第5話 客人


「玉鈴様?!」


 乾いた音と豹嘉の驚く声が房室に響き渡る。


「僕の侍女に乱暴はおよしなさい」


 先程とはうって代わり、射る様な眼差しで玉鈴は明鳳を睨みつけた。シミ一つない左頬が次第に赤く染まりゆく。殴られた事で口内を切ったのか玉鈴は袖で口元を拭った。


「僕が後宮に居るのは高舜こうしゅん様から言われたからです」


 玉鈴はにっこり微笑むと「それに」と続ける。


「貴方が考えている事は違いますよ。この後宮にいる女人は誰一人、不貞など犯してません。僕は宦官と同様ですので、彼女達を満足させれません」


 自重げに玉鈴は視線を伏せた。

 しかしそれで黙っている明鳳ではない。大好きな父が愛した寵妃が男という事実に、それが自分の妻という状況に腹わたが煮え繰り返っている。怒りで頭が沸騰しそうだ。


「お前は自分には罪がないというのか、俺や民をあざむいておいて?」

「ええ、僕は命じられたまま生活しているだけです」

「こんなに侮辱されたのは初めてだ! 獄に繋いで首を飛ばしてやる!」


 顔を真っ赤にした明鳳は玉鈴に近づくと長い黒髪を乱雑に掴み上げた。髪が引っ張られ、頭皮に痛みが走るが玉鈴は冷静な眼差しで明鳳を見下す。

 玉鈴が言い返そうと考えを巡らせ口を開こうとした時、腰に衝撃が走る。


「玉鈴様は龍の半身ですわっ。その様な事をしてみなさい! 亜国は昔のように荒れ狂う事になります!」


 玉鈴の帯に捕まり、その背に隠れながら豹嘉が恨みがこもる眼差しで睨みつけた。止めようと玉鈴がその細い肩に手を置くが豹嘉は怒るのをやめない。


「玉鈴様がいなければこの様な豊かな国にはならなかったのに! これ以上、玉鈴様を苦しめないで下さい!!」


 ぽろぽろと大粒の涙を流しながら豹嘉は訴えた。落ち着こうにも感情が昂り、言うことを聞かないらしく、小さく唸りながら玉鈴の背中に顔を埋めた。

 玉鈴は肩にかけていた大袖衫を脱ぐと豹嘉の頭に被せた。相手が亜王であっても大切な侍女の泣き顔を見られるのは避けたかった。

 豹嘉の勢いに押された明鳳が再度、口を開こうとした時、


「あの、すみません」


 鈴を転がした少女の声聞こえた。

 その声に玉鈴はしまったと顔を歪めると内心、舌を打つ。今日に限って急な来客が多い。間が悪すぎる、と言葉で心の中で呟いた。

 入り口へ視線を投げると外套を目深く被った少女が拱手の礼を取っていた。声や外套から覗く桃色の裳裾から年端もいかない少女だと予想する。

 少女は十中八九、玉鈴のだろう。玉鈴の元には時折、後宮の佳人達がこうして客として訪れる。

 客と会ったのがそこらの宦官や武官ならば、そいつを脅して追い返せばいい。けれどここにいるのは明鳳だ。流石に現王相手に脅すのは玉鈴でも避けたかった。

 どうしようかと思案し、ちらっと背中に顔を預ける豹嘉を見る。少女の声が聞こえなかったのか豹嘉は先程と同じ体制で身体を震わせながら嗚咽を漏らしている。この様子だと落ち着くまで時間がかかるだろう。

 どうするべきか、と思案しながら前を見ると明鳳と貴閃は予想外の来客に驚きで硬直していた。固まったまま、現状を理解しようとする明鳳の手から黒髪がはらはらと零れ落ちた。


「私、秋雪しゅうせつと申します。お尋ねしたいこと、あります」


 先程のいさかいに気づいていないのか少女は鈍りがある言葉で述べた。声は緊張で張り詰めている。後宮に来て間もないのだろう、と玉鈴は予想する。

 少女は「あ」と焦ったように声を漏らすと急いで外套を外した。そばかすが愛らしい素朴な顔はどこかであったことあるような。玉鈴は小首を傾げた。

 数秒の思案後、彼女が先週、後宮入りした才昭媛さいしょうえんの侍女だと気付く。そして彼女の素性を明鳳達に知られる前に、と玉鈴は口を開いた。


「すみませんが、少し待って頂けますか? あちらの方にぎょうという宦官がいます。無愛想な男ですが、貴女が僕をとしているのならば悪いようにはしません」


 早口で捲したてると秋雪は恐る恐る頷いた。踵を返し、急いで房室から出ようとする。それを見て、玉鈴はほっと一息着いた。

 明鳳達の思考が止まっている今の内に、と背中に顔を埋める豹嘉の肩を優しく叩き、話かけた。


「ほら、豹嘉も一緒に行って下さい」


 懐から手巾を取り出すと豹嘉の手に握らせる。豹嘉は手巾を握りしめると小さく頷いて少女の後を追い、房室から出ようとした。

 しかし玉鈴の思考を読み、それに従い黙っている明鳳ではない。自分を無視した秋雪に、暴言を浴びせた豹嘉がそろって房室から出ようとすると注目を集める様に足をふみ鳴らした。


