第45話 四月。

 〇高原 瞳


 四月。

 あたしは…もう二度とアメリカには戻らないと決めて…国籍を日本に移した。


 ママは…弁護士を通して、ジェフとの離婚も決まって…パパが探してくれた日本の施設に入る事が出来た。


 …あたしの妹って事になってる…あの子は…

 子供のいない、ジェフの親戚に…すでに引き取られてた。


 ママは…何も知らない。

 判断も出来ないから…仕方ない。



 歌う事は…少しの間休んだらどうかと言われた。

 言われたけど…歌を休んだら、あたしは何をすればいいのかな。


 パパは、マンションで一緒に暮らすかって聞いてくれたけど…

 あたしは、それを断った。

 甘えていいって言われて…甘えたいとも思ったけど。

 そうしたら、きっとあたし…どんどん甘えてしまって、ダメになっちゃうよ。


 ママを支えたい。

 そのためにも、あたしは強く生きていかなきゃいけない。


 じゃあ、休む間はビートランドで働くか?って聞かれた。

 だけどあたしはシンガーであって、スタッフとして働くなんて気はない。

 プライドは持っていたい。

 しばらく休んでも大丈夫なぐらいの貯金はあるし…あたしは、自分の心のケアとママの付き添いに時間を使う事にした。



「何年ぶりかなあ!!」


 目の前のサラは、あたしをギュギューッとハグして、満面の笑み。


「たったの三年ぶり。」


 あたしが髪の毛を後ろに追いやりながら言うと。


「それにしても、よくあたしの事覚えてたね。」


 サラは嬉しそうに、あたしの手を握って言った。


「覚えてるわよ。あたしのこっちの学校での女友達って、サラしかいなかったもん。」


「あはは。そう言えばそっか。瞳、ハッキリ言い過ぎて、他の子とはすぐケンカになってたもんね。」


「そんなにハッキリ言い過ぎてたかしら?」


「言ってた言ってた。」



 こっちの学校の寮で同室だったサラ。

 あたしは、彼女の実家の連絡先も知ってたから、住む場所を探すにあたって連絡を取った。

 そして、近況を聞いて…


「しばらくルームシェアさせてくれない?」


 と、申し出た。


 現在女子大生のサラが一人暮らししてるアパートから、事務所まで5km。

 ママのいる施設は少し遠いけど…自転車が手に入れば、どこにだって行ける。


 うん。

 悪くない。


 あたしは、必要最低限の荷物だけを持って、サラのアパートの玄関に立った。



「彼氏を連れ込む時は言ってね。遠慮するから。」


「残念な事に勉強一筋よ。男は夢を叶えてからにするわ。」


「サラが?この三年間に何があったの?」


「ま、それはお互い時間のある時にゆっくり。じゃ、これ鍵ね。あたし、学校行って来るわ。」


「ありがと。行ってらっしゃい。」


 何ともサバサバとした再会。

 だけどありがたい。



 それから、少し近所を散策して。

 大きなショッピングモールを見付けた。

 そこで乗りやすそうな自転車を見付けて、すぐに買った。

 これで…あたしはどこにでも行ける。


 そして…今回の事では、すごくお世話になった千里に…何か贈り物をしたいと思った。

 結婚祝いも兼ねようかな…



 パパに聞かれても、あたしとの交際はなかったって言わなかった千里。

 あたしが嘘をついた事…パパにガッカリさせたくなかったんだと思う。

 それほど、千里はパパの事を好きだし尊敬してる。

 …悪かったな…



 でも、本当は…今でも千里の事…好き。

 好きだけど、ママを見てたら…人を愛するって苦しい事にしか思えなくて。

 あたしは、誰かを深く愛するって事に…恐怖感を覚えてる。

 パパを想い続けた結果が…今のような状態だなんて…



 ママはずっと苦しんでた。

 ただ、パパを好きだっただけなのに…

 パパが好きになった誰かを憎んで…

 その人に酷い事を言って、二人の幸せを壊した…。


 ママの気持ちを想うと、あたしは…人を好きになるのが怖い。

 千里の事…好きだったけど、どこかでセーブしてたと思う。

 だから…千里の結婚は、祝福したい。

 …そう言えば、奥さんも歌ってる人だって言ってたっけ…


 結婚祝いを何にしようか、店先で悩んでたけど。

 あたしは、そのまま自転車に乗って事務所に向かった。




「パパ。」


 あたしがロビーで声をかけると、パパは振り返って…照れくさそうな顔をした。


「あ…ここで『パパ』は恥ずかしい?」


 少し小声でそう言うと。


「いや、慣れないだけだ。おまえの好きに呼んでいい。」


 パパは苦笑いしながら、あたしの頭を抱き寄せた。


 …こういうの…本当は、あたしも照れ臭い。

 だけど、パパはよく…こうしてくれる。



「住む場所は決まったのか?」


「うん。友達の所。」


「……」


「女の子よ。こっちの寮で同じ部屋だったサラ。」


 パパの心中を察してそう言うと。


「安心した。」


 パパは笑顔になった。


 …カッコいいな。

 あたしのパパ、本当にカッコいい。

 だから…あたしも、自慢の娘になりたい。



「ね、千里の奥さんって、ここの事務所にいるの?」


 パパと腕を組んで、エスカレーターに乗る。


「ああ。期待の新人だ。八月デビュー予定。」


「へえ…ソロシンガー?」


「いや、バンド。」


 二階のエレベーターホールには、たくさん人がいて。

 パパと腕を組んだあたしを見て…少しニヤニヤした。


「勘違いするな。娘だ、娘。」


 パパが大きな声でそう言うと。


「あっ、そうなんすか。高原さん、お盛んだな~って思った。」


「こんな美人な娘さんが…」


