ラヴレター

もしも私が甘いケーキを焼いたとしたら


Scene.47

 もしも私が甘いケーキを焼いたとしたら


 黒髪の少女は、白いレースのカーテンを少し捲って窓の外を覗く。

 そこから見えるのは、いつもの白い世界。遠くに見える教会のとんがり屋根は今日も変わらずに雪を被っていた。鐘楼の鐘は今日も鳴らない。紅茶の入った銀のマグカップに口を添える。自らの赤い目を映す浅紅色の鏡は、昼食後の、優しい午後の味がした。この平穏がいつまでも続けばいいと、少女は軽い溜め息を吐く。

 リビングの奥、暖炉の傍でヘルガは雑誌のページを捲った。

 その隣のソファでは雪の様に白い少女が小さな寝息を立て、幸せそうな表情を覗かせている。

 あの頃の家族はもう揃わないけれど、いつの日かこんな時間が過ごせることを私はずっと願っていた。随分と歪だけれど、この空間は私の求めた幸せのカタチをしているのだろう。

「あの、ヘルガさん。明日、出掛けてもいいですか?」

「あら、どうしたの? 彼氏でもできた?」

「そ、そんなんじゃないです。姉さんにお遣い頼まれちゃって。小遣いやるからって」

「そう。いいわよ」

「すみません。じゃあ、リーゼのこと頼みますね」

「解ったわ。それじゃあ、私からもお願い」

 彼女はテーブルの上のメモをクロエに手渡す。

「この薬のリスト、お遣いのついでに薬局まで届けてくれないかしら? 私ね。この街で診療所を始めようと思います」

「え? 本当ですか?」

「ええ。暇だしね。養う家族も増えたからね」

「ヘルガさん……」

 少女は、少女らしく微笑んだ。

 聖母の様に温かく微笑み返す彼女のブラウンの瞳は、その奥に残酷で無機的な影を抱いている。どうしても、あの趣味は止められなかった。寧ろ、空想と欲望は更に色の濃さを増している。瞼に焼き付けられた芸術的な残像。その空想の中にはいつも、子供の死体があった。どうして、どうして、少女の身体はあんなにも美しいのか。

 悪夢に取り憑かれて眠れない夜。

 死体では物足りずにクロエの身体を求めることもあった。その度に彼女は拒むことなく、あの薄暗い地下のアトリエで、幾体の死体に囲まれながら、その生気のない眼球に見つめられながら、黒髪の天使は、私の指先の動きに甘美な吐息で応えてくれる。彼女に触れる度、彼女の未発達の性器は淫らな水音を奏でるのだ。それはまるで、指揮者になった様な気分だった。

 まだ少女の面影を残すクロエは――生きていれば――我が子の歳に近いこともあって、ヘルガの黒い欲望を更に加速させた。やわらかい唇の感触も、若さの残る甘酸っぱい匂いも、白い肌の滑るような手触りも、何もかもが、ただ愛おしかった。

「それにこの街に居たら、患者には困らないでしょうから」

「それなら、私もお手伝いさせてもらってもいいですか?」

「勿論、そのつもりよ」

「ありがとうございます」

 ふわり、と従順な黒髪の少女は微笑んだ。


 氷の都トロイカ。

 命を凍り付かせる冷たい氷も一滴の水で溶け、やがては命を運ぶ大河と成り、そして、命を育む海と混ざる。きっかけとは、そういう些細なことの積み重ねかもしれない。

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