JINGLE BELL
Scene.31
JINGLE BELL
いつもの様に雪の舞うトロイカ西区画キッチンストリート。
白い兎は今日も跳びはねる。ショッキングピンクに彩られた毒々しいイングラムとシュマイザーを両手に。赤い屋根の上を銃声と共に駆け抜けて。
彼女の背後には、クリスマスの陽気に誘われて地下街から溢れ出したギャングたち。銃弾の飛び交う深夜。煌々と輝き続けるイルミネーションがこの街をお祭 りムードへと駆り立てる。夜空