第19話 嵐の中で輝く

台風18号、通称GOMAネードと呼ばれることになるゴマモンガラを運んだ台風は東京都心、並びに首都圏、関東圏に甚大な被害をもたらし、その犠牲者は関東圏の人口の約1割に上った。


しかし、ゴマモンガラたちも決してノーリスクで地上に上陸したわけではなかった。

彼らにも彼らなりのドラマがあるのだ。

台風の雲長高度、言い換えれば雲の一番上は高度16㎞にも達し、その付近の温度はマイナス70度にも達する極寒地獄。

仮に下層にゴマモンガラたちが潜伏していたとしてもその高度は2000m以上に達し、本来沖縄などの暖かい海にしか生息できないゴマモンガラたちには耐えられない環境であった。

しかし、その様な生物学的な限界はマエコウというオーパーツを手に入れた彼らには何のかかわりもなかった。

寒いのなら寒さに強い魚を食べればいい、ただそれだけのこと。

海にはお手本となる先達はいくらでもいる。

黒潮に乗って太平洋を北上し、少しづつ魚を喰らって遺伝情報を取り込み、耐寒性を付けた。

その過程で運よくトビウオの群れに会い、ついでにその翼をいただいた。

本来であれば飛行することができないトビウオの翼だが、彼らの進化・強化能力によって台風のような極低気圧・強風の環境において飛べるほどの筋力・持久力を身に着けた。


そうしたらまた運よく飛行しやすい強力な風が吹きすさび、彼らは台風の目の周辺、最も強風が吹き荒れるアイウォールに乗って海から空へと旅立った。

吸い上げられるような上昇気流、翼が折れてしまうほど強烈な向かい風。

体中に打つ付ける雨に、強風による体表面の水分が蒸発してその気化熱が体温を略奪する。

翼持つ同志たちは必死にその環境に耐え抜き宙を舞った。

高く飛べば飛ぶほどにその身を刺すように下がっていく気温。

高度が増すにつれて気圧が落ちていき欠乏する酸素。

そして雲中に轟轟と響く雷鳴たち。

彼らはそんな環境を耐え抜き、一片の集中を乱すことなく翼を張り続けた。

被雷して感電死し、その身を炭と化し落ちていった仲間がいた。

高山病にかかって意識を失い遥か高高度から水面に叩きつけられる同士がいた。

高く飛びすぎて体温を保てずに氷漬けになってしまった同胞がいた。


それでもかれらゴマモンガラは臆することなく嵐の空を飛び続ける。

逆風に向かい、仲間の屍を超え、それでもなお不出来な翼に力を籠める。


一体何時間そのミキサーに耐え抜いただろうか。

生きたまま洗濯機にかけられるような苦行はついに実を結び、彼らの願いはすぐ足元まで近づいていった。

眼下には光輝く摩天楼の森。

たくさんのご馳走がお弁当箱のように直方体の中で蠢いている。

高速で動く箱は歯ごたえがありそうで魅惑的だ。

たくさんの明かりがピカピカと光ってご馳走を照らし出す。

さあ、待ちに待ったディナーの時間だ。

前菜も悪くなかったがやはりメインディッシュを食べないことには帰れない。

彼らは美味しそうな臭いに連れられて、必死に揚力を稼いだ翼を折りたたんで降下する。

いままで己を支えていた揚力の任を少しだけ解いてあげると体は自然に地上へと向かって行った。


吹きすさぶ風に翼で乗り、まるで流星群のように巨体の魚がこの地上に降り注ぐ。

灰色の空に黄色の残像を残しながら魚の群れはついに地上へと直進する。

台風の影響で電車が遅延し、人でごった返した山手線のホーム。

ご馳走がいっぱいのその地にに飛来したゴマモンガラは小さな口を目いっぱいに開けてスマートフォンを弄っていたスーツの男性の喉元に食らいつき、濡れた点字ブロックに押し倒した。

悲鳴を上げさせる暇は与えない。噛みついた巨大な流星はサラリーマンの頸椎を瞬時に破壊して絶命させた。

少し口を閉じるだけで口いっぱいに広がるえもいわれぬ多幸感。

あたりを見渡せば仲間たちも次々と降下してご馳走にありついている。

眼下に倒れたサラリーマンの目は死んだ人間の目をしていた。

くっちゃくっちゃとお行儀よく咀嚼し、嚥下し、香りを楽しむ。

最初に食らったのが声帯だった影響か、サラリーマンに夢中になったゴマモンガラは自分でも理解できない言葉を口にした。


「アア、シアワセ」


ホームは既にパニック状態になり、たくさんのご馳走が走って階段を上っていくがすぐに詰まってしまう。

まるでより取り見取りのバイキング。

すし詰めにされた人間たちはこぞって食べてくださいと首筋を差し出してくる。

少なくともゴマモンガラはそう感じた。


アソコニイキタイ、デモドウヤッテいけバイイ・・・・・・?


