閑話 武士の一分

目覚めた時に自分がどこにいるか分からないという事は、決して珍しくはない。


先日も浴びる程酒を飲んだ時、目覚めたのは見知らぬ家の中だった。

聞けば、深夜に戸を叩く音が聴こえたので開けた所、わしが入ってきたとの事。

そのまま倒れこんで寝ていたのを、布団を掛けて寝せてくれたらしい。

家主の厚意に礼を言い、非礼を詫びたのはつい最近の事だ。


しかし、いま目の前に広がっている景色には本当に覚えがない。

また酒を飲んだのだろうか。有り得ぬ話ではない。

だとしたら、これは相当酷い酔い方をしたのだろう。

周りに家の一軒すらないではないか。

相当遠くまで歩いてきてしまったようだ。


遠くから聞こえるのは水の音だろう。何やら音の様子が少しおかしいが。

喉が渇いたのでそこまで歩く事にする。

いざ着いてみると、水場は非常に面妖な形状をしていた。

地まで水が届いていない。

これが水の音が中途半端になっている原因だろう。


匂いからすると水は飲めなくはないようだが、

この形状は滝とは言い難い。

試しに飲んでみた水はやはり普通の水だ。

むしろ少し美味い気がする。


まだ夢にいるのかと頬をつねるが、痛みはある。

どうも狐に化かされているようだ。

噂には聴いた事があるが、初めての経験だ。

狐も中々やるではないか。


素手では心許ないので、木に向かって枝を手に入れる事にする。

いざ近くで改めて見ると、少し頼りない太さの木だった。


こんな貧相な木からも木刀は作れるのだろうかと思い木に触ってみると、

唐突に木が削れて木刀が出来上がる。何が起きたのか分からない。

あまりに驚いたのでもう一度やってみたら、もう一本の木刀が出来た。


いよいよ本格的に化かされているようだ。

水が出ている穴をよく見ると、洞穴のようになっているのが見える。

あそこに狐が居るのではなかろうか。

木から梯子を削り出し、滝のような水場に掛けてみる。


少し覗いてみた所、奥行きがありそうだ。

やはり狐の巣で間違いないだろう。


一度地に降りて食糧を確保する事にする。

先程から良い香りがする草を試しに齧ってみると、

なんと米の味がした。

これ幸いと懐に詰め込み穴へと戻る。


狐退治と行こうではないか。


しばらく様子を見ていたが、

どうやら狐はわしを逃す気はないらしい。

となればこちらから打って出るまでだ。

わしを虚仮にした事を後悔させてやる。


そう思ってから数日歩いている。

どうやら狐を侮っていたようだ。

まさかここまで入り組んだ洞穴を作るとは、思いも寄らなかった。

元より餓死させる心算だったのだろうか。

獣と侮ったわしの不覚かもしれぬ。


懐の草は少しずつ心許ない数へと減って行く。このままでは危うい。

一度戻ろうかと思った刹那、前方から話し声が聴こえた気がした。

どうやら二人居るようだ。人だろうか。


話しかけようと思ったが、思い留まる。恐らく狐だ。

こちらに勘付いたようだが、ここで会ったが百年目。叩き殺してくれる。

木刀を持つ両の手に力を込めて狐に近付く。


二匹の狐は人に化けていた。

片方は異人のような様相だが人にしか見えない。

出来の良さに内心舌を巻いたが、次の瞬間に狐は尻尾を見せる。


「俺はカレルだ。カレル=CZE=テプラー。」

狐よ。異人はそんなに流暢に日本語を話さんのだ。

自らの勉強不足を呪え。


異人に化けている狐が話している途中で斬りかかる。

捉えたと思ったが、隣の小僧がわしの初太刀を止めていた。

こちらは顔こそ上手く化けているが、服装が異人のそれだ。

狐は一体全体、人に関してどのような勉強をしているんだ。


しかし、わしの一撃を防ぐとは中々やる。

間髪入れずに残った手で振るった剣も、難なくかわされた。


只事ではない。

幾人もの達人を倒したわしの剣だ。

狐ごときにかわされるとは思わなかった。


悔しさに歯噛みしていると、

攻撃を止めた方の小僧がこちらに何かを投げつけてきた。

木で出来た苦無だ。

咄嗟に弾いたら水の中に入ってしまった。


勿体ない事をした、と気を取られている間に二匹とも逃がしてしまった。

倒せばここを出られたのだろうか。無念だ。


それから数日歩き、

明日には食糧も尽きるだろうという時にまた狐に会う。

次は三匹だ。


何やら鳥のようなものを飛ばして遊んでいる。

妖の術だろうか。次こそは逃がさん。

三匹の内、二匹はこちらに気付いたようだ。

こちらを見て身構えている。


後ろに隠れ始めた一匹は、やはりなぜか異人に化けていた。

「人じゃないですか。」

やはり異人に化けている奴が流暢な日本語を話して尻尾を出す。

例によって異人に化けた狐が話してる途中で斬りかかるが、

その前の狐はこちらに気付いているのに避ける気配がない。

異人の狐の親狐だろうか。気の毒だが手加減は出来ん。


しかし次の瞬間、わしの初太刀は別の狐に弾かれる。

またか。狐とは恐ろしいものだ。

しかも今度は二撃目も余裕をもって捌かれた。

恐ろしい技量だ。

わしと同等の技量を持つ剣士がもう一人いたとして、

そやつの剣を捌く自信はわしにはない。


手にとって不足はないのだが、女の姿をしていては斬りにくい。

去るように警告したわしを愚弄し、

女の姿をした女狐は挑発を繰り返す。

生まれてこの方、女にここまで虚仮にされたことはない。

女狐だとは分かっているが、非常に腹が立つ。


怒りに任せて剣を振るうのは初めてだ。

わしの剣が女狐の木刀を飛ばしたと思った瞬間、

わしは後ろから何者かの攻撃を受けてバランスを崩す。

その瞬間、右手に持った木刀を女狐に奪われた。

女狐はその木刀を高く掲げ、わしに振り下ろす。

狐に、わしは負けるのか。


目が覚めると、狐たちの姿はなかった。

わしにとどめを刺さなかったようだ。

あまりの屈辱に腹を切ろうかとも考えたが、

剣が二本とも奪われていた。

よくよく考えると木刀なので、腹も切れぬ。


わしの横には大量の草が置かれていた。

米の味がするその草を存分に味わう。

完全に負けてしまったようだな。


狐たちはわしを化かす事はやめないようだ。

仕方がない。彼奴らは見事、わしに勝ったのだ。

修練をするか。

食糧と水がいくらでもあるあの場所は、

修行には至高の場所かも知れぬ。


わしは草を懐に入れ、目覚めた場所へと帰る事にした。



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