05-因縁の対決

 色あせた毛並み、衰えた牙。

 前回と随分違った姿で、奴は現れた。額に残った傷跡だけが、奴が奴であることを俺に物語っていた。

 憐れむ余地はない。はじめは喉笛を食いちぎられて即死、次に会ったときは利き腕を肩口から持っていかれてひどく苦しい思いをした。止血には成功したが身体が動かず、傷が腐って10日ほどのたうちまわって結局死んだのだ。石器時代並の武器ではほとんど素手に近い。だが、俺がたった一人「黒い森」で生きていくには、この巨大な狼の息の根を止めておくほかにない。

 腕くらいの長さの枝に、削った石を縛りつけた手製の槍は8本。毛皮の上からではとても歯が立ちそうにない。ならば。

 樹上の俺に気がついて、奴は不用意にもこちらを見上げて威嚇しようとした。

 その目玉に、不格好な手作りの投槍が突き刺さる。

 ギャン、と、響いた鳴き声は、悲鳴というにはあまりに重々しかった。右目に投槍を受けてなお、奴は毅然として俺を睨みつけている。その気迫に、俺は総毛立った。だが、気圧されている場合ではない。両手に槍を構えて、一気に飛び降りる。鼻か、口か、どっちでもいい。奥まで突き刺すことができれば。

 後はとにかく夢中だった。左手の槍が口の奥の柔らかい部分に手応えを感じていたから、右手の槍で耳やら目やらを何度も攻撃した。昔ほどではない奴の身のこなしが幸いしたか、左腕を振り回されても急所を的確に狙うことができた。


 気がついたとき、俺は奴の巨大な身体の下敷きになっていた。息苦しさに這い出すと、血塗れの老狼は息絶えていた。達成感と疲労と空腹が、一緒になって一気に俺に襲いかかる。身体中にまとわりついた血が冷えて、体力をぞくぞくと削っていくのがわかった。こいつの毛皮を剥いで着れば、この冬は凍死しないで済むかもしれない。唯一の文明の残滓、ナイフの鞘を外そうとして、俺はとんでもないことに気づいた。

 左腕の、肘より先がない。ちぎれた腕の先から、威勢良く大量の血が吹き出していた。咄嗟に近くに生えた蔓を引きちぎり、二の腕あたりに巻きつける。今さら痛みが脳天を衝いて、反射的に嘔吐したが胃袋には何も入っていなかった。折れた槍の柄を挟み込んで、ぎりぎりと絞り上げながら、俺は、あとどれだけこんな風に生きるのだろう、と考えた。人の町に暮らす方がきっと遙かに楽だが、歳を取らない俺はいつか不審がられるし、うっかり死ねば土に埋められてしまう。何度も死にながら墓穴から這い出す苦しさを思い出して、俺はナイフの刃を歯で引っぱり出し、狼の腹を裂いた。

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