龍の峰の医者 外伝

栗印 緑

慟哭の英雄

01_結婚

 結婚式は、やたらに盛大だった。


 ネップ島の女たちが総出で作った山盛りのご馳走に、島じゅうの樽を持ち込んだかというほどの酒。村長の長話に、子どもたちの歌、伝統の踊り。俺は退屈だったが、集まった客たちは、英雄の凱旋と結婚という慶事に、みな揃って笑顔だった。


 新婦の名前はプライム。小麦色の肌に黒い髪、そこに纏った純白のレースのドレスの美しさには、客ばかりでなく新郎である俺自身も息を飲んだ。帝都の城の謁見の間に掛かっていた豪華なカーテンを貰い受けてきたのは俺だが、まさか、こんなに似合うとは。島の仕立て屋も相当張り切ったとみえる。常夏のネップ島の固有種だという青白い花も、プライムの髪に飾ると見違えるほど華やいで見えた。


 帝の前に座らされて、なんなりと欲しいものを申せ、なんて言われたって急には思いつくもんじゃない。冒険者の最高ランク、A級ハンターへの昇格試験をクリアした俺は、自動的にリージェルク帝国軍の参与を拝命することになった。勝手についてくる肩書きとばかり思っていたが、まさかいきなり当代の帝、ティフロ6世の前に引きずり出されるとは。咄嗟に目についたカーテンを指さしてしまったわけだが、あながち悪い選択でもなかったのかもしれない。就任祝いにどえらいモノを選びやがった、と苦笑したのは、俺の師匠であり軍の相談役でもあるA級ハンターのクレシュだった。


 19歳、歴代最年少ということもあって、A級ハンターライセンスを付与すべきか否かはかなり揉めたらしい。一度認められれば、参与として死ぬまで給料も発生する。帝都コアリアまで取りに行く必要があるが、定期的に金を受け取れる権利があるなら、今まで通り好き勝手にやっても女房くらいは食わせていける、それが、プライムとの結婚を決めた理由だった。帝国歴618年、4月1日に開催された昇格試験を終えた俺は、翌日には帝都を出て島に向かっていた。

 俺としては給料なんかなくても腕っぷしひとつで稼ぐ自信はあるが、ふらりと出かけていつ帰るかもわからない冒険稼業にプライムを付き合わせるのは気が引ける。何より俺の両親が、子どもの俺を島に置いたまま揃って遠征に明け暮れた挙句、魔物にやられてついに帰ってこなくなった。待つ身のキツさは、俺自身がよく知っている。プライムはいつも俺について来たがるが、足手まといになるし、何より彼女を危険に晒すわけにもいかない。家に待たせるならせめて、金くらいは安心して使って欲しかった。


 結婚の申し込みは、恐らく、俺の人生の中で一番緊張した瞬間だった。馬鹿でかい化け物を目の前にしたときよりも、失敗した去年の実技試験で試験官のクレシュに殺されかけたときよりも、明らかにビビっていた。

 勢いで乗り切るしかない。俺は島に戻って最初にプライムの家にカチ込んだ。去年の試験失敗から一年、島に何の連絡もせず帝都でクレシュに弟子入りしていた俺は、驚き顔が怒りに変わったプライムにまず一発、手痛い平手打ちを食らった。今まで何やってたのよ、バカ、生きてるなら生きてるって誰かに伝えてよこしなさいよ、そう喚きながら二発目を準備するプライムの目の前に、俺は左手の甲をかざして見せた。まだかさぶたの残る、刺したばかりの刺青。A級ハンターであることを証明する、特別な意匠。

 一瞬動きを止めたプライムを、強引に抱きしめる。これなら顔が見えないから言いやすい。A級ハンターになってきた。俺の女房になってくれ。せっかく顔を見えなくしたのに、声が上ずって台無しだった。

