第6話〜葵

 ほどよく飲んで、ほどよく食べて、百合と航、ふたりは帰ることになった。


「あの…ありがとうございました!」


 百合の口から自分の気持ちがやっと出た。夢のような時間だった。百合は既に夢見心地のようでいた。


「あんまり思い詰めんなよ。」

「はい…。」

「気をつけて帰れよ。じゃあな。」


 航は去っていく。夢見心地のまま、百合は帰ろうと歩き始めた。すると後ろから航に声を掛けられる。


「待て!」


 ビクッと驚く百合。その声で目が覚めた。


「オレも勉強しないとな。送る。家どっちだ。」


 また夢の中に入る百合だった。


 そして翌朝。百合はいつもより早く起きてしまった。ベッドの上。正座をし、目の前にはスマホ。


「起きたら、おはよう…起きたら、おはよう…。」


 航へのライン。するかしないか、本当にしていいのかどうか。朝早くから悩む百合。航に忘れ去られたくない、そう思った百合は送信ボタンを押した。


  おはようございます


 百合は深呼吸をした後、出社する準備を始めた。しばらくするとスマホが鳴る。百合はそわそわする。そっとラインを開いてみる。航からの返信だった。


  おはよ

  ずいぶん早いんだな


 航とラインができた、その喜び、嬉しさ。それだけで百合は胸がいっぱいになる。しかしそのすぐ後、百合は困り始める。この返信に返信すべきかどうなのか。わからない、ならわからないなりに素直に聞こう、そうすれば航に嫌われることはないだろうと、百合は思った。


  返事は、したほうがいいですか?


 あくびをする航のスマホが鳴る。百合からのライン。まだ少し眠い航。しかし百合の気持ちを考える。放ってはおけなかった。


  したい時はする

  したくない時はしない

  それでいい


 するとすぐ航に返信が来た。


  はい!


 笑顔になる百合と航。


 1日が始まる。その日、百合はいつもより心が軽く感じた。


 お昼。百合はいつもひとり。社内の休憩所。そんなに広くはない。大きなテーブル、テレビ、自動販売機、レンジ、冷蔵庫。とりあえずのものはある。近くのコンビニで適当に買ったものを休憩所で食べる。それが百合のお昼だった。休憩所は共有スペースであり、別の部の人間が複数いる。同じ経理部の人間は誰もいなかった。


 百合がいつものようにコンビニへ向かおうと社から出ようとした、その時だった。


「ねえ!」

「はい!」


 百合は声を掛けられた。 隣の部、総務部の女性社員だった。


「よかったら一緒にお昼行かない?いつも行ってる子が休みでさ、ひとりじゃ寂しいなって思ってたの!行かない?」


 百合は固まっていた。口も体も動かない。どうしたらいいかわからなかった。


 『人に慣れる』


 航の言葉を思い出した百合はすぐに答えた。


「は、はい!行きます!」


 向かった先は、すぐ近くにある喫茶室・ジョリン。百合は店内に入って少し驚く。とてもノスタルジックで、時代が変わったかのように感じる店内だった。


 席につく2人。


「今日は何にしようかなー。」


 そう言うその総務部の女性はとても美人だった。美人な上、綺麗な髪、上品なメイク、明るい表情。百合はメニューは見ずにその女性を見ていた。


「いらっしゃいませ。」

「今日はドリアで。あ、何にするか決めた?」

「はい?!」

「じゃあ同じ、ドリア2つで。」

「かしこまりました。」

「大丈夫。ここ、なーんでも美味しいから。」

「は、はい…。」


 緊張する百合。何もできない。


「ねえ!」

「はい!」

「そのリップどこの?そんな色、見たことない!」

「あ…パブロックジーっていうところの…。」

「えー聞いたことない!忘れないうちに調べよ!」


 彼女は生き生きしている。スマホを片手にするその姿も綺麗だった。彼女はテンションが高い訳ではない。彼女の明るさは、内から出ているもの。百合はその女性をぽーっと見ていた。


 料理が運ばれてきた。


「いただきまーす!」


 出来たてのドリアを冷ます女性。その間、百合に話し掛ける。


「ねえ、いつもお昼どうしてるの?」

「…休憩所で、ひとりで済ませてます。」

「え?ほんとに??」


 ビクッとする百合。その一瞬後すぐに彼女は言う。


「1日中ずーっと同じ建物の中にいて、息詰まらない?」

「息…?」

「そう!同じ空気の中に1日いたら苦しくならない?」


 百合には考えたこともないことだった。人混みはなるべく避けたい。それに一緒にお昼を過ごす人がそもそもいなかった。


 何も答えない百合に女性は聞く。


「名前、なんていうの?」

「降谷 百合です…。」

「ユリね!私が外に連れ出してあげる。」

「はい…?」

「外の空気吸わないと、体に悪いの。体に悪いってことは心にも悪いってこと。」

「はい…。」

「外に出れば、その脅えみたいな緊張、なくなるんじゃない?」


 驚く百合。この女性も百合の本質に気づいた。いつ、どの百合を見てそう思ったのか、不思議に思うほど彼女は自然だった。


「あー!冷めてきちゃう!ドリア、ほんとに美味しいから、食べよ!」


 彼女の言う通り、ドリアはとても美味しかった。


 食事が終わり、会計をする。


「今日は私のおごりね!付き合わせちゃったから!ありがとう!」

「…はい。」


 社に戻り、経理と総務、お別れの時。百合は礼を言いたいのに口も喉も動かない。それに気づく女性。


「無理も体によくないよ?あ、私はあおい。よろしくね!また明日ねー!」


 手を振り総務部へ戻る葵。


「…あおいさん…。」


 百合はまた夢見心地のようでいた。

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