Ingrowth story

Takeman

断片一 管鰻

「孕み屋を呼べ」


 オリツの膨らんだ腹を見てタツゾウはシゲにそう言った。


 ここから川までの距離を頭の中で思い出し、そんなに離れていなくて助かったとシゲは思った。この道を少し戻れば川に繋がる小道がある。管鰻くだうなぎ使いにとって川は重要である。常にどの方向に川が流れているか、どの道を通れば川までたどり着くことができるかを把握しておかなければいけない。川まで小走りで駆けながら言卵ことだまの組み合わせを頭の中で組み立てていく。

 川辺まで降りていくと、シゲは背負っていた水筒をおろし、その脇にある入れ物の中から言卵の入った小袋を取り出した。懐から手ぬぐいを取り出し地面の上に広げる。

 体を屈めて手ぬぐいの表面をふっと吹いて埃を吹き飛ばす。そしてその表面を手の甲でさらりとなでて確認をする。さっきまで懐に入っていたのだからごみや埃などついてはいないはずなのだが、シゲは始める前にこの行為をする。シゲにとってこの行為は管鰻を放つための所作といってもいいのかもしれなかった。これをすると落ち着くのだ。

 心が透明になっていく。

――よし、と孕み屋を呼ぶための言卵を選び始めた。

 広げられた手ぬぐいの上に、藍、赤、白と孕み屋を呼ぶための言卵を順番に取り出して置いていく。

 必要な言卵を並べ終わると今度は水筒の蓋を開け、中から一匹の管鰻をつまみ出した。

 管鰻は冬になると冬眠をする。その習性を利用して水筒の中に氷を入れて管鰻を冬眠させた状態で持ち運んでいる。

 シゲは取り出した管鰻の尾の近くにある産卵口の中に、手ぬぐいの上に並べた言卵を一粒ずつ順番に入れていく。

 すべての言卵を入れ終わるとシゲは管鰻の産卵口からおなかに向けてゆっくりとしごいていく。産卵口から飛びださないように腹の中の言卵を頭の方へと送るのだ。それが終わると手ぬぐいの上に管鰻を置き、少し待つ。産卵口から言卵が飛び出してこないかどうかを確認する。

 そこまで済むとシゲは自分の手を口元にあて、息を吐きかけて手を暖めた。そして再び管鰻のエラの後ろの部分つまみながら腹の部分を握り、ゆっくりと尾に向かって手を滑らせ管鰻を暖め始める。

 管鰻は鰓呼吸だけでなく肺呼吸もする。だから水の中から取り出してもしばらくの間は生きていくことができるのだが、陸上の生き物ではないので徐々に弱っていってしまう。手早く済ませなければいけないが慌ててもいけない。


「起きてくれよ」

とシゲはつぶやく。

 管鰻を冬眠から目覚めさせるときが一番緊張する。

シゲが管鰻屋のオヤジに門生に入り、長い下働き生活をへて初めて管鰻をあつかわせてもらったとき、シゲは蘇生に失敗した。

 管鰻屋のオヤジは失敗しても何も言わなかったし先輩たちも夕飯のあとで、誰でも最初は失敗すると言ってくれたのだが、蘇生させようと何度も滑らせたあのときの手の感触はいまだに忘れることができないでいる。失敗したのかそれともまだ暖め足りないのか、いまだにその判断と止め時がシゲにはわからないでいるのだ。

 数十回ほど握った手を往復させると、こふっと白いネバネバした老廃物をはきだし管鰻はうごきはじめた。身をよじらせてシゲの手から逃れようとするところを、シゲは逃げられないように掴みなおす。蘇生はうまくいった。


――よかった。

 シゲは管鰻を川面に近づけ、そして川上に向かって放つ。管鰻はしばらくの間その場をうろうろとしていたが、そのうちに川の中をながれるくだを見つけたようだった。管鰻はくだにするりと入り込み川上に向かって流れていった。管鰻だけが、川の中を逆流するくだに入り、川上に向かって流れていくことができるのだ。

 管鰻はあほうなので産卵口に言卵を入れると自分の卵だと勘違いする。勘違いしてさらに産卵時期が来たと思って産卵をしようとするのだ。自分が孵化した場所目指して川を上り、街まで泳ぎ、管鰻場までたどりつく。

 管鰻場では管鰻屋のオヤジが門生たちに、戻ってきた管鰻がいないか定期的に見張らせている。戻ってきた管鰻は門生たちによって捕まえられ、言卵は取り出されて管鰻屋のオヤジはその意味を読み取る。シゲが放った管鰻の言卵も管鰻屋のオヤジは意味を読み取り、その内容を孕み屋に伝えてくれるはずだ。

 孕み屋は孕み屋で独自の連絡手段を持っているらしい。管鰻を使った不安定な連絡手段しか知らないシゲからすると、なんとしても知りたい連絡手段なのだが、そこは掟がある。シゲが孕み屋にならない限り知りえないし知る方法もない。仮に知ることができたとしてその方法で伝える事のできる相手は孕み屋だけで、結局使いみちがない。

 孕み屋になるぐらいならば今のままのほうがいい。そうシゲは思いなおすのだが、管鰻を使うとき、毎回こんなことを思って堂々巡りをしている。

 今回の仕事で管鰻は六匹持ってきた。いま一匹使ったので残りは五匹だ。のこりのすべての管鰻が無事に蘇生するかはわからないし、蘇生しても管鰻屋まで無事にたどり着いてくれるかもわからない。

 タツゾウの表情とオリツの容態をみるかぎりでは時間の余裕はまだありそうだった。どんなに遅くても明日には孕み屋は来るはずで、仮に来なかったとしても、もう一回管鰻を使う余裕はありそうだ。管鰻にかかる費用はタツゾウ持ちとはいえ無駄なお金はかけたくはない。そう考えたシゲは管鰻を一匹だけ放ってタツゾウたちのもとへと戻っていった。

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