第5話 気遣いの料理に悪夢の招待

 案内されたのは、少年の姿には見合わない、青葉からしたら豪華なマンションであった。

 まずエントランスに入るための認証をして、ガラスの二重扉を通り抜ければ、かなり広い。病院の待合室ほどのイメージで、しかし、人が集まってはいなかった。そういえばと思って時計を探すと、まだ二十時を回った頃合いである。

 そこから、三つあるエレベータの一番右側に乗り込んだ。

「なんで三つも……?」

「あ? そりゃ使用階数で変えてるからだろ」

 聞けば、ここは十五階建てであり、五階ごとに変えてあるらしい。彼の家は十三階なので、一番右側だ。

 到着すると、そこに通路はない。やや曲がってはいるものの、通路というよりも廊下だ。しかも広い。ここだけで一部屋作れるんじゃないかと思う。

 ここが玄関じゃないと気付いたのは、奥の鍵付きの扉を見てからだ。

「おら、こっちだ捨て猫」

「む……」

「そしてステイ」

「犬でもないわよ……」

 いいから待っていろと、玄関に青葉を置いて、彼――公人きみひとは傘を立てかけて中に入り、すぐ風呂を沸かす。考えるのは、風呂場までのルートにおいて、青葉が濡らしても構わないかどうか。

「レッドカーペットでもありゃ皮肉になる。今度買うか……」

 たぶんそれは無駄になるだろうことがわかるので、本気ではない。

 バスタオルを三つ手に取って戻り、それをかぶせた。

「とりあえず、可能な限り水分を飛ばせ。靴下も脱いで足を拭く、できないようなら助けて下さい、だ」

「できるわよ、一言多いわね……」

「わざとだ」

「なんで」

「お前がまだ落ち着いてねえからだ。俺に対してはともかく、場所に対しての警戒は必要ない。気をつけることは、勝手に寝落ちして溺れないことだ。風呂に入れ、着替えは用意しとく。女物はないけどな……」

「あったら今すぐ逃げるわ」

「当てもないのにか? こっちは一人暮らしだから、あー……面倒だな、もういいか。ほれ風呂、こっちだ」

「なにが面倒なのよ」

「お前、自分よりも面倒なのがどこにあると思ってんだ? 風呂に入る前に鏡も見ろ」

「この男……!」

 腹を立てられるなら、そこそこ正常だなと思いながらも、そんな様子は見せず、鼻で笑って風呂場に入れてやった。

 そこでようやく、公人は吐息を一つ落とす。

 まずは寝室に行って、着替えだ。真面目な打ち合わせだったので、ネクタイまで締めて出かけていたのだ。小学生の頃からとはいえ、さすがに一人暮らしだと、いろいろとそういう面倒もある。

 クローゼットをあけて、作務衣さむえに袖を通す。スーツはハンガーにかけて、クリーニングは後回し。青葉の着替えとして、新品のシャツや――下着はどうしようもないので、男物。

 風呂場に戻れば、シャワーの音が聞こえて、躰を洗っている様子もなんとなくわかったので、一安心。だが、青葉には安心してそのまま倒れて貰っては困るので、そこは気をつけないといけない。

 洗濯機に青葉の服と一緒に、自分のものも入れて回しておく。

「おい猫」

『猫じゃないわよ! なに!?』

「うるせえな……ダイニングにいるから、あったまったら出て来い」

『え、あ、ああ、そう……』

 返答もある、まだ緊張の糸は途切れていない。ならば風呂くらい、自分でできる。

 さてと、リビングを通り過ぎてダイニング、そこでエプロンを装着してキッチンへ。二人分の食事が必要だ。

 とりあえず下ごしらえをしよう。いつも通りの作業は、鼻歌交じり。手早さは必要だが、焦る必要はない。時間がかかる作業は、短縮せずに時間をかける。レシピなんてものが世の中にあるのは、それが最適解の一つだからと、公人は知っていた。