 プライムは、少しだけ脱力したように立ちすくんだ。やがてそっと、俺の腰に腕が回る。耳元に、ささやきが届いた。

「……うん。しよう、結婚。いいんだよね、あたし、今度こそ本当に、スコウプ・ネレイドの妻になるからね……?」


 披露宴が一晩で終わると思っていた俺が馬鹿だった。お祭り騒ぎは今日で4日目、周辺の島からもひっきりなしに客が来る。

 歴代で12人しかいない珍獣並みのA級ハンターを見てやろう、というわけだろう。南西諸島出身者からA級ハンターが出たのは初めてのことだ。まだ、有名な魔物を倒したわけでも、多くの人間を救ったわけでもない。が、彼らにとって、俺はまごうかたなき英雄であるらしい。村長は俺たちを祝って島に5日間の休暇を宣言、島の人間たちはもてなす側に回って、客たちに酒を振る舞う。英雄が拝めて、しかもタダ酒が飲めるとあって、客は日に日に増えているようだった。


 酒にもメシにも困らないが、一日じゅう椅子に座らされて祝福され続けるのも3日が限度だ。夕方に半ば無理やり抜け出してきた俺たちは、逃げるように新居に駆け込んだ。

「いや、もう限界だよこれ。結婚、憧れてたけどこんなにキッツイと思わなかったよー」

 ドレスのままベッドに突っ伏して、プライムがこぼす。新居といっても、両親が残した俺の家だ。一年以上ほったらかしだったが、たまにプライムが掃除しにきてくれていたらしい。

「すまん。俺がA級ハンターに昇格したせいで、こんな乱痴気騒ぎになっちまって……」

 椅子の背もたれにぐったり体重を預けて、俺は天井を見上げた。毎晩こんな調子で、帰るなり二人して気を失うように眠ってしまっている。

「あー、スコウプを責めたいんじゃないの。結婚しようってずっと言ってたの、あたしの方だしね」

 確かに、毎度帰るたびに結婚を迫っていたのはプライムだった。俺は蝿でも追い払うかのように、毎度彼女をあしらっていた。

「……やめといた方が、よかったか?」

「まさか」

 顔だけこっちに向けて、プライムがにいっと笑う。

「でもさ、完全に忘れてるでしょ」

「何を」

「明日、あたしの誕生日。ハタチになっちゃうんだけど」

「なんだ、祝って欲しいのか? 酒とメシなら用意するぞ?」

 それはもう勘弁!と声をあげて、プライムはケラケラと笑った。笑う彼女のベッドの脇の窓には、ドレスと同じレースのカーテンがかかっている。仕立て屋が、ドレスの余りをカーテンにしてくれたものだ。いや、もともとカーテンなんだが、余りの生地でも俺の家の窓にはデカすぎるくらいだ。夕焼けの光を受けて、白いはずのカーテンはオレンジ色に燃えて見える。豪華なドレスのプライムと相まって、なんだか、生まれたときから見慣れたはずの自分の家とは思えなかった。


「……でもさ、よかったの? あたしみたいな半年上の女で。帝都にならかわいくて垢抜けた女の子、いくらでもいるでしょ?」

 急に真面目な声で、プライムがつぶやく。

「いまさらどうした、怖気づいたか?」

 からかってみたものの、そういえば、と思う。確かにそういえば、俺はプライムに、自分の気持ちをきちんと伝えたことがない。

「そういうんじゃないけど。あたしはさ」

 プライムが言う。

「あたしは、スコウプのことが大好き。全部好き。茶色い髪の毛も黒い目も、すぐ日焼けして赤くなっちゃう白い肌も。背の高いとこも手の大きいとこも声が少し低いとこも、力あるのにあんまり筋肉太りしてないとこも。それから、ぶっきらぼうで不器用なとこも、案外、弱い心が隠れてるとこも」

