3-8話 決着

 不敵に微笑んだレナは、悠然とトマソンの方へ歩み寄る。携えた鎌を外回しに一回転させる余裕すら見える。

 トマソンは、彼女が見せたゆとりに一瞬、怯む。先手を打って一撃を加え、確かに有効打となったはず。現にレナは今も、時折吐血を堪えている。口の中で抑えきれなかった血が、端から流れ出しているのがその証左。

 魔を滅する拳。その体得そのものに間違いは無かったのだとトマソンは確信する。彼はその拳を以て、あらゆる異端崇拝を粉砕してきた。その時の相手は残念ながら人間ばかりであったが……こうして本物の化け物にも致命の一撃たり得るという証拠を得ることが出来たのは、事実だ。

 しかし臓腑に痛手を受けながらも、蒼血啜りは不敵に笑みを浮かべるばかり。右手に持つ鎌に、まるで全幅の信頼を置いているかのようだ。

「よほどその鎌に自信があるようだな……あって然るべきか。教会の恩賜を身に纏った俺に、傷をつけるのだから」

 トマソンが毒づく。すると蒼血啜りが噎せ返る。嘲笑と供に、血が宙に噴き出す。身を捩ったのは痛みのせいか、蒼血啜りの足が止まる。襲撃の好機だったがトマソンは動けない。レナが獲得した余裕の根拠に臆しているのだった。

「ああ……そうとも。煉獄での手慰みに憶えておきな。あたしはこの鎌で”東のアルカディア”を狩ったのさ」

 蒼血啜りが嗤う。

「故に、不死になりたてのお前さんなんざ、赤子の手をひねるようなもんだ。どうした、打ち込んで来なよ…………遊んでやる。小僧」

「不死……不死だと」

 この異端者は今何と言った? 聞き捨てならない言葉が、蒼血啜りの口から飛び出した。

「貴様が教会の恩賜を下に見るのは勝手だが……俺の信仰を貶めるというのなら……ッ」

「信仰、ねぇ。三週間前のあの日も、同じ事を言ったような気がするんだが」

 蒼血啜りが吐くため息。それはまさしく憐れみの表出だった。トマソンは逆上する。しかし肝心要の一歩が踏み出せない。距離を詰めるのは、レナの方だ。

「……何が可笑しい」

「全てさ。お前さんを織りなす前提が、そもそも間違っていて滑稽なのさ」

「またその話か」

「ああ、何度でもするさ。お前さんが信じているのは、主とやらじゃない。自分自身だ。そうだろう」

「痴れ言を。俺が為してきたことを、主はご照覧であった。故にこの力を手に入れた。それが証左に、今日は貴様の邪視を受けてはいない」

 トマソンが部屋に籠もってずっと行っていたのは、蒼血啜りの資料探しばかりではなかった。むしろ本腰を入れていたのは民の怒号を背負って焦燥に駆られながら、主の声を賜ろうと祈り続けることだった。絶食し、水だけでただ祈ること三週間。ついに天啓を得たトマソンは、民草の期待と疑心の目に見送られながらここまで駆け上がってきた。

 そして、実際にその甲斐はあったのだ。今トマソンは非常に冷静だ。闘争への渇望といった心の揺らぎは一切無い。あるのは民草を救うという熱情だけ。熱く、しかし静かに燃え上がる心で敵を見つめている。

 そうしているからこそ、踏み込むことに躊躇してしまうのだった。以下に主命であり民の望みとはいえ、徒花と散ってしまえばそれを果たすことは出来ない。蒼血啜りがもう一歩前に出る。トマソンは油断なく、鎌の間合いから逃れる。圧されている。屈辱だった。

