ブラック・フォン・セレナーデ

「おめでとう。」

 その言葉でどれだけの人間の心が救われたのかを考えなければならない。

 何せ、私はその言葉で、少なくとも殺し屋としてのプライドや考え方、今後の生き方を取り戻したからである。

 祝われることによって、すべての人間を知り、祝われることによって今まで自分が殺してきた人間たちのことを考えることができた。

 すべてが揃っているとも言える。

 何もかも、持っていなかったはずの自分の手の中に、何か温かいものが流れ込んでくるような感覚になったのだ。

 例え。

 例えそれが。

 その。

 おめでとう、という言葉を発したのがどんな生き物であれ。

「おめでとう。」

 その言葉をまた耳元で聞いた。

 それは同業者の口からだった。

 彼女は。

 もちろん、今の、彼女、という単語からも分かる通り、非常に優秀な女性の殺し屋だが。

 基本的に自分の手をよごすことはないのだ。

 ただ、相手の耳元で、人の死を連想させるような言葉を吐き出して、そのまま自殺させるように案内するのである。そんな彼女が一番殺し易いと豪語するのが同業者である。

 つまり。

 私のようなもののことだ。

 彼女は、そういう殺し屋なんていう仕事につく人間というのは自分を褒めることに慣れていない。自尊心が低いのだという。言葉を連ねれば連ねるほど安っぽくなってしまうので、余り語りたくはないがそういう人間をいいように扱うのは簡単なのだそうだ。

 私はそんなことあるものか、と思っていた。

 実際、あったのだ。

 私にはそれが全てであったとも言える。

 何か簡単な行為を褒められ、おめでとう、と何度も言われているうちに自分の足元がぐらつくような感覚に襲われたのだ。そして、気が付けば私は彼女の言いなりになっていた。

 もう、殺されるのだろう。

 死ぬのだろう。

「最後に言い残したことはある。貴方は、もうすぐ死ぬのだけれど。」

 私は何をされている訳でもないというのに、息も絶え絶えの状態で鼻から汗を垂らし彼女を見つめた。

 彼女は妖艶な微笑みをしていた。 

 少なくともそう見えた。

「大変だな。」

「何がかしら。」

「こういう殺し方をしないと満たされないのか。」

「あたしは満たされているわ。」

「いいや、満たされていない。」

「何を勘違いしているのか分からないのだけれど。」

「いつまでこの仕事を続ける。」

「貴方だって殺し屋でしょう。」

「私は金が溜まったらやめるさ、こんな仕事。なのに、お前は何故こんな仕事をする。相手よりも優位に立てる場所がこのフィールドしかないからだろう。」

「別に、そういう意味じゃないんだけれど。」

「私も同じだ。お前と同じだよ。恥ずかしがることじゃあない。」

「上から目線で話しかけないでくれる。」

「お前が勝手に見上げてるのさ。」

「あたしは、別にそんな小さな勝利を毎日積み重ねることで自分の自尊心を守っている訳じゃない。」

「立派だな。」

「馬鹿にしてるでしょ。」

「おめでとう。」

「何がよ。」

「俺に勝てて嬉しいんだろ。」

「嬉しくないわよ。」

「じゃあ、何故、殺そうとする。自分からわざわざ不快になる必要はない。」

「何言ってるのか分からないわね。」

「おめでとう。」

「何が。」

「おめでとう。」

「だから、何よ。」

「ヘルマン家の長女にして、そこから没落した貴族家系を売り払われて奴隷として生きた女、ミスバレンタインダーリズム。」

「どういう意味。」

「おめでとう。」

 その瞬間、その殺し屋が静かに息を引き取ったのが見えた。

 百十八年と十一ヵ月、十三日。

 なるべく深い墓を彫るように、墓守には言っておかねばなるまい。

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