「なんだ、思ったより早いな……女の長風呂ってのは、よく聞くが」

 まあ、自宅でもなし、それほどのんびりはできないかと、結論を落として紅茶を淹れる。開いている缶は、オレンジペコだ。三日目のはずなので、香りは飛んでいない。

 おずおずと、あるいはきょろきょろしながら、青葉が戻ってきた。タオルを肩にかけているのは、髪がまだ乾いていないからだ。

「多少は落ち着いたか?」

「ええ……鏡で顔色を見て、酷い有様だとは思ったけれど」

「座れよ、今は食事の用意をしてる。先に紅茶ができるから待っててくれ、とりあえずは――そうだな、世間話にしよう。核心的な話題はまだ早い、明日にでもするさ」

「……ねえ」

「明日でいい」

「私がそうであるように、あなたは、私を不思議に思わないの?」

「あ? 馬鹿なことを言うなよ、――警戒して当然だ。俺がそうであるように、お前だって他人だ。けどそんなのは、程度の差だろ。殺人鬼が隣にいたって、標的が自分じゃないなら、笑って酒を飲むこともできる」

「できないわよ……?」

「たとえ話だ。ちなみに、今日のメニューは鶏もものコンフィとコーンスープ。この前、クルトンを作ろうと思ってやったら、没頭しちまって大量生産したから、消費するようにしてる。あとはカルボナーラと、ポテトサラダ。デザートが欲しいなら、昨日作ったトロペジェンヌがあるぞ」

「ええと……何の料理?」

「フランス料理――と、言っていいのかねえ。味はそこそこだ、悪くはないだろうけど、家庭の味を期待されると困る」

「そう」

「俺のことは公人きみひとでいい」

「え、あ、うん、私は椿つばき青葉あおばよ」

 どうしてわかったのだろうか、なんて顔をしているが、呼びにくそうにしていれば誰だって気付く。

 今までは、あえて名乗らなかっただけだ。

「世間話、ね」

「思ったことを口にすりゃいい」

「じゃあ、公人に関して、聞くわ」

「どうぞ。言いたくないなら、そう口にする」

「一人暮らしには、過ぎた家よね?」

「家賃はウン十万だな。俺自身の稼ぎじゃ足りないが、どこにいるかもわからん親から、定期的に振り込まれてる金があるからな。ちなみに中学生だ、お前も似たようなもんだろ」

「二年よ」

「なら同じだ。ちなみに、このマンション自体が俺の資産になってる。さすがに管理人は別に雇ってるし、直接俺の所有物とわからないよう、金の流れは誤魔化してるけどな。資産運用の一種だが、儲けが出ているかと問われれば、まあ家賃には届かないと、そう言っておく」

 公人はできるだけ、意識して言葉数を多くする。会話をしている意識があれば、食事の前に眠ることはないだろうから。

 だが、加減はきっと、難しい。

 本当は青葉に話させたいが、そうするとしゃべり疲れてしまう。ほんの一時間しかこっちに戻ってこない、電子世界の住人が病室にいて、彼女との会話でそれは経験した。

「男の一人暮らしにしては、綺麗」

「女の一人暮らしだって、汚いことはあるだろ。自室は荷物置き場みたいになってるが、整理整頓は昔から気にして、ちゃんとやってるんだ。綺麗な方が気分はいいだろ?」

「それはそうだけれど……」

「面倒か?」

「ええ。自室以外の掃除なんて、そうそうしないもの」

「甘える親がいれば、そうなるさ。結局、一人暮らしは責任の所在が自分しかない。慣れりゃどうってことはねえよ、学校と一緒」

「そういえば、学校はどこ? 私はVV-iP学園付属中学校だけれど」

野雨のざめひがし。こっからは近い――ああ、そうか。ここ、野雨と杜松ねずの境界くらいな」

「――そんなに離れているの?」

「どこを基準としているか知らんが、住所は間違いない」

 だったら。

 十キロ以上は離れているはずだ。あるいは、もっと。

「ちなみに、学業の成績は悪くないぜ」

「……自慢?」

「そう、自慢。テストの成績はいつも上位だ。出席日数はぎりぎりで、授業態度は最悪で、だいたい寝てる。ついに教員は俺の面倒を見るのが嫌になって放置、お陰で俺は気楽に学校へ行ける。同級生はどうだろうな、怖がってるのも一部いる」

