第7話 魚眼レンズは海を望む

「クソ、どうすんだこれ!?」


ここまで来たらもう迂回などできない。駅に行くにははどのルートを使っても一本道で目と鼻の先の距離だ。

それに時間もない、現状朱鷺子たちの生死すらわからない状況だ。

これ以上余計な時間は取れない。


「なるように、なれだ!!突っ切ってやる!」


チェーンソーのモーターをオンにする。

鈍色にびいろの刃の回転が早まるのを待たずにゴマモンガラの群れの中に突っ込んでいく。

台風の日だから歩行者が少ないのが幸いした。

ペデストリアンには沢山の動物の死体が転がっているが人間の死体は見当たらない。

今外にいる人間は骨も残らず食い尽くされた可能性も否定できないが今の俺には関係ない。


このゴマモンガラ地獄を走る。走る。突っ走る。走っているうちに違和感に気付いた。

凶悪なゴマモンガラたちが動物、植物どころか建造物に至るまで食いついて削り取っていくのに何故か俺を食いに来ない。

俺も急いでいるから積極的にゴマモンガラを攻撃していないが、なぜかあの獰猛極まるゴマモンガラが騒音を立てて道の真ん中を堂々と走っているおいしいお肉を攻撃してこないのだ。

まあいい。狙ってこないなら好都合だ。

奇妙奇天烈な魚どもを無視して走り続ける。


必死で走っているうちに駅までついた。エスカレーターを駈け下りて駅に入る。幸いなことにゴマモンガラは入り込んでいない。

そのまま改札をハードルのように飛び越えてホームに向かおうとする。


「嫌ああああああああああ!」


甲高い悲鳴が聞こえてくる。聞き覚えはないが女性の声だ。

階段を駆け下りてホームに降りると電車の先頭車両が通り過ぎて行った。

「間もなく、終点つくば、つくば」といつものように危機感のない合成音声が流れる。

ただ一点いつもと違う光景だったのは電車の中身がゴマモンガラと紅いモノがぎっしり詰まった悪趣味と残虐を足し合わせてドロドロに溶かしたようなプレゼントボックスだったことだ。

窓ガラスが内側から鮮血に濡れて見えにくいが、内部の乗客は見当たらない。

いや、乗客はいる。全身を噛み千切られて骨やら筋線維をちらほら見せてくれる乗客だった連中が。

あの小さな顎でどうやったのか、スーツ姿の成人男性の頭蓋骨が噛み破られて内部からピンク色の何かプルプルしたゼリー状のものが見えている。

学生服の女の子だったものが光を失った目で鮮血にまみれた腕を生やしたゴマモンガラに何の抵抗をすることもなく食われている。

地獄だ。あの海水浴場を超える悪趣味とグロテスクをまとめて箱詰めしたような伽藍が停車しようとスピードを落とす。

目の前を通り過ぎていくスプラッタのショーウィンドウ。奥行数メートルの中に人間の死がこれでもかと陳列されている。

自動ドア越しからも漂うむせかえるような血の臭い。

その中で自ら作った血と体液の海でピチピチと気持ちよさそうに泳いでいるやつがいる。

動かない肉塊を貪り続けるやつがいる。待ちきれんとばかりにドアに体当たりしている奴がいる。

腕を次々と生やしている奴もいる。二足歩行している奴もいる————————!!


ドアを隔てた向こうの煉獄、境界は曖昧でいつ崩壊してもおかしくない。

血血血血血血血血血血血血肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨!!

血液が漏れる臭いがする。筋線維が引きちぎられる光景が見える。骨がかみ砕かれていく音が聞こえる。ありもしない血の味が口いっぱいに広がっていく────────────────────────────────


「うわあああああああああああああああああああああああ!」


その場にしりもちをついて腹の底から叫ぶ。なんだあれは。いや、一度海水浴場で経験したことだ。それで俺が実体験したこと。

電車の中は日本の縮図でこの中にいるのは俺だ。俺と同じ蛋白質の塊が鉄分を放出して熱が失われている。

逆流する胃液。痙攣しだす内臓。機能しなくなる筋肉と視点も焦点も定まらない魚眼。

その中で唯一俺の鰭だけが何事もないようにピンと立っている。


「な、何よあんた!あの魚の仲間なの!」


背中を蹴られて目を覚ます。ひどい言われようだが正直判断力を取り戻せたことはありがたい気付けの一撃だ。

振り向くと茶髪の女性が敵意と涙に濡れた目で俺を睨みつけている。

この女性だけではない。周りの人たちは皆同じ目で俺を見ている。


「なんだこの白いやつ!」「気持ち悪い・・・」「てめえがこんなの持ってきやがったのか!」悪意が俺に向けられる。

いや、ただこいつらは不安のはけ口を求めているだけだ。たまたまいた魚野郎に不安をぶつけただけ。

それでもショックなのは変わらない。

こいつらにとって俺はゴマモンガラと変わらないのか————————


俺は失念していたのだ。


俺はもう人間じゃないことを。俺はこの身にマエコウを取り込んだ時点でこいつらゴマモンガラの同類に成り下がっていることに。

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