そう考えていたらいままでトビウオの翼だった胸鰭が急に大きくなって、骨も急成長し始めた。

生えてきたのは足元のサラリーマンの腕。

これなら水がなくても、浮力がなくても歩ける。

新たに生えたパーツの動かし方は解っていた。

左、右、左、右、左、右、左、右。

交互にペタペタと動かしてゴマモンガラは前進する。

目の前にはもうたくさんのご馳走、選び放題のビュッフェスタイル。

新たな進化を実現したゴマモンガラたちは早速自分たちの可能性を試していった。



一方で人間のいない江戸川に降下したゴマモンガラたちもいた。

彼らは着水した後、河川敷にいた手ごろな生物に目を付け、それを上陸の足掛かりにした。

目の前にいるのは都心にてはびこるかつて人類の最大の天敵だった生物。

G、とも呼ばれる黒光りする光沢をもった昆虫。

ゴキブリであった。

彼らは河川敷の草むらに生息するゴキブリを捕食し始めた。


そしてゴマモンガラは新たな可能性の扉を開く。

その姿を一言であらわすならゴマモンガラの体をして昆虫の足を生やしたキメラだった。

まずは本来尾びれの付け根から数㎝しかない背びれや尻びれが鰓の近くまで拡張される。

その後。鰭たちはその背中と腹に沿うように拡張されたのち、背中側・腹側にそれぞれ3つに収束していき、細長く伸びていく。

細長く伸びたひれは節足動物のような節を持ち、その逆向きについた棘で地面を掴めるようなスパイクを持つ足となる。

本来平べったい体を横に90度倒してまるでヒラメのように地面に突っ伏す。

ぎょろぎょろして飛び出た目は頭蓋の中を飛び出して360度を見渡せるように進化する。


ゴマモンガラ・Gコックロウチ

人類の脅威2つがコラボレーションして手を組んだハリウッド映画の大作のような脅威が東京の侵略を開始する。

河川敷より出でた怪魚は横向きの状態でまるで巨大なゴキブリのようにカサカサと素早く動いて、その強靭な歯で人類を捕食していく。

最速、最短の動きで芝を、土を、そしてコンクリートの道路をも超えて侵略を始めるゴマモンガラ。

その変身対象はゴキブリにとどまらなかった。


一例を上げよう。

分かりやすく日本の昆虫で最強のジャンプ力をゴマモンガラに与えた昆虫がいた。

見た目はGコックロウチと異なり、平べったい体の方向は縦のままだが、強靭・強力な筋繊維でできた2本の脚を持ち、背ビレには透明で薄い翅をつけた一足の跳躍で何mもの距離をも飛び越えるゴマモンガラだ。

捕食学習の対象はトノサマバッタ。

ゴマモンガラ・飛蝗グラスホッパーと後に名付けられたその個体は折りたたまれて力を込めたその脚で思いっきり地を蹴り、宙に飛び上がった。

10数メートルもの高さを軽々と飛び越えて飛来する巨大な足を持つ怪魚。

魚は空中で一回転すると、嵐の追い風を受けてさらに加速し、そのまま伸ばした足を突き出してカフェのガラス窓を蹴り破った。

ガラス片が飛び散り、強風で舞い上がって飛蝗グラスホッパーの登場を言祝ぐように輝く。

最強・最速・強靭の脚力を兼ね備えたゴマモンガラは雨宿りする客たちに血の雨をもたらすといわんばかりに客を一人一人凝視する。

手始めにレジで会計をしていた店員の頭を蹴り潰し、返す勢いで財布を取り出していた客の頭に回し蹴りを叩き込む。

急速すぎる頭部の運動に頸椎が耐え兼ね、蹴られた客は動かなくなる。

『蹴り殺す』という喜悦に心を躍らせた飛蝗グラスホッパーは逃げようとする客たちをまるでサッカーでもするかのように一人一人蹴り飛ばしていった。

一通りの殺戮を楽しんだ飛蝗グラスホッパーはビルの合間を飛び跳ねながら空を上り、屋上に立って町を見下ろす。


地上には色とりどり、バリエーション豊富なゴマモンガラたちがうじゃうじゃと進軍してきた。

河川敷からは鎌を持ったもの。8本足を持ち糸を吐き出すもの。羽を振るわせて鳴き出すもの。

様々な魚だったものたちが軍勢を成して無防備な人類に牙を剥き始める。

さあ、殺戮の時間だ。

人間大になれば最強の筋力を誇る昆虫たちはゴマモンガラのサイズを得、栄華を誇っていた人類文明に反旗を翻す。

東京と千葉の県境より、虫を模した地獄の死者たちが次々と上陸し、人間たちを喰らって行った。

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