四章

四章 1



 何かが蒼嵐の手をつかんでいる。

 いや、誰かと言ったほうがいい。

 人間の手の感触だと、見なくてもわかった。


 蒼嵐は恐る恐る、その感触のある右手を見おろした。

 床から手が生えて、蒼嵐の手首をつかんでいた。


「ヒッ」と、思わず、かすれたうめき声がもれる。


「ん? 今、声が聞こえませんでしたか?」

「いや、私は何も」

「人の声だったような」

「まさか」


 教頭たちが困惑したような声音で話している。


 往人が責めるような目で蒼嵐を見る。

 だが、そのときだ。

 ピアノの下の床が一部、上に持ちあがった。その下の空間から、さっきの手が手招きする。


「何してるの。早く」

 聞きとれるギリギリくらいの小さな声が、そう言った。


 蒼嵐と往人は、あわてて、白い手が招く床下の空間へ入る。

 四角い穴があり、蒼嵐たちくらいの少年なら、なんとか数人入っていることができた。


 床板をもとどおり、おろした。

 その直後、教頭の声がした。


「誰もいませんな」

「ほんとだ。誰もいない」

「床下にノラ猫でも迷いこんでるんじゃありませんか?」

「そうですな」


 つかのま話しあったあと、大人の足音は遠ざかっていった。


 それを待っていたかのように、あたりが明るくなる。

 懐中電灯の光だ。


「あなたたちが見つかったら、わたしまで捕まってしまうじゃない。気をつけてよ」


 懐中電灯を手にしているのは、きれいな栗色のストレートの髪、黒目がちの猫のような双眸の美少女——薔子だ。


「柊木さん。こんなところに!」


 思わず興奮する蒼嵐を「しいッ」と、薔子と往人が両側から制する。


「ご、ごめん……」


 しかし、教頭たちはすでに遠くへ行ってしまったようだ。足音が帰ってくるようすはない。


「だって、そりゃおどろくよ。ここ、何? なんで、柊木さん、こんなとこにいるんだよ?」


 そこは床下部分だ。民家でも畳や床板を剥がせば、その下に数十センチの基礎部分がある。


 ここは学校なので建物が大きいせいか、民家より床下部分も高さがあるようだ。立ってはいられないが、すわっているぶんには充分である。


 よく見ると下にブルーシートが敷かれている。


「こっち来て」


 薔子に手招きされて、かがみながらブルーシートの上を移動していくと、奥はさらに高さのゆとりがあった。


「ここ、階段の裏なのよ。たぶん、床下の点検口なんだと思う。音楽室に入りびたる生徒じゃないと知らなかっただろうけど」


 どこからか、すうっと風が通ってくる。

 それに、薔子が持ちこんだらしいダンボールや子ども用の小さな椅子、布団もあった。布団は保健室の毛布だ。


 ここなら食料品さえ買い置きしてあれば、しばらく身をひそめていることができそうだ。


「もしかして、おれに毛布かけてくれたの、柊木さん?」

 蒼嵐の質問に、薔子はうなずく。


「ほんとは迷惑だったのよ? ここに隠れてること、誰にも知られたくなかったし。人数が増えたら、そのぶん見つかりやすくなるでしょ」

「ごめん……」


 なんだか、あやまってばかりだ。

 かわりに、往人が口をひらいた。


「これ、一日で集められる量じゃないよな? 何日か前から準備してたんじゃないの? 食料やペットボトルもあるみたいだし」


 ダンボールは二箱ある。お菓子や缶詰などが見えていた。


「それとも、ここが秘密基地だ——とか、小学生みたいなこと言って、前々から隠れ家にしてたわけ?」

「そんなわけないよ。だいぶ前から準備してたの」


 蒼嵐は気になって口をはさむ。

「それって、今みたいになるって、前もって知ってたってこと? 親に殺されそうになるって……」


 薔子はうなずいた。

「わたし、子どものころから不思議なものを見るの。霊感っていうんじゃないけど、予知夢とかね」


 たぶん、いつもの日常のなかで聞けば、半信半疑だっただろう。しかし、今の異常な状況下では素直に信じられた。


「予知夢って、未来のことが夢でわかるの? 正夢っていうやつかな?」


「正夢は夢の内容がほんとになることでしょ? わたしが見る予知夢は、映像がそのまま現実になるの。未来に起こることを録画したビデオを見てるみたいな感じかな。会話なんかも一字一句、同じになる。

 これまでは夢に逆らったことなかったけど、殺されたくはないしね。それで、前から準備してた。

 お父さんたちのようすが晩ごはんのときから変だったし、あの夢は今日のことなんだって、すぐわかった。夕食のあと、勉強するから部屋に来ないでって言って、自分の部屋にこもるふりして逃げだしたの」


「スゴイね。そんな夢見れたら、便利だろうなぁ」


「そうでもないよ。夢の内容は百パーセント当たるけど、じっさいにそれが、どのくらいさきのことか、夢のなかではわからないから。三日後かもしれないし、十年後かもしれない。今回は半年前だったから準備もできた。運が……よかったのかな」


 そう言って、薔子はブルーシートの上に体育ずわりした。

 とても冷静で機転がきいて、薔子は強い意思をもっているのだとわかる。でも、さすがに疲労してはいるようだ。


「そろそろ、教頭たち、帰ったかな? おれ、ようす見てくる」

 往人がそう言って、さっきの点検口のところまで這っていった。


「柊木さん。これからさきのことは夢で見てないの?」


 往人の帰りを待つあいだ、蒼嵐は聞いてみた。

 薔子は首をかしげた。さらさらと肩さきを髪のすべる音がして、こんなときなのに、蒼嵐はみとれた。


「それが……昨日から変な夢を見て……予知夢はその夢を見てるときにわかるんだけどね。これはいつもの予知夢だなって。でも、それとは違う感じの夢。ただの夢でないのはわかるんだけど」


「あっ、それ、たぶん、おれや往人が見たのと同じ夢だ。殺人犯の夢とか見なかった?」


 薔子はうなずく。

「見た。ほかにも、いろいろ」

「やっぱり、おれたちが、なんとか様の生贄だからなのかな?」


 すると、薔子の表情が変わった。懐中電灯の光でもハッキリとわかる変化だった。


「なんとか様って、それ……異空いぞら様のことじゃない?」

「えっ? なんで知ってんの? たしか、そんなふうに言ってたと思う。春木さん」

「春木さんって」

「ああ、ここに来る前、いろいろあって。柊木さんとこの近所の春木さんだよ」

「春木美菜子さんね」

「下の名前までわかんないけど」

「ここに来るまで、何があったの?」

「長くなるけど」


 と断り、蒼嵐は昨夜一晩のことを語った。


「そんなことが起こってるんだ。わたしが予知夢で見たのは、お父さんが猟銃でわたしを撃ち殺すところだけだったから……でも、気になるな。じつは、うちの伯父さんが民俗学の研究者でね。うちに伯父さんの本が置いてあるんだけど、異空様のことが書かれてたよ」


 話しているところに、往人が帰ってきた。


「大変だ。誰か、おれたちのほかに校舎のなかに隠れてるやつがいたみたいだ。さっき、複数の足音が上からおりてきたんだけど、おれたちくらいの男子の泣き声がまざってたんだ」


 そういえば、昨日、拓也の悪霊を見たせいで、二階で探索をやめて保健室へ帰った。三階に誰かが隠れていたのかもしれない。

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