「弱い? 俺が?」

 慌てて否定しようとした俺を、わかってるよ、とばかりにプライムが笑う。

「こんなに強いのに泳ぐの苦手なとこも、なんでも好き嫌いしないで食べちゃうとこも、貝殻まで食べちゃって平然としてるとこも」

 その話、まだ引っ張るか。海岸で拾った貝を網焼きにして食うのがこの島の子どもの定番のおやつだが、身をほじり出すのが面倒で、貝殻が炭化するまで強火で焼いて丸ごと食べたらプライムが驚いて大泣きしたんだった。俺の両親が生きてたころだから、まだ10歳にはなっていなかったか。

「それからそれから、いつも強気なとこも、この島を嫌ってるとこも、あたしを邪険にするとこも、あたしが危ない目に遭わないようにしてくれてるとこも」

 少し寂しげに、プライムは微笑んでみせた。

「全部、スコウプだから。だから全部全部、好き!」

 言い終えて見せたのは、少し恥じらいの混じった、艶やかな笑顔だった。今まで見た中で一番といってもいい、可愛いプライム。

「……少し、飲みすぎたんじゃないのか?」

 咄嗟に口から出たのは場を誤魔化そうとする言葉で、我ながら卑怯だなと俺は思った。プライムは幼馴染で、一番の理解者で、そこにいるのが当たり前で。俺が両親を失ってからは、プライムの両親に家族同然の世話を受けてきた。いつもは二つに結んでいる髪、くるくるよく動く大きな瞳、色黒を気にしている滑らかな肌、常に前向きで、物おじしないその性格も、俺だって全部、全部好きだ。なのに、俺がプライムをどれだけ大切に想っていて、どれだけ一緒になりたかったか、誰にも、一度も話したことがなかった。何のためにここまで頑張って、A級ハンターにまで昇格してきたのかも。

 怖気づいてたのは、俺の方だったか。今すぐにはまとまらないが、このどんちゃん騒ぎが終わって、少し落ち着いたら、改めて気持ちを話そう。ちゃんと面と向かって、どれほど好きなのかを。どれほど大切で、かけがえのない存在なのかを。

 プライムは、えへへ、と照れ笑いをしてからのろのろとドレスを脱ぎはじめた。

「綺麗なレース、シワになっちゃうから、掛けておかなきゃね」

 プライムがレースを好きなのは昔から知っていた。帝都の土産にリボンを毎度せがまれていたからだ。一度も買ってこなかったのは、無駄に値の張るレースというやつに、俺自身が価値を見出せずにいたからに他ならない。作るのに手間がかかるのは分かるが、魔力が篭るわけでも身が守れるわけでもない薄っぺらい布に、銀貨を何枚も積む気になれなかったのは事実だ。

 しかし、こうしてレースを纏ったプライムを見ると、今更ながら、その価値を認めたくもなる。まあ、こうして最高級のレースをまとめて送ってやれたから、今までのことは水に流してもらおうと思う。

 背中の大きなリボンを解く手を止めて、プライムは、あ、と俺を見た。

「どうする? せっかく早めに抜けられてきたし」

「何がだ?」

「初夜」

 ヒョェ、と思わず変な声が出た。目が泳いでるのは自分でも分かる。やりたくないわけじゃない、わけじゃないが……。

「ま、もうちょい後でもいっか。流石に疲れてるもんね、お互い」

 プライムが苦笑して、装飾のあまりない木綿の白いネグリジェを着込む。いきなりのことで、俺は心の準備ができていなかった。

「それじゃ、もう寝ちゃおう。今日は久々に、ゆっくり眠れるね」

 宴会、明日で終わるといいんだけど。そう言いながらプライムが窓の雨戸を閉めると、残り火のような夕日が遮られ、部屋は暗くなった。

「おやすみ、スコウプ。また明日」

「ああ、うん、おやすみ」

 動揺をからかわれずに済んでよかった、と、そのとき俺は思っていた。


 これが、俺とプライムの最後の会話になるなんて、思いもせずに。

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