音声記録5-5:『いやさぁ、気密スーツん中……』

 いやさぁ、気密スーツん中でする小便って最悪だよね。いくら吸水パックが装備されてるつっても――ん? ティモー君の恐怖の三時間を思うとさ。トイレにも行きたかったろうなって。

 んなこたァどうでもいい、ハイ。実際おトイレどころじゃない、正しい。

 タイムリミットは迫ってた。何って生死のリミットだ。お忘れかもしれないが、おれたちの先祖は真空生物じゃない。酸素残量。まさかこんなにパトロールが頑張るとはね!

 ティモーのメットの前面風防シールドHUDハッドには、残り七時間の数値が示されてた。余裕だろって? 馬鹿だねお前、スクータはイモの裏側よ? 歩きの距離を考えれば、あと半時以内には次に打つ手を決めなきゃいけない時間になってたんだ。

 この中には、パトロールとまともにりあった経験のないやつもいるだろう。親切なおれ様が教えてやろう。連中への投降は、例え話じゃなく命がチップのギャンブルなんだ。

 人道的捕縛なんて美談は、あちらさんの拠点から行為が捕捉できる距離までの話。範囲外に出ちまえば、連中はやりたい放題になる。白旗揚げて武装解除した船が百万度の小太陽にされたのを、おれも見たことがあるよ。つまり投降は、タマを向こうに握らせるのと同じこと。そうでなかったにしろ、監獄に行くと思いきや、謎に親切な医療施設に収容されるってのもゾッとしないでしょ。

 酸素残量がじりじり減るのを見守りながら、ティモーも巣穴ピットで聞いた黒い噂を次々思い出していた。どうする? 限界まで粘ってパトロールが飽きるのを待つか。万一の希望を賭けて投降するか。

 もとより単独行動だから、仲間の支援はアテにできない。なんでこんな目にあうのかって、ティモーもとことん後悔しただろう。だけどそ、皆さまご慧眼けいがん! ハナから計画がお粗末だった。そいつに気づける能があれば、そもそも宙賊おれらの捨て駒にはなっちゃいない。そして降参するにしろ粘るにしろ、腹を据えられるほどティモーが英雄ヒーローだったら――やつは、生きて巣穴ピットに戻れはしなかった。

 やつはほんとに若造でね。あっという間にパニくった。

 飛び出してく蛮勇もありゃしないが、じっと我慢できる忍耐もない。ティモーは焦り、プランCを求めて無駄にあたりをうろつき回った。それでお約束――穴に落ちたってわけ。崖面の黒い影に沈んで、ぜんぜん見えなかった横穴にね。

 幸いその穴ぼこは浅かった。ティモーは慣性で前方にふわぁと漂い、崖に顔面をポカッとぶつけた。だけどやつは罵るどころか唖然として、だんだん興奮さえしていったんだ。

 亀裂の影の中は真の闇で、肉眼じゃ何も見えやしない。そこでメットの地形スキャンを実行してみたら、HUDハッドにグリーンの輝線で描き出されたのは、岩崖の鋭い輪郭に紛れるような大小無数の洞穴だった。

 プランCだよ!――ティモーはピカッと閃いた――こういう穴を上手く辿ってけば、パトロールの目の届かない夜側のどこかに出られるんじゃ?

 いくら切羽詰まってるからって、正気の沙汰とは思えない。前人未踏の洞窟つったら、入れば二度と日の目は見られないってのが銀河ニュースの定番でしょ。でも人間、追い詰められると馬鹿になっちゃうんだよねえ。

 決然と青年は立ち上がった。酸素残量の数字がまたピッと減る。自分の思いつきがどれほど狂気じみてるか気づきもせず、やつは墜落船を振り返り、まずはお宝の値踏みに入った。

 土産は絶対忘れちゃいけない。けど推進機やアート付きの翼は洞窟探検にはちと厳しい。かわりにやつは潰れた艇前部によじ登ると、風防キャノピの穴から操縦席にお邪魔した。

 ちぇっ、操縦桿スロットル操作盤コンソール計器メーターも何もかもがめちゃくちゃだ――他に金目の物といったら、パイロットの持ち物くらいかな?

 試しに死体を引っ張ってみた。両足が潰れた艇に挟まれてる。上半身はベルトでがっちり固定されてて、航宙服はというと、血か油の黒い汚れと焦げたような損傷が酷い。一方、頭には、ちょいと流行遅れにしろイカしたメットが載っていた。

 艇と揃いの銀の下地。青と黒のストライプ。牙を剥いた赤い獣骨がニヒルに笑うアンティークだ。

 ためらいなくメットを掴んで、ティモーはお宝を引き抜きにかかった。だけど何かが引っかかってて、やつは鼻息荒く力を込めた。

 スポッ! 勢いメットが胸に飛び込む。反動で後ろの岩にケツを挟んでも、ティモーの顔面はだらしなく緩みっぱなしだ。そして戦利品を掲げて眺め回したとき、メットごしにちょっと嫌な光景が目に入った。

 ギザギザに破れた風防の向こうに、首無し死体が左右に揺れてる。やばい、死体の頭ごとメットを引き抜いちゃったんだ!

 慌ててぶんぶん物を振っても、よほど収まりがいいのか出てこない。どうも上等な布の内張りに、頭蓋の顎が捕らわれているらしい。ちぎれた首の切れ目から、黄ばんだ骨片と茶色の皮膚っぽいカスがふわふわこっちに漂ってくれば、さすがのティモーもぞっとした。

 とはいえ死体は完全にミイラ化してた。シールドを開けて手で掴み出すのも気が進まないし、まぁ生首よりはマシだろう。

 ひとまず我慢することにして、ティモーはみみっちく死体を漁った。優勝記念品らしいピンバッジ、デザインの凝った職人技のバックル。カペラ・ブランドのクロノグラフに、なぜか無傷で浮いてた木彫りのおもちゃ。

 操縦席のヘッドレストまで袋に詰め込んで、最後に艇を振り向いたのは、別に死体を弔おうってつもりでもなかった。置いてかなきゃならないお宝を、すごく惜しんでみただけだ。ついでに死体も目に入ったもんで、ティモーはちょっと考えて、祈りの文句も知らないし、巣穴ピット式の軽い尊敬のサインを切った。

 さて、おいとまする時間だ! 手首のデバイスに指示を打ち込む。整理されたHUDハッド表示の、矢印マークはスクータの位置。方位計と、機までの直線距離も明るく輝く。

 これはもう完全に、パニックの混乱がなせるわざだったよな。墓泥棒に死体を恐れる道理もないし。ティモーはいささかの躊躇ちゅうちょもなく、洞窟へと足を踏み込んだ。

 傍目に見れば墓穴より暗い、底知れない隧道トンネルへとな。

 腕に爺さんのしゃれこうべ入りの、盗んだメットを抱えたまま――。

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