第5話 「お父さん、今日…ね。」

 〇桐生院貴司


「お父さん、今日…ね。」


 それは、ある日突然…何の前触れもなく訪れた。



「何だ?」


 ずっとインターナショナルスクールの寮生だった知花が、高校は桜花に行きたい。と、申し出た。

 母は反対したが…知花の熱意に負けた私が、それを許可した。


 ずっと、何も望んだ事のない知花が…初めて言った我儘だ。

 叶えてやりたいと思った。


 幸い成績は良かった知花。

 難関と言われた桜花高等部への受験に見事合格し、この春から桜花に通っている。

 我が家から。


 だが…

 色んな不都合で、週に三日、21時まで帰れない日がある。

 私はそんな事をしなくても…と思うが。

 母は、麗たちの手前、容子がいなくなったからと言って、知花に必要以上に優しくするのはおかしいと思ったのかもしれない。



「どうした?具合いでも悪いのか?」


 何か言いたそうな、それでいて困っている知花にそう声をかけると。


「うっ…ううん、あの…今日、ね。」


「今日、どうした?」


「デート…なの。」


「…デート?」


「…うん。」


 頭の中が…真っ白になった。

 知花が…デート。

 と言う事は…


「彼氏ができたか…」


 仕方ない。

 知花は今年16になる。

 彼氏がいても、おかしくも何ともない。



「同じ学校の子かい?」


 平静を装って問いかける。


「…ううん、社会人。」


 社会人…


 21時まで帰れない時、知花は図書館や本屋にいると聞いていたが…出会いはどこにでもありそうなものだ。



「どこで知り合ったんだ?」


「まあ…街で…」


「そうか…」


 彼氏…

 知花にとって、特別な存在…


 私は、その存在に、とてつもない興味を覚えた。

 知花の彼氏。



「そ…それでね、今日…」


「じゃあ、今日、彼氏をうちに呼びなさい。」


「え?」


 知花が目を丸くした。


「父さんも早く帰るから、みんなで食事をしよう。おばあさんには、父さんが言っておくよ。」


「そ、そうじゃなくて…父さん?」


「知花も、そんな年頃か…おっと、こんな時間だ。じゃ、彼氏によろしくな。」


 これ以上知花の前にいたら、泣いてしまう気がした。

 さくらと同じ年頃になった知花に…さくらの事を話してしまいそうになる。



「えっ…?」


 母は眉をしかめて小さく声を上げた。


「ですから…今夜、知花の彼氏をうちに招待しました。」


「か…彼氏って…あの子、いつの間にそんな…」


「…では行ってまいります。」


「ちょ…ちょと貴司…」


 母の声を背中に受けながら玄関に向かう。


 …彼氏が出来たぐらい…なんて事はない。

 そう言い聞かせるも…この重く沈むような気持ちは何だろう。



「……」


 少し苦い気持ちを抱きながら、私はネクタイを締め直して玄関を出た。


 …彼氏か…

 社会人…

 どんな人物だろう。

 知花が頬を染めて打ち明けるんだ。

 きっと…

 かなりの好青年だろう…



 と。


 私は、勝手に妄想を膨らませていた。



 * * *


「はじめまして。神 千里といいます。」


 知花の彼氏がやって来た。


「ようこそ。」


 この時の私も…平静を装って…彼を出迎えた。

 しかし…心の中では…


「髪の毛…切ったの?」


「食事に誘われて、あんな長髪じゃみっともないだろ?」


 長髪!?


「TOYSの神 千里!?」


 と…といずのかみちさと?


「誓たち…知ってるの?」


「みんな知ってるよ!!本当の神さん!?」


「…有名人だったのね…」


 有名人?


「TOYSっていう有名なバンドのボーカルなんだよね!?神さん!!」


 ……誓はともかく、麗までがはしゃいでいる。

 これは…並大抵の有名人じゃないらしい。



「ところで…知花とは、いつから?」


 何食わぬ顔で問いかける。


「6月です。」


「街で偶然出会ったと聞いたけど…」


「僕がナンパしました。」


「……」


 ナンパだと!?


「一目惚れだったんです。」


 一目惚れだと!?

 …いや、私も…さくらには…

 一目惚れ…一聴き惚れ…だったな…。


 …そうか。

 知花にも…さくらのような、魅力があると言う事か。

 一目惚れさせてしまうような…



「これ何?うまいな。」


「…千里の大嫌いなもの。」


「だいぶ減ったぜ?」


「うそ。この前レンコン残してたの見たよ?」


「いきなりあの大きさはハードル高かったんだよな。」



 ………こいつ…。

 知花の料理を食べてる…!?



