18-遭遇

 自分で育てておいてなんだが、思ったよりまともな娘に成長したと思う。マーのことだ。


 火の扱いや調理はすぐに覚えて、洞窟内の掃除までやるようになった。狩りにも興味を持ちはじめたが、連れて行けるようになったのはそれより数年あとだ。初めのうちは夜中に脈絡なくぐずぐずと泣くことがあったが、五年もたてばその癖もなくなった。

「ター、食後のデザートに、木いちご取ってくるね」

 流暢なラテン語でそう言うマーに、俺はフランス語で返す。

「今日はフランス語の日だぞ。他の言語はなしだ」

「えーっ、だってフランス語、苦手なんだもんーっ」

 今度は英語で返答し、自分で編んだ蔓の籠を手元でくるくると回す。俺は無言で、マーの次の言葉を待った。

「んー、分かったよ。めんどくさい……」

 ようやくフランス語が返ってきたが、内容がよろしくない。俺が軽く睨んでみせると、マーはしぶしぶ口を開いた。

「大変失礼をば致しました。ごめんあそばせ」

 くるりと回って一礼してみせ、きゃっきゃっと笑うと、そのまま踵を返して洞窟の外に飛び出していった。今はもう、一人で外に出してもそう心配ではない。


 俺が教えられるのは、森林での生活方法以外には言語と、最低限のマナーくらいしかない。マーの手助けで安定して暮らせるようになってから、空いた時間で食器を作り、手づかみをやめた。ドイツ語以外を教えてみたら、これがめざましい上達ぶりだった。古ラテン語、英語、ロシア語、フランス語。面白いように覚えていくから、教えるこっちも飽きがこない。こんな森の奥で何の役に立つのかと言えばその通りなんだが、ある意味、二人で楽しむ唯一の趣味みたいなものだった。

 でも、いつかあいつがここを出ることになれば、思わぬ形で役に立つかもしれない。白くて柔らかそうだったマーの身体は、いつの間にかしなやかにたくましく成長している。着られなくなったワンピースは腰に巻いて、今では狼の皮を貫頭衣に仕立てたものを着て飛び回っている。いつまでも、森に閉じ込めておくべきでないことは分かっていた。


 一番怖いのは、どちらかがどちらかを性的対象と見做してしまうことだ。普通の親子なら父親も年を取るし、娘はより魅力的な同世代の男に惹かれていくはずだ。でもここには、若いままの俺とあいつしかいない。今はまだ想像もつかないが、あいつがどんな気を起こすかなんて分かったもんじゃないし、俺だって無防備なあいつがこのまま成長すれば、おかしな気持ちが起こらないという保障もできない。

 まかり間違って俺たちが男女の関係を持ったとして。二人が幸せならそれもまあいい。だがさらに万一、子どもができてしまったりしたら。とにかく、それだけは考えたくなかった。俺の血をついで不死の呪いを受けていたら? その子どもがもしさらに、子どもを作ったとしたら? 考えただけで寒気がして、気が遠くなる。

 頃合いをみて、どこか修道院にでも預けるか。たしかこの森のどこかで、それらしい建物を見た気がする。


「ターっ、ターっ、どうしよ、どうしよーーーーっ!!」

 恐ろしい考えはマーの叫ぶドイツ語でかき消された。慌てて駆け戻ってきたマーは、俺の前にぺたりとしゃがみこんで、両手を地面について肩で息をする。どうやら、言語を訂正させている場合ではなさそうだ。

「どうした、熊か!?」

 咄嗟に投槍器を手に取ったが、マーは大きく首を横に振る。

「見ちゃった、見られちゃった、どうしよ、どうしよーーーーーっ」

 まさか。熊よりも狼よりも恐ろしいものといえば、思い当たるのはひとつしかない。

「おとこの、ひとたち……」

 マーは自分でも信じられないというようにゆっくりとそう言うと、肩を震わせて、伏せた瞳から一筋涙をこぼした。

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