音声記録4-8:『資源開発に先立ち……』
資源開発に先立ち、会社は対象惑星の生命体の有無を調査・報告する義務があります。
銀河法では、未知だろうと既知だろうと先住生物の生存権は考慮され、正式な調査結果なしに開発は許可されません。しかし辺縁宙域では法など真空より虚ろなもの。抜け道はいくらでもあるのでしょう。
それに会社が真実を知っていようといなかろうと、すべては過去のことでした。私には現在が重要でした。重力制御系の予期せぬダウンは、基地に緊急信号を自動発信させます。近傍星系から宙域警備隊が駆けつけて来るまで、猶予は十二時間以下のはずでした。
彼らに邪魔されるわけにはいかない。私は仲間とともに、基地基幹部の最下層へ続くシャフトを下りました。
底にあるドックには、気象調査用の潜航艇が格納されています。私を含め、乗り込んだ定員超えの六名は、見送りの同胞たちに手を振る間も惜しんで基地を発ちました。
「希望を失うな」居残るマネージャの激励には、我々も眼を潤ませました。「きっと街はまだ残っている。我々の愛しい故郷が、この世から消えてなくなるなど許されない」
潜航艇は、惑星深部の気象データをとるのに使われる特殊船です。ガス巨星大気の高温高圧に耐えて潜れるかわり、速度のほうはあまり出ません。
何時間もかけて潜ってゆくあいだ、舷側の小窓はたびたび激しく瞬きました。ガス層内部に陽光は届かず、ただ漆黒の雲霧には、激しい対流による巨雷が永遠に弾け続けています。その狂った雷雲層も通り抜け、濃密な闇に押し包まれてさらに数時間――舷窓に、再び光が差しはじめました。
狂奔する稲光ではなく、おぼろな青めいた微光。舷窓に詰めかけた我々は、ついに液・ガス混交層に到達したのを知りました。覗いたところで視界は濁り、距離感もありません。それでも空間は、下層から届く神秘的な発光でぼんやりと照らし出されていました。
やがてかすかに底を打つ振動。潜行速度が落ち、光も青から藤色にやや色味を変えました。ごうごう逆巻く気流の騒音もぱったり途絶え、「液体層に入ったのね」耳に真綿を詰めたような無音に、同胞の呟きが吸い込まれました。「さあ、探しましょう、スキャナを使って。我々の街を」
けれどその必要はありませんでした。誰かが息を呑む気配と同時に、私もそれを見つけていたのです。
下方、霞の奥底から、さらに潮流は数限りない塵芥を噴き上げてきました。変色した蜘蛛の巣さながらの残骸群は、明らかに、我々の誇り高き都市の末路でした。
「ぜんぶ手遅れだった……」誰かが強く壁を打ちつける音。「世界は終わりだ、僕らのせいで破壊されてしまった!」
一同は打ちのめされ、船には嗚咽があふれました。私も歯を食いしばってうつむき――けれども頭痛が――このとき私は、くずおれる仲間たちを背後にして、強烈な違和感に脳を掻き乱されていました。
――何かが変だ。何かがおかしい……。
私は両目をしばたたき、フロントガラスに額を押しつけました。
初めて己の目で見た、故郷の糸網。しかし残骸とはいえ、これほど醜いものだろうか?
絶え間なく噴き出る汗を拭いながら、私は理性の声に耳をそばだてました。
夢の中のレース編みの織り布は、この世のものならぬ優美さでした。薄金色の神秘の色合い、絹糸よりも滑らかな真珠の光沢。けれど目前の糸屑は、残骸であるのを差し引いても優美さからはかけ離れています。
色は粘ついた、とろみのある茶褐色。絹どころか害虫が潰れたとき
編み込まれた装飾の名残など、単なる不格好な結び目にすぎません。私は窓から大きな一歩を下がり、目覚めたように周囲を見渡しました。記憶の中では居心地の良かった、母なる暖流。その優しい
――異常だ。これにはどこかに嘘がある。人間の感覚を思い出せ!
私の最後の理性が告げたこと。それは都市が、私の糸編みの街が、楽園などではなかったという事実。
夢の美は、けして共感しえない
緊急浮上指令を、私は艇に打ち込みました。
「あれを見て!」だがこのとき狂った同僚が、あれを見つけさえしなければ!
五人が船首へ詰めかけて、私は前へ押し出されました。処刑のようにフロントガラスに張り付けられ、なすすべもなく、青藤色の地獄の底から浮かび上がってくるものを見つめました。
うっそりと現れたのは、濁った半透明の肉の塊――屍衣を幾枚も重ねたような、ぼろぼろで腐りかけの、手招くように揺らめく不定形のものでした。
それは人間よりも、はるかに巨大な生き物でした。悲惨に千切れた裾からは、気色の悪い触腕を幾本も生やしています。ほとんどは短く腐れ落ちた哀れな有様でしたが、もっとも太い一本だけは無事なようでした。腕はうろうろと辺りを探り回り、上昇しようとする艇を追って執拗に伸びてきます。
恐怖にかられ、私は必死に後ずさろうともがきました。しかし同僚たちは押し続けており、気がつくと死人色の触腕が目の前に、ちょうど私の額の位置にかざされて――。
ぶよぶよした腕の先端が、ガラスにべったり押しつけられました。屍衣の肉塊の内側では、魚のそれに似た一個の眼点が、潤んだ暗黒を私へ集中させました。
爆発する頭痛。流れ込んでくる記憶。故郷、故郷、故郷――還るべき不滅の都!
「違う違う、私に故郷はない、私は宇宙の放浪者だ! もうやめて、解放して、私はおまえたちじゃないんだ!」
私はわめき散らしました。しかし実際には叫んでいませんでした。
よだれとともに、たぶん私の口はいくつか単語を垂れ流していただけでした。
「ああ、そう、そう、同胞よ。悲しい、悲しい……」
背後からも、感嘆と同意の唱和が聞こえました。
「愛、愛、あなた……」
「故郷、知っている、故郷……」
「魂は、魂は、滅びない……」
「伝える、故郷、伝える。美しい、悲しい、美しい、悲しい……」
最後の同胞はいつしか力尽きて、窓を離れ、漂い出していました。
流れゆく先には、あの暗黒の穴。
ガス収集機から垂れた、ホースの吸入口です。なすすべもなく引き裂かれ、傷ついてなお優美な同胞が、ちりぢりに吸われて絶命するのを、我々は抱き合い、涙を流して見送りました……。
基地に帰還すると、我々は見たものすべてを事細かに同胞に伝えました。そうして涙に暮れ、悼んでいる最中に、宙域警備隊が到着しました。
彼らは我々にうるさく干渉しましたが、もはやどうでもいいことでした。もう基地を墜とす気力も失っていましたし……。復讐に、なんの意味がありますか? 故郷は滅んでしまったのです。それに基地内はマネージャの指揮のもと、居残った同胞たちの手ですっかり破壊し尽くされていました。
警備隊の会話は、我々には別の種族の言語同然に耳を過ぎていきました。
「なんだこれは、暴動でもあったのか? 全員が泣きじゃくってる、子供みたいに……」
「もう大丈夫ですよ、安心して。重力制御系は復旧していますから……」
「チーフ、正気の数人が言うには、ほとんどのクルーが洗脳状態らしい。何かの神経侵蝕被害が発生したのでは? 基地の滞在期間が短い者だけ無事のようです」
「早く全員連れだせ、人数を確認しろ。神経侵蝕? しかし計器には何の警報も……。嫌な感じだ、長居はやめよう。俺たちも急いでここを離れる――」
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