「…知花の料理を食べたことは?」


 すでに私の頬は、ヒクヒクと引き攣っていたかもしれない。

 神くん。

 確かに君は…いい奴なのだろう。

 だが…

 知花の手料理を、どこで食べた!?



「ええ、あります。」


「君は今、一人暮しを?」


「いいえ、祖父の家にやっかいになってます。そこで、料理を作ってもらったことが何度か。」


「…お祖父さんの家?お祖父さんは何をされてる方かな?」


「祖父は…神 幸作と言います。」


 …その名前は…とても聞き覚えがあった。

 神 幸作と言えば…


「昨年まで通産大臣をされてた…神 幸作氏?」


「そうです。」


 私の問いかけに、神くんは表情一つ変えず、そう言った。


「今は貿易商の会長を。父もイタリアで似たような事をやっています。」


「ほお、貿易の…」


 俗に言う…金持ち家系だ。

 もし、将来知花が神くんの所に嫁入りするとしても…食いはぐれる事はない。

 それは、一番の安心材料だ。


 …いや、その前に、神くんの人気は落ちないのか?

 麗と誓は猛烈なファンのようだが…

 歌手にも旬というものはある気がする。


 …それに、何より…

 歌う人間と…知花が付き合うなんて…



「あの。」


 私が一人、考え事にふけっていると…不意に神くんが言った。


「知花さんと、結婚させてください。」


 母を始め、麗も誓も、そして…知花までもが、驚いた顔をした。


 結婚だと?

 知花と…

 結婚だと!?



「…知花は、まだ学生だけど?」


 私が低い声で言うと。


「わかってます。でも、知花さん以外考えられないんです。」


 神くんは、これまた…表情を変えずに言った。


「離れていたくないんです。」


「……」


「職業柄、会えないことが多くて。」



 …気に入らない。

 この、感情が伝わらない表情。

 すごく、すごーーーーーく、気に入らない…!!

