その日、アリシアは妹の勉強を見てあげる約束になっていて、中等部桜花寮に出かけて部屋を留守にしていた。お泊まりになるの、一人にさせてごめんなさい、と平謝りに謝って、彼女は夕食後に部屋を出て行った。期末考査も近いのに自分の勉強より妹の世話を優先するあたりが、アリシアらしいな、と思ってしまう。もっともわたしにしたところであんまり勉強する気にはなれずにいた。どうせテストなんて、一夜漬けでどうにでもなるのだから。

 わたしは部屋の電気を消したまま、窓を開けて、勉強机に肘をつき、いつものように中庭を眺めていた。夜の闇にはしっとりとした気配が漂っていた。静かだった。耳をすませば木々の呼吸の音さえ聞こえて来るような気がした。

 そういえば、夜になると校旗はどうなっているのだろう。欅の向こう側をじっと見つめてみたが、そこに旗がたなびいているのかどうか、暗くてよくわからなかった。おもわず体を乗り出した、そのときだった。

 誰か……いる。

 太い欅の幹のすぐそばで人影が動いたのが確かに見えた。こんな時間に、あんな場所で、いったい何をしているのだろう。もしかして不審者だろうかと思い、わたしは身を硬くした。夜のしじまの中で自分の呼吸の音だけがやけにうるさく感じられた。

 しかしよくよく見てみると、それはどうやら女の子のようで、わたしはなんだ寮生か、と思って肩の力を抜いた。視線を逸らそうとして、けれども意識の端に何かが引っかっていることに気づいた。

 ……考えてみればおかしいのだ。とっくに寮の玄関は閉まっている時間なのだから。ならいったい彼女はどこから出てきたのだろう。何をしているのだろう。

 再び注視していると、少ししてから彼女の元にもう一人の人物が現れた。最初の一人目よりも髪は短いけれど、やっぱりその体つきは女性のものだった。ふたりは欅の樹の下で抱き合い、唇を交わすと、高等部菊花寮の方へ手をつなぎながら去っていった。

 ……逢い引き、だったのだろうか。わたしは遠ざかっていく彼女たちの後ろ姿をじっと見つめていた。ふたりの姿が見えなくなると、わたしは窓を閉めて大きなため息をつき、ベッドに身を横たえた。

 真上には空っぽのベッドの底が見える。アリシアは今頃何をしているのだろう。妹の勉強をちゃんと見てあげているのだろうか。

 この学園にいると女生徒同士の恋愛話をわりとよく耳にする。もっともこんな場所に閉じ込められていれば同性に恋をしてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。だって生徒は全員女性で、その八割近くが寮暮らしなのだ。わたしたちにだって年相応の性欲があるのだ。それをどうやって発散させたらいいと言うのだろう。学校の先生? それこそ馬鹿らしい。

 さっきの二人は今頃何をしているのだろう。甘い睦言を交わしているのだろうか。

 わたしはシャツの上から自分の胸に触れた。心臓の鼓動が手のひらに伝わってくる。快楽への期待に、次第にそれが早まっていく。恥ずかしいことだ、いけないことだと思いつつ、自分で自分の指を止めることができなかった。ショーツのクロッチはすでに湿っていた。わたしは下着を少しだけずらしてそのぬかるみの中に指を沈めた。

 ゆっくりと、ゆっくりと。花びらがほどけていく。

 寮の壁は意外と薄いから。わたしは唇を噛んで声を殺した。くちゅくちゅと水音がする。お腹の奥が甘く痺れていく。でも。


 何をしているんだろう。


 そう思うと急に情けなくなって、涙が出てきた。頭の芯がすうっと冷えていって、もうそれ以上続けられなかった。わたしは指先をティッシュで拭うとそれをベッドの近くのゴミ箱に捨て、枕に顔を押しつけた。

 動物園の猿は番う相手がいないと、飼育員に恋をしてしまうらしい。素敵。バックグラウンド・ミュージックにハープが欲しい。わたしはそれを爪弾いて、猿たちのためにミンネザングを奏でるだろう。……でも、わたしは猿よりももっとひどい。自分で自分を慰めることしかできないくせに、それも続かないなんて。

 わたしがネズミなら良かった。

 ネズミなら恋をしなくて済んだのに。

 わたしは止まらない涙に辟易しながら、わたしの体に触れてくれた唯一の人を思い出していた。

ひかる

 その呟きは誰に聞かれることもなく、夜の闇の中に溶けていった。

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