだ。

 ただ、困ったことがある。呪詛にはいくつもの種類があり、かける人間によってかけ方は異なった。対象物に模様を描くもの。匂いを使用するもの、など多数にのぼる。その中で翠嵐にかけられたしゅはあろうことか、一番忌み嫌われるものだった。贄を使ったもので、効力は強いがその分、術者に負担が大きいため今では進んで使う術者はいない。


 だからこそ、厄介だった。


 術者は翠嵐を憎んでいる。それも深く、強く。その対価に自分が死んでもいいと思えるほどに。


「才昭媛様がこの後宮に上がった期間を考慮すれば、呪詛はとても強力です。二人も障られる可能性があります」


 その思いが上乗せされた呪は強力だ。先王の御子を呪い殺した妃と同じで、蓄積された怒りを鎮めるまで長い年月がかかるだろう。


「それでも手伝ってくれますか?」


 玉鈴は振り返った。

 尭と豹嘉は顔を見合わせると、胸の前に拳を持っていく。


「御意に」

「勿論です!」


 兄妹は勿論だと揃って笑った。

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