 …だが、私は親だ。


「…知花は、どうなんだ?」


 冷静に…知花に問いかけてみた。



「あ…あたしは……彼と、一緒にいたいです…」


「……」


 返り討ちにあってしまった。

 もはや、ダメージが大きすぎて…何も言えない状態になっていたが…


「…神くんは、知花のどこまでを知ってるのかね?つきあいはじめて4ヶ月だろう?」


 私は、切り札的な感じで…そう言ってみた。

 すると…


「誰にも言えなかった秘密を、聞きました。」


「……」



 ガーン。



 知花…

 神くんに…話した…のか…

 髪の毛の事…。



「……考えてみよう。」


 敗北。

 その二文字が浮かんだ。



「父さん…」


 私のたった一言に…知花は満面の笑み。

 そして…


「まっまだ早いんじゃないですか?」


 母は、狼狽えた。


「できれば、知花さんの誕生日が来たらすぐにでも結婚したいんです。」


 神くんは…調子に乗った。



「気を付けて。」


 これ以上神くんを調子に乗せてはいけない。

 そう思って、明日の仕事を話題に、食事会を切り上げた。



「ありがとうございます。それじゃ、失礼します。」


「あ…あたし、そこまで送ってくる。」


「神さん!!また来てね!!」



 神くんとビールを飲んで…

 飲み過ぎて…

 若干頭が痛かった。


 玄関先で神くんを見送って、広縁に立つ。

 すると…


「…結婚なんて…」


 母が隣に立った。


「…もう、そういう事があってもおかしくない年頃ですよ。」


「だけど、貴司…」


「…さくらの歳と…同じです。」


「……」


 母と並んで、庭を歩く神くんと知花を見た。


「…あ。」


 つい、声が出てしまった。

 歩いていた二人が…突然、抱き合った。



「まあ…あんな所で…貴司、行って注意を……貴司?」


 母が呆然と私を見ている事に気付いて…

 私は、自分が妙な顔をしている事に気付いた。


 今、私は…

 庭で抱き合っている神くんと知花を見て。

 さくらにプロポーズした日の事を思い出した。

 桜の花が舞い散る日だった。

 ピンクのチューリップの花束を差し出して…さくらにプロポーズをした。


 抱きしめたかった。

 本当は…抱きしめたかった。

 だが、長井さんもいたし、さくらには想い人もいた。


 私は、好きな女性を抱く事が出来ない。

 そんな自信のない私が…プロポーズなんて。



「…母さん。」


「…なんです。」


「…さくらは…どこかで…幸せにやっているんでしょうか。」


「……」


 母は何も答えなかった。

 そして、私は…さくらを追い出しておいて、そんな事を望む自分に…笑いが出た。


「…彼が…知花の居場所になるのでしょうかね…」


 小さくつぶやくと。


「…今夜の晩食の支度…私は…初めて知花の鼻歌を聞きましたよ…」


 母は、静かに歩いて行きながら…そう言った。



 * * *


 昨日の今日だが…

 私は早速…神 幸作氏の屋敷を訪問した。


「知花には内緒で、君と二人で話したい。」


 神くんにそう言うと、彼は快く承諾してくれた。



 日曜日の昼間に家に居る有名人…

 大丈夫なのか?



 まだ新人だが、私の片腕として働いてくれている深田に。


「深田。TOYSというバンドを知ってるか?」


 と聞いてみた。

 年齢的には、神くんより少し上なぐらいだ。

 深田が知らなければ…


「知ってますよ。社長、ロック聴かれるんですか?」


「……」


 知ってたか。




「突然、申し訳ないね。」


 どこかのゴルフコースかと思うような庭を眺めながら、私は神くんの前に座った。


「いえ。」


「…君は、知花から『誰にも言ってない秘密』を聞いたと言ったが…知花はどんな秘密を?」


 早速切り出してみる。

 神くんの言う、知花の『誰にも言ってない秘密』が何なのかも…気になった。


「…秘密なんだから、喋っちゃまずいですよね。」


 神くんはそう言ったが。


「…身体的な事かい?」


 私は引かなかった。

 私は父親だ。

 おまえは、私の可愛い娘をくれと言った。

 私に従え。

 そう、言わんばかりの目で神くんを見た。



「……髪の毛を見せてもらいました。」


「…そうか。」


 知花が…髪の毛を誰かに見せた…

 恐らくそうだろうとは思っていても、それは少しショックだった。

 仲のいい七生さんと会う時でさえ、カツラを着けている。

 それが…神くんには…


 知花は、神くんには、ありのままの自分を見せたいと思った事になる。



「聞いていいですか?」


 私が少し落ち込んだまま無言でいると、神くんが指を組んで言った。


「何だい?」


「どうして…週に三日、21時まで家に帰っちゃいけないんですか?」


「……」


「どうして去年まで、インターナショナルスクールの寮に?」


「……」


 本当に…知花の事を好きなら。

 神くんは、どんな事をも受け止める必要がある。



「…知花は…私の子供ではないんだよ。」


 私は、静かな声でゆっくりと言った。


「知花の母親と結婚した時…彼女はすでに妊娠していてね。」


「…知ってて…結婚したんですか?」


「まあ…そうかな。」



 それから私は…

 知花に関する全ての事を、神くんに話した。

 神くんは意外と真剣に…私の話を聞いた。


 …正直…私は神くんを信用していなかった。


 ロックバンドのボーカリスト。

 偏見ではあるが…それはとても煌びやかな世界で。

 多くの女を囲った、私の父を連想させた。

 …私の父はロックバンドのボーカリストではなかったが、社長という肩書をフルに使って派手に動いていた。

 私からしてみると、社長なんて…何の自慢でもないが。



「……どうして…俺…僕に、ここまで?」


 神くんは、少し面食らっているようだった。


「君なら、知花を任せられるかなと思って。」


 どうだ?

 このプレッシャーを、君は受け止められるのか?


「……」


「知花を、幸せにしてやって欲しい。」


 私は真顔で神くんを見つめた。

 もし、その気がないなら。

 知花を…幸せにする気がないなら。

 ここで降りろ。

 そう、強く思いながら…見つめた。



 だが…神くんは。


「…はい。」


 背筋を伸ばして…私にそう返答した。



「…知花を…」


「……」


「泣かせないでくれ。」


「…頑張ります。」


「それと…」


「…はい。」


「…知花が成人するまで、子供は作らないで欲しい。」


「…分かりました。」


「それと…」


「……」


 ああ…ダメだ。


 私が泣きそうになって、少しうつむいてしまうと。

 神くんは…そっと席を外した。


 その…彼の行動が。

 彼の心遣いが…私を動かした。



 …彼になら…


 知花を任せられる…。

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