 ここに来るのは初めてじゃないのに…こんなにジロジロ見られるなんて。

 …まあ…ジェフの事件…少なからずとも、ここの人達には迷惑かけたし…

 真相は知られてないとしても…噂ぐらいはたってるかもしれないよね…


 あたしがパパの腕から手を外そうとすると。


「俺の可愛い一人娘だ。おまえら、気安く目付けるなよ?」


 パパは、あたしの肩に手を掛けて言った。


 …やだな…

 何から何まで嬉しいや…。



「上まで行くか?」


「え?あ、うん。」


 パパと一緒に最上階に行くと、会長室の前に…


「お、ナッキー、待ってたで。あー、瞳ちゃん久しぶり。元気んなった?」


 マノンさんがいた。


「はい。色々…ご迷惑を…」


「いやいや、何も心配要らんて。今度はここで存分に歌えばええんやから。」


「…ありがとうございます。」


 本当に…いい人ばかり。



「何だ?」


 会長室に入ると、パパは机の上にたまった書類を見てウンザリした様子だったけど、マノンさんと向かい合ってソファーに座って。


「瞳、悪い。コーヒー入れてくれ。」


 あたしに言った。


「うん。」


 あたしは隅っこにある小さなキッチンでコーヒーを入れながら、二人の会話を聞いた。



「向こうの事務所から、バンドを一つよこしてくれて。」


「バンドか…」


「千里んとこは…やっぱメンバー次第やな。」


「ああ…」


「SHE'S-HE'Sはどうやろ?」


「……」


 SHE'S-HE'S…初めて聞く名前…


「これ、ナッキーが向こう行ってる間に録ったやつなんやけど…」


 そう言って、マノンさんがCDをセットした。


 バンドか…もし千里が向こうに行ったら、寂しいな。

 あたし、友達少ないし…

 なんて考えてると…

 すごく、すごく…カッコいいギターの音。

 久しぶりに、こんなカッコいいサウンドを聴く気がする。


 あたしはパパとマノンさんにコーヒーを出して、自分もそれを飲みながらパパの黒い椅子に座った。

 そして…


「…これ…」


 聴こえて来た歌声に、あたしは…

 自分が歌うのが嫌になるほど…


 …恐怖を感じた。


 その声は…とんでもなかった。

 突然のシャウトから始まって…

 Aメロは普通に…いい声だなって思って…Bメロになると少ししゃがれて…あ、上手い…って思って…

 サビになると、そこまで出るの?って…ビックリするキーに転調して…


 抑揚が…上手い。

 こんなボーカリスト…出会った事ない…

 …怖い。


 そう思った。



「初めてスタジオで聴いた曲と同じやねんけど、全然ええよな。知花、どんどん進化してる。」


「…あいつには本当…度胆を抜かれるな。」


「あと、まこもええ。今まで派手なギターソロに隠れてた感じやけど、今回キーボードソロ入れたら…蛙の子は蛙以上って感じや。」


「ナオトの上を行きそうか?」


「行く思うで。」


 二人の会話を聞いてて……


「…チハナ?」


 マノンさんが言った名前を…口にした。


 確か…千里のマンションに行った時…

 エレベーターから出て来た奥さんに、千里がそう呼んでたような気がする…



「ああ…このボーカリスト。知花。」


 パパが顔だけ少し振り返って言った。


「それって、千里の奥さん?」


「そう。」


「……」


「…怖いか?」


 …何でもお見通しね。

 あたしはパパの言葉に小さく笑うと。


「…そうね、怖いわ。すごい…この子。」


 正直に…そう言った。



 千里は…彼女が音楽をしてるって知らなかったって言ってた。

 もし…こんなに歌える子だって知ってたら…

 結婚しなかったのかな…

 …なんて。

 もう、結婚してるんだもん。

 こんなに歌える奥さん、自慢でしかないわよね。



「正直、こいつらは世界に行ける思う。」


 マノンさんがそう言うと、パパは無言で…しばらく曲を聴いてたけど。


「…もう少し考えよう。TOYS…俺は千里をどうしても世界に出してやりたい。」


 低い声でそう言った。



 マノンさんが部屋を出て行ってすぐ…


「歌うのが嫌になってないか?」


 パパが…あたしを振り返って言った。


「え?」


「知花の歌を聴いたら…歌うのが嫌になるって言う奴が続出中だ。」


「……」


 あたしはその言葉にキョトンとした後。


「人は人よ。その子、確かにすごいけど…あたしはジャンルが違うしね。」


 なるべく…笑顔で言った。


「…そうか。」


 パパは小さく笑ったけど…


「…正直…俺は少し嫌になった。」


 意外な事を言った。


「…パパが…?」


「ああ。」


「どうして…?」


「知花の生まれ持った才能なんだろうが…17そこらでこれだけ歌えるなんて、末恐ろしい。」


「……」


「まだまだ伸びる。そう思うと…知花を育てる側としては鼻が高いが…シンガーとしては、あいつの才能に嫉妬する自分がいる。」


「嫉妬…」


「ふっ…小さい事を言ったな。今のは忘れてくれ。」


 あたしはパパの隣に座ると。


「そういう人間臭いパパ、好き。」


 そう言って笑った。


「…カッコ悪くても?」


「メリハリがあっていいよ。」


「…優しい娘だな。」


 あたしは…笑った。

 笑ってないと…

 笑ってないと。

 彼女の歌が、頭の中でリピートされて…

 さっきから、足の震えが止まらない。


 …怖い。

 あたし…


 歌えるかな…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る