第4話 アナタが欲しい

「沙耶……ちゃん……?」


 口づけをした沙耶がゆっくりと離れていく。


 時間にしてどれだけが経ったのだろうか? 実際は10秒が経つか経たないだが、まるで途方もない時間の中にいたようなそんな感覚を味わう。


「どう……して……?」

「……貴女に好意を寄せているのは……なにもあの男だけじゃない……。そういう事です」


 半ば放心状態に近い美奈はそのまま抱き寄せられる。ふわりと容易く沙耶に抱きしめられ、身体には沙耶からの体温による温もりと彼女が使っているであろうシャンプーなどの甘い香りが鼻に届くが美奈の頭の中はそれどころではなかった。


 今でも信じられなかったのだ。自分が妹のようにそして誰よりも親友だと思っていた目の前の少女にキスをされたという事実は。


 しかし更にまた衝撃的な言葉が美奈を襲う。


 沙耶が自分に好意を寄せていた?

 親愛から来るものではなくて?

 あまりの出来事の連続に頭が追い付かなかった。


「……ずっと我慢していた……。貴女が誰かのモノになる日がくるかもしれないって分かってた……。でも……でもっ……やっぱり耐えられない……! 傍にいて欲しい……。貴女が……っ……美奈ちゃんが欲しい……!!」


 沙耶の口から震えた言葉が吐き出される。それだけではない、沙耶の身体はとても震えていて胸の奥から鼓動さえ感じる。抱きしめられていて表情は見えないが、言葉の端々や自分のことを幼少期の呼称で呼ぶなど普段の鉄仮面が崩れ、今にも泣き出しそうな程、悲愴な感情さえ伝わってきた。


「沙耶ちゃんは……きっと友情を誤解しているんだよ……。大丈夫。私と沙耶ちゃんの関係は変わらないよ」


 だがそんな沙耶の感情によって動揺していた美奈も少しずつ落ち着きを取り戻して、ゆっくりと沙耶から離れながらその表情を見る。まるで大切なモノを失ったような、そんな悲しみと絶望が入り混じったような不安げな目で美奈を見ているではないか。


 そんな沙耶を少しでも安心させるように美奈はゆっくりと繊細なものを扱う様に沙耶の後頭部を撫でながら、まるで親が子を慈しむような優しい微笑みを向け、安心させるように諭すような口調で話す。


 こう言っては沙耶には悪いが沙耶は友達が少ない、いや半ば殆どいないと言っても過言ではない。


 彼女は友情と恋愛感情を誤解しているのだろう。故にあのような突発的な行動に出た。


 だからこそ彼女を安心させる必要がある。何があっても、それこそ自分が誰かのモノになったとしても自分達の関係は親友のままから変わらないという事を。美奈の言葉にハッと何かに気付いたように目を見開いた沙耶は顔を俯かせる。


「……貴女はやっぱり……なにも分かっていない」

「……えっ?」


 これで沙耶も安心してくれるだろう。今回の事もきっと後になれば笑い話にもなる。そう思っていた美奈の予想とは反して、俯いた沙耶の口から出てきたのは身体に絡みつくような沙耶の不快な感情であった。


 俯く沙耶の垂れる前髪の間からこちらを見据える彼女の瞳が見える。その赤みがかった瞳はどこまでも続く闇のように見え、まるでこちらを誘うかのようにその瞳から視線を外す事が出来ない。


「私は貴女に友情なんて感じた事はありません」


 沙耶のハッキリとした物言いは美奈にズキリと強い衝撃を与える。その言葉は一切の迷いがなく、本当に友情など感じていなかったのだろう。だがそれは友情を感じていた美奈にとってはその心に傷を刻み付け、締め付けるような痛みを与えてしまう。俯いた美奈の表情は感じていた友情をきっぱりと否定された事によって悲痛な面持ちとなっていた。