「怖がる?」

「ほとんど授業に出ないで、テストの成績だけは良い人物は、異質だろ」

「うちの学園はそういう人も結構いるから」

「そういや、そうだっけな」

 VV-iP学園は、試験さえクリアできれば、何をしてても構わないような場所だから。もちろん、授業妨害などは論外だけれど。

 ただし、試験がクリアできなければ、それだけで留年になる。

「ん? いや、それは高等部からだっけか」

「中等部はそれなりに、厳しいわよ。……厳しい? ううん、そうじゃなくチャンスが多い、かしら」

「で、本題はあの、クソッタレな出席日数とかいう制度を、どうにかできないかって相談なんだけどな?」

「学園に通いなさい」

「それもそうか」

 茶葉の踊りが落ち着いたので、カップに注いで青葉へ。

「ありがとう」

「ここは喫茶店じゃないけどな。悪いが、砂糖やミルクは置いてない」

「構わないわ……甘い方が好きだけれど、うん、……美味しい」

「そうかい」

「紅茶、好きなの?」

「日本食は難しくて、まだ手を出してない。半年前はイタリア料理だったし、だいたい紅茶を食後に飲む感じにしてるからな。俺だって喫茶店に行けば珈琲を頼むし、日本茶が嫌いじゃあないんだが、今のところは紅茶」

「そう。……いや、中学生が喫茶店に行く? ファミレスとかならまだしも」

「行くだろ」

「こう、なんか、場違いというか、ちょっと怖くない?」

「そういうのを感じたことはなかったな……俺の行きつけは成人ばっかだし、もう一つの方は高校生が多いから、まあ確かに、場違いなのかもしれないが、制服を脱げばただの人間、年齢制限があるわけじゃない」

「そうだけど」

「一人だと、そういう行動範囲は広がるかもな」

「料理は?」

「外食は高くつく――ってのは、言い訳か。俺には設計図とにらめっこするより、レシピの方が気が合った。加えて、何かを作るってのは悪くない」

「ええと……?」

「趣味じゃないが、好きでやってるってこと」

「ならそう言ってよ」

「そう言っただろ。食欲は?」

「ん……空腹はあまり感じない」

 それは当然だ。まだ緊張状態が続いているので、空腹どころではない。だから公人も少なめには作るが――さて、どこまで食べられるだろうか。

「ま、食べられるだけでいいか」

 料理を並べて食事を始める。

「マナーなんてねえよ、適当に食え」

「うん……あ、美味しい」

「そりゃどうも」

 味がわかる程度には、落ち着きもある。ただ、これ以上の落ち着きを取り戻せば、意識を失うよう眠りにつくだろう。

 まあ、それも良いか。

「無理に食うな」

「大丈夫、そんなに量はないから。美味しいし――お腹は空いてたみたい」

「良いことだ」

 食事を終えて、食器を洗ったタイミングで紅茶をもう一杯。

「……あは、至れり尽くせりね」

 そう言って、青葉は大きく吐息を落とした。

「あれ――」

「今日はもう寝ろ」

 躰に力が入らず、ふらりと倒れそうになる青葉を抱きかかえ、そのまま寝室のベッドへ。

「きみ、ひと……ごめん、あり、がと」

「おう――に、よろしく」

 室内温度設定を少しだけ上げておき、公人は戻って紅茶を一杯。

「――どうしたもんかね」

 天井を見上げて、両手を頭の後ろに回して、問いかけを一つ、あえて口から放って作る。


 誰がどう見ても、青葉の魔力は暴走ぎみだった。


 人間は存在しているだけで、魔力波動シグナルを発生している。それは、ある種の存在証明のようなもので、制御して消すことはできても、消えていることが異常であるため、逆に発見が容易くなる――まあ、これは隠れる場合の話だが。

 躰の表面を撫でるように落ちる魔力が、無駄かどうかはさておき、通常だったとしたのなら、間違いなく青葉の魔力は荒れていた。

 まるで電気の火花が、あちこちに飛ぶように――綺麗に言うなら、線香花火のよう。

 だったそれは異常だ、暗闇の中だって目立つ。

 それがだいぶ落ち着いたところで、青葉は眠りに落ちたようだが、疲れ果てた先に待っているのは、大半は悪夢だ。しかも青洟おそらく、日常から蹴り飛ばされた。

 はじき出された。

 混乱は当然だ。今まで日常だと過ごしていたものから、ガラス一枚を隔てて、似ているようで違うような日常は、どこにでもある。


 魔術師は覚醒しない。

 だが魔法師は覚醒する。


 どちらもきっかけは必要だが、魔術師は己の判断で探求を始める。しかし、魔法師はそれによって、世界の理を突きつけられる――拒否権も、ない。

 青葉はどちらだろうか。

 そして、公人が拾ったのは何故だろうか。

 相談するには早いし、何をどう相談するかも考えない。なるようになるし――そもそも、結論を出すのは、今ではない。

 それに公人は。

 の結論を、自分一人で出すほど、間抜けじゃない。



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