第二話

 広間に着いた。

 入り口で挨拶をしてから、部屋の奥、上座付近に座っていらっしゃる母上の隣に腰をおろす。

 父上は、上座で堂々としていらっしゃる。威厳はあるが、私たちをご覧になる目は優しい。


 私たちの向かいには、父上に近いほうから義平義兄上、三浦の義母上義平義兄上の実母、朝長義兄上、波多野の義母上朝長義兄上の実母と、側室方の序列に従い、座っていらっしゃる。


 まだ卯の刻の正刻午前6時なので、3歳以下の年少組は、それぞれの対屋で就寝中だ。

 しっかり寝てたくさん遊び、きちんと栄養を摂って元気に育つことを願う。……9歳の私が言えることではないが。



「今日は金蘭の精ですね」


 内緒話のように声をひそめられ、優しく微笑まれる母上。

 金蘭……先ほど、私はたんぽぽと思っておりました……とは言えなかった。


「母上は、天女様のようにございます」


 我が家の女性はどなたも美しいが、母上の美しさは格別に思う。

 身内贔屓と言われようとも、これは譲れない。


 今日お召しの『躑躅つつじ』(上から、くれない匂いて3枚、青、うす青、ひとえに白)も、色白の母上によくお似合いだ。


「まぁ。そのような言葉を、どちらで覚えていらしたのでしょう」

「書物に書いてございました。母上のような美しい方を、『天女様のごとく』と称するのだと」


 室内は広いので、声量をおとした会話は義母上たちのところまで届くことはないが、温かく見守ってくださっている。


 三浦の義母上は『花橘』(上から、山吹、淡山吹、白、青、淡青、単に白)を、波多野の義母上は『若菖蒲』(上から、青、淡青2枚、白2枚、単に白)をお召しになっている。


いにしえの物語を読まれたのですね」

「はい。趣深い話にございました」


 母上と話をしていると、朱塗りのお椀がいくつか載せられた懸盤お膳が運ばれてきた。

 食前の言葉を父上が唱えられ、私たちも唱和する。



 今日の予定などを皆で確認しながら、和やかに食事をする。


 末席の常盤の義母上は、昨日に引き続き、お住まいの北対きたのたいにて安静とのこと。

 初産ではないが、まもなく産み月になるので、皆も心配している。


「母上」

「何でしょう」

「後ほど、常盤の義母上のお見舞いに伺ってもよろしいでしょうか」


 私の問いに、母上は下座に控える近江さんのほうを向かれた。


「近江」

「はい、御方様。北対に伺って参ります」


 ……余計なことを言ってしまったか。だが、常盤の義母上のご容態も気になる……


 まずは、近江さんの仕事を増やしてしまったことを謝らねば。


「手間をかける」

「もったいないお言葉にございます」


 近江さんは三つ指をつき、静かに場を離れた。


 申し訳なさに入り口を見つめたままでいると、そっと母上に呼ばれた。


「慈しみの心は、とても大切です。ですが、あなたは殿の子。人を正しく使うことを学ばねばなりません」

「……はい、母上」


 遠慮することと、仕事を取り上げることは違う。


 女房さんを含め、家臣には与えられた仕事を遂行する義務がある。

 同時に、私たち家族には、「いつ」「どこで」「誰を」「どのように」使うか見極め、指示を出す義務がある。


 母上は、適材適所というものがあると仰っているのだ。



 私の言動は、家に仕える者たちの今後につながることを肝に命じよう。






〔註釈〕

におい:同系色を濃いほうから淡いほうへ、あるいはその逆へぼかす色彩語。本文中の『紅匂いて』は、上から紅・淡紅・より淡紅と、濃いほうから淡いほうへぼかしていきます。

青:五行説に基づいた分類の色。襲色かさねいろでは、緑色を指します。五行説では緑色も〝青〟に含まれ、『青葉』などが、この名残です。

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