玲瓏の翼

珍歩意地郎 四五四五

第1話001:御前試演のこと、ならびに控えの間のこと

 パイロットの顔面から、眼球がとびだした。


 つづいて、うつろになった眼窩がんかと鼻、耳のあなから、湯気の立つピンク色のモノが。

 噴出し、飛沫しぶき、したたり、コクピットの計器盤コンソールにベチャリ、叩きつけられる。


 スタジアムを満たす群衆の中から叫びと悲鳴。

 しかしそれを圧する歓声――そして尾を引くとよもし。


 宙空に浮かぶ、一辺五○m近くの大モニターは、惨状をていするコクピット内オンボード・カメラ映像を瞬時に切りかえ、キー局のスタジオにならぶ二人の司会者と、ひな壇芸人を映し出した。


「ハイ!えー、と言うコトで。つかまっちゃったワケですけどもぉ」

「ねー?これで6人目?ですか?ヒドイことになりましたネェー」

「おまえ全然ヒドイと思ってないダロ」


 スタジオからの、手を打ちたたくバカ笑い。


 だが、居ならぶ数万の観衆はモニター画面などそっちのけで、耐撃ガラス張りのドーム天井ごしに外を見つめたまま動かない。


 全天を、紫電しでん満たす暗雲がおおっていた。

 気流がはげしいため、明暗・濃淡が入れ替わりせめぎ合う。

 その雲間うんかんを割ってあらわれた“耀腕ようえん”と呼ばれる一本の巨大な前腕状の光。


 禍々まがまがしい、亡霊じみたその光の腕が、空中で航界機から延びる“界面翼かいめんよく”の一部をわし掴みにしていた。


 同調機体からの情報逆流フィードバックを受け、パイロットの脳髄のうは無残にも一瞬にして煮られたにちがいない。

 さしわたし一○○mはあろうかというその腕が、最後にオレンジに赤熱する。

 航界機の放つ界面翼が、やせ細ってゆき、やがて機体は爆散した。

 巨大な光の腕は、それにまるで満足したかのように色をうすめ――消える。

 機体の残骸がスタジアムの方に落下してくるが、今回のため、特に配備された局地対空戦闘ファランクスシステム群が、機体を粉みじんに彼方へ吹き飛ばす。


 砲声、雷鳴、空震。その他もろもろが重なる轟音。

 一○万人規模を誇る広大なグラス・ドームのトラス構造が、地震か、あるいは爆撃を受けたかのようにゆれた。

 どこかでひびく硬質な金属音は、SUSステンレスのアンカーが飛んだ音だろうか。


 ――事象震じしょうしん


 三年に一度。

 断片化した各世界がニアミスを起こすときに発生する、事象面じしょうめんどうしの軋轢あつれきに端を発する空間乱流。その嵐のなかを、とくに選抜された航界士こうかいし“候補生”は規定の機動をすることで、正式に“勅任ちょくにん”航界士と任命される。またこの特別公開試験は、貴賓きひんとして日本政府の要人と、外象人の王族が臨席するため“御前試演ごぜんしえん”とも呼ばれていた。


 そして集まった、数多の観客……。


 彼等の関心は、この公開試験に出場する候補生達の“首尾”だった。


 機動に要した時間。

 あるいは採点の総点数。

 東と西の修錬校の対決判定。

 さらには、候補生の「生死」まで。


 バイパス回廊のゲート通信を使い、他の事象面世界にも実況中継されるこのイベントは、その結果予想に小国の国家予算規模にも等しい賭け金が動く。


 唇のはしに、な微笑を浮かべ、ある者はブックメーカ端末と電子双眼鏡を。ある者はポップコーンや酒の入ったグラスを片手に――彼ら“群集”は、すでに候補生の順番も1/3を過ぎたいま、血みどろな様相を呈しつつある今回の“御前試演”の興奮とともに、次の“犠牲者”が愛機と共にステージにせり上がるのを、いまや遅しと待ちかまえている……。


               * * *


「またもや、ドッカぁ――――ん!……か?」


 重い沈黙を破って、候補生の一人がおどけた風に。

 しかし、それに続く者はいない。


 選抜候補生たちが試演の順番を待つ、ひかえの大広間。

 いまの機動を、部屋に設置されたモニターで見ていた少年・少女たちは、己の内をさらすまいと、もだしたまま、それぞれ無表情な顔をそらしあった。


  よわいも様々な面差おもざしである。

 そしていずれも18を出ているようにはとうてい見えない。


 ひ弱なアゴの線。

 小鹿を想わせる透明なひとみ

 面差しには、ただおさなさだけが目立って。


 彼等がまとう航界士候補生の礼服は、出身錬成校の校長がその趣味を反映させるのか、大戦中の軍服を思わせる物もあれば、時代がかった中世の装束を連想させるものもある。唯一共通なのは、礼服の胸に勲章や略章のたぐいを並べたてていることだろうか。