「だから問おう。なんだその鎌は。不死狩りの刃だと……世迷い言を」

「世迷い言かどうかは、その身を以て確かめろ」

 ついに蒼血啜りが、間合いを一気に詰めようと駆け出す。迎え撃たざるを得ない。たとえ相手の武器がなんであろうとも。

 鎌の間合いから、いったいどのようにして内側へ入るか。そして必殺の聖拳をたたき込むか。トマソンの過集中した頭脳はそのことばかりを考えていた。

 故に、気づけるはずもなかった。周囲を念入りに警戒していてもなお、容易には発見することの出来ない……イロナの接近を。

 胸に灼熱の痛みを覚え、トマソンは自分の胸から生えている一本の蒼炎を目の当たりにする。それが二本、三本と増えて、ついには九本に。トマソンの背後からイロナがその炎剣を突き立てた。義憤に燃える修道士を、その場に釘付けにする。身動きすることすら叶わないトマソンは、迫り来る蒼血啜りを睨み付けながら叫ぶ。

「……貴様!」

「単騎で突っ込んできた、自分の蛮勇を煉獄ででも悔いるんだね……」

 蒼血啜りが振り上げる。白銀に輝く刃を。それは断罪の刃か、それとも救いのそれか。

 使い手のレナにとっては、それは両方の意味合いを持っていたのだった。

「あばよ。地獄で会おう、哀れな修道士」

 風切り音。レナが振りぬいた刃はトマソンの首を、寸分違わず横一文字に切り裂いた。トマソンは憤りに叫んだ勇壮な表情のまま、その生命活動を終えていた。イロナたちが炎剣を引き抜くと、支えを失った体と首が別々に落下する。首の方がレナの足元に転がって、止まる。トマソンは、死んだ。

 いや、死というものを生命としての活動ということを指して言うのなら、彼はとっくにそれを辞めていた。なぜなら彼の体からは一滴の血も流れず、あまつさえ死体の方は、しだいに掠れて消えていくのだから。

 レナはそれを見届けて初めて、大鎌ディーヴォを収めた。あらゆる魔術を修めた彼女の誇る、必殺の魔装具。いかなる化生に対しても有効な代物だが、代償は大きい。

「お嬢様……お手を」

 戦いを終え、一体に集約されたイロナがレナに駆け寄る。レナは言われるままに手を開く。

 焼け焦げて炭化した手のひらが、そこにはあった。

「ああ、おいたわしやお嬢様。すぐに治療を」

「要らんよ……もとより、お前に癒やせる類いの傷ではないさ」

「それでも包帯を巻くことくらいなら叶いましょう。しかし、何と言う不覚。お嬢様に素手で”ディーヴォ”を抜かせることになろうとは」

「仕方の無いことさ。お前の剣で殺せない相手なら、あたしが相手するしかない。まさか奴が妄執による不死を体得するまでに至るとは、思いもしなかったがね」

 トマソンの死体はまさしく消えかかっている。薄霧のような濃さになって、輪郭も曖昧になり、灯火が投げる橙色の灯りの中へと消えていく。

「トマソン……とやら。お前さんは修道士には向いちゃいなかった。我が強すぎるんだよ。だから、不死の化け物になっちまった」

「自らのあるべき姿を強く信じ続けることで、いうなれば自らへの自らによる妄念で形を保ち続ける。失礼ながら……お嬢様と同じタイプの不死の形でございますね」

「そういうことになるねぇ」

 ため息とともにそう吐き出すと、レナはやおら膝から崩れ落ちる。イロナがそれを慌てて抱き留める。レナは吐血する。イロナの冷淡な瞳に、焦りが過る。

「お嬢様、お気を確かに。あなた様のありようが揺らいでしまっては、治る傷も治りません」

「ああ、そうしたいのはやまやまなんだが。あたしゃ気付いちまったよ。取り返しの付かないことをしちまった」

 イロナは先を促す。しかしすぐに両手で口を押えて、陳謝する。

「申し訳……ありません。入り口で何人か散らされたものですから、侵入者への対処に注力しすぎてしまっていて……気付くことができませんでした」

「過ぎたことは良い。次善の策を、打たなければ」

 レナはイロナに支えられたまま、なんとか意識を保っていた。しかしそれも、三週間にわたる妄念の供給断ちと、自ら顕現させた不死狩りの刃に精気を吸われたせいで、もはや限界を迎えている。

 レナの意識が落ちる前、最後に放った命令はこうだった。


「アルカディアを……あの子を探せ。手遅れになる前に」

 

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