「無礼者! 亜王が目の前にいるのに挨拶すらしないとは何事だ!」


 まるで物心着いた幼子が暴れまわる仕草に玉鈴はバレないように嘆息した。豹嘉も落ち着いて調子を取り戻したのか、手巾で顔の半分を覆いながら鼠を見た時と同じ眼差しで見つめた。

 急に怒鳴られた秋雪は泣きそうな顔できょろきょろと周りを見渡した。その様子は明鳳を知らなかったのだろう。青ざめた顔はそれを物語っている。


 それもそのはずである。


 玉鈴は参加していないが、才昭媛の婚儀は質素で簡略されたものと聞いていた。それは先王が長らく世継ぎに恵まれなかったことから、一刻も早く世継ぎをと考えた丞相じょうしょうが輿入れ可能な娘がいる家に命じたからだ。「亜王の妃に姫を差し出せ」と。

 各家は己の娘が亜王に見初められ男児を産めば家は安泰だと喜んで娘を差し出した。数日おきに次々と後宮入りする姫、一人一人に正式な婚儀を行うと明鳳が政治にさく時間がなくなることから式は簡略された。

 それに明鳳のことだ。式自体、流れ作業の一環だったのだろう。

 遊び盛りの亜王はまだ女自体に興味はないらしく丞相が頭を抱えていた。現に十数人の美姫が後宮入りしたが誰一人、夜渡りどころか会いに行くことはないらしい。

 そんな男が才昭媛の顔も覚えてはいなければ、その数倍いる侍女や官女の顔自体覚えているはずない。


「お前、誰付きの宮女だ? 主人の名を名乗れ!」


 明鳳が命じる。

 恐怖に秋雪はぶるぶる体を震わせた。ほろりと涙が頬を伝った。

 何も言わない秋雪を見て、明鳳が床を踏みしめた。沓が奏でる音に秋雪は小さく悲鳴をあげると床に跪く。許しを乞おうにも何と言えばいいのか分からないらしい。床に額を擦り付けて、「あっ」と繰り返した。


「亜王様。良き君主というものは怒りに振り回されるものではありません」


 玉鈴は努めて優しい声音でたしなめた。その光景を長く見ていられなかった。秋雪に近付くとその肩に手を置いて、彼女を立たせる。

 恐怖から俯いて震える秋雪を豹嘉に預けて、二人を背中に隠した。


「俺が我を忘れているというのか!」

「ええ、忘れています。王とは国の統治者です。そこに個人の感情は必要ありません。亜王様。貴方様がお怒りになっている理由はしかと理解しております」

「嘘を申すな。嘘など聞きたくない……! 男なのに女と偽って後宮にいる奴の言葉など嘘まみれに決まっている!」

「嘘ではございません。全ての責任を負って、僕が罰を受けます。そこの彼女や僕の侍女の分もです。しかし、お時間を下さい」


 玉鈴は拱手の礼をとると明鳳に向かって深く頭を下げた。

 初めて見せる礼儀をわきまえた態度に明鳳がたじろいだ。

 それを見て、玉鈴の背中から豹嘉がひょっこりと顔を覗かせる。


「愚かな人。この後宮が、この国が平和なのは玉鈴様のお力があっての事なのに。本質が見えていないわ。尊敬できる程、素晴らしい阿呆ですわ」


 ふっと豹嘉が鼻で笑う。目尻は腫れてまだ赤みがひかないが調子が戻ったらしく相手を心底、小馬鹿にする笑みを浮かべた。


「何も知らない癖に平和ぼけして本当にこの国の王? ただの餓鬼の間違いではなくて? 玉鈴様がいなければすぐに落ちぶれますわ。何故、あの方が玉鈴様に貴妃の地位を与えたのかしかと考えたらどう?」


 呆れに似た表情を浮かべながら玉鈴は小気味よく毒を吐く豹嘉の帯を引っ張って諌める。


「豹嘉。やめなさい」


 怒られた豹嘉がしゅんと下を向いた。か細い声で「申し訳ありません」と謝罪の言葉を述べる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る