 一見して、古今東西の若くして逝去せいきょした若年将校たちが、一同に会している風。

 のこらず生気なく、おしなべて沈鬱ちんうつおもてをあらわすのも、その印象を補強する。


 蒼白そうはくな顔をした一人が、白手袋をはめた手で礼装服の立てえりに幾重にも並ぶ装飾的なフックを外し、胸もとをくつろげた。


 逃亡防止のために窓のない広間は、思いのほか息がつまる。

 さらに加えて豪華な調度品が所せましと並ぶだけに、余計にその感をつのらせた。

 交差ヴォールト様式の解放感ある高い天井が、せめてもの救いとなり、少年少女候補生たちの頭上に広がって……。


 大扉がノックされた。


 候補生たちはビクリと身をふるわす。

 入ってきたのは、『控えの間』付きのメイドだ。

 王宮付きの派遣要員だろうか。冷たく、洗練された印象。

 栗色の髪をピンで押さえつける整った顔だちは、二十はたち前後というところ。

 ヴィクトリア風の重々しいバッスルがついた、黒白の給仕ドレスに身を包み、ふくらみそでの肩と腕には階級章が、つつましく。


 宮廷伍長――つまり、平軍でいうところの先任曹長階級だ。


 彼女が紅茶の道具を載せたダイニング・ワゴンをゆるゆると押し、部屋の中央にしつらえた巨大なサモワールに近づいて、れた手つきで茶葉とお湯とを追加する所作しょさを候補生たちは声もなく見まもる。かたわらに置かれた、ひと抱えほどもあるボヘミア製・クリスタルグラスのビスケット・ジャーに充たされた中身には、もはや誰も手をつけるものがいない。

 彼女もまた無言のまま一連の義務をはたすと、おもむろに一礼。

 ワゴンを押し、少年たちの目前から去っていった。


 大扉のとざされる音に、広間の呪縛じゅばくが、とける。


「――これで五機つづけて、か」


 スプーンが、ティーカップに幾分激しくうち当てられる音。


「単座四機に、復座一機……みんな瞬殺だったな。」

「機動の内容だってそんなにワルくなかったぞ」

「にしても、今回の事象震。ちょっとヒドくないか?」

「自信ナイ、とか?」


「――自信があるヤツなんて居るのかよ」


 どこかで湧いた、ふてくされたようなこのひと言は、効いた。

 広間のあちこちに陣取る候補生たちの顔が、一様にかたくなる。


 予想外の『激甚げきじん級・事象震』。


 かといって、試演をキャンセルということは、できない。

 それは出身修練校の限りない不名誉であり、在校生の進路にまで多大な影響が生じる。いまさら後になど、とうてい引けない彼等だった。

 まだ幼年校ともみえる一人などは、幼い顔をさらに涙ぐませて椅子の上でひざを抱える。さまざまな思惑をふくんだ視線が、部屋に飾られた高価な什器じゅうきのあいだを交錯こうさくした。


 壁に掲げられたラファエロのレプリカ画。

 額縁のなかで予言者が、おもわせぶりな微笑とともに天を指して。

 その隣に据えられた、人の背丈以上もある柱時計は真鍮しんちゅうの振り子も重々しく、ゆっくりと沈黙をってゆく……。


「『九尾きゅうび』、アンタならやれるんじゃないか」


 やや久しくして、赤地に金の縁どりが印象的な、どことなく近衛兵めく礼服を着た少年が、手にしたカップごしに部屋の片隅にいた候補生を“W/Nウィングネーム”で呼びかけた。


 『九尾』と呼ばれたその候補生のほおには、うっすらと尾を引く白いキズ跡。

 首もとに佩用はいようするのは金色の枝が追加された「金枝きんし付き・王賜十字章」。

 彼は背後の問いかけに、スタジアムの情景を映し出すモニターをうつろな眼差まなざしで眺めつつ、ほおの傷を中指のはらで軽くさすりながら、かつて自分が、まだ別のW/Nで呼ばれていたころに経験した、ある日の出来事を思い出していた。

 べつの声がイライラと、


「どうだィ『九尾』!“耀腕殺ようえんごろし”サンよぉ。自信のホドは?」

「――さて、ね?」


               * * *


「さて、ね?じゃねーだろ『ポンポコ』!」


 ヒソヒソとしつこく話しかけてくるのは、となりにすわる候補生1021『牛丼』だ。外象人特有の金色の瞳を、文字どおり好奇心でかがやかせている。


「こんどの秋の大戦技会、ぜったいオマエ選ばれるって!」

「でも、こっちは1年だよ?しかも“三級”候補生の」


 『ポンポコ』と言われた彼は先日の技能審査フライトを、苦い思いと冷や汗がになった印象でふりかえる。

 高々度試演中、余計な界面翼をハンパに出してバランスをくずし、あやうく雲海うんかいに墜ちるところだったのだ。『エースマン』主席・先任教官の精神注入棒がまだ尻にひびいている。


「さっき教官室で盗み聞きしたんだ。こんどの特殊作戦?だかナンだかに、加えるかもって。オマエを」


 まさか、と彼は苦笑し、一蹴いっしゅうした。


「――どうせ赤点のリストでも読み上げてたんだろ」


 午後もおそい授業だった。


 航界士候補生・修錬校〔瑞雲ずいうん〕の5時限目である。

 秋の陽ざしが、教室に物憂ものうげな色合いで流れ、生徒たちの顔を照らしていた。

 ときおり、防爆用の土手をへだてた滑走路から練習機がノンビリとした爆音を立てて飛び立ってゆくのがきこえる。

 運動場ではラグビーだろうか。ホィッスルや、かけ声。

 スクラムを組むときのうめきなど。


 そんな中、定年退官ていねんたいかんしたはいいが、高値づかみしたマンションのローンを支払うため、しぶしぶ時給契約で働いていると噂のある“般教ぱんきょう”担当の老教官が、界面翼の作成秘訣ひけつを、ゆったりとした口調で教えていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る