「──えっ?」


 しかし俯いた美奈の顔は無理やり沙耶と向き合う。沙耶のか細い指が美奈の顎先に手をかけて強引に持ち上げたからだ。


「んんっ!!?」


 次の瞬間、再び沙耶に唇を奪われた。今度は先程のような軽い物ではない。にゅるりとした異物感が美奈の舌に触れ、今度は先程のよりもハッキリと感じるほどに長かった。


 強引なディープキスに苦しくなり、美奈は何とか逃れようとする。イヤイヤ、と嫌がっても腰にも手を回されては逃げる事も出来ない。せめてもの抵抗か、沙耶の胸を叩くがどうすることも出来ず、やがてその腕も力なく垂れてしまう。


「──はぁっ……はぁっ……!!」


 やがて呼吸が苦しくなり、美奈と沙耶の顔は離れ、互いの口からはキスの激しさを表すように唾液が糸を引く。目を閉じ頬を紅潮させ肩を上下しながら呼吸をする美奈に対して、沙耶も頬を紅潮させるものの静かに口に付いた唾液を指先で拭う。


「……もう私達は元の関係には決して戻れません……。だから……貴女を私のモノにする」


 惚けた様子で半ば茫然としている美奈の眼前で沙耶は静かに、だが強い意志を感じさせながら告げる。顔だけが離れたとはいえ、いまだ沙耶は美奈の腰に手をかけたままだ。沙耶のその切れ長の瞳に見据えられ美奈はキスをされた為なのか鼓動の高鳴りを感じる。


 だが感じたのはそれだけではない。


 沙耶の言葉通りだ。先程のキスは今までの自分達の関係を打ち壊した。沙耶は元より、美奈ももう沙耶をただの友人とは見ることは出来ない。


 だが沙耶にとってはそれで良い。


 ここまでの事をしてしまったのだ。もう後戻りは出来ない、する気はない。最後まで突き進むのみだ。

 

 沙耶は自分を別に同性に恋をする、所謂、同性愛者と言う訳ではないと思っている。相手が美奈だからだ。もし小山美奈の性別が男性でも、その性質さえ変わらねば自分は同じ想いを抱いただろう。いや寧ろそうであればどれだけ救われたか……。


 先程も美奈に口にした事だがずっと我慢していた。何故なら、自分達は同性同士だから。世界には同性同士で結ばれる事はあっても、やはり奇異な目で見られてしまうのも事実。


 だから今までが我慢していた。

 この気持ちを押し留めて自分の胸の中に閉まっておけば良いと。もしも彼女が誰かと結ばれることがあったとしても祝福すれば良いと。


 頭ではそう理解していたつもりだった。だが現実はそうはいかなかった。自分の心はそこまで大人ではなかったのだ。


 美奈が誰かのモノになる。

 そう頭が理解した時、まさに胸が張り裂けそうな気持ちになった。美奈という存在が自分の傍からいなくなるような、まともに立つ事すら出来ない感覚に陥った。


 理性という枷が外れた。

 もう動き出した自分を止める事は出来なかった。


 美奈の体を自分以外の誰かに触られたくはない。

 美奈の心を自分以外の誰かに向けられたくはない。


 美奈という存在を自分の傍から離したくない。

 美奈という存在の全てを自分のモノにしたい。


 理性の枷が外れた時、その独善的で強い欲望を抑える手段は沙耶には持ち合わせていなかった。


 もう自分は美奈の表情を曇らせてしまった。自分が恋をした理由の一つの太陽のような自分の心を照らしてくれる笑顔は向けてはもらえないだろう。自分は彼女の心に影を落としてしまったのだ。


「美奈ちゃん……愛してる」


 かつての幼い時と同じ呼称で美奈を呼ぶ。例えどんな結末が待っていようと美奈を自分のモノにする。誰かのモノになるというのであれば奪うまでだ。その身も心も絶対に手に入れる。頬を紅潮させつつも不安げにこちらを見ている美奈に決意を胸に愛を告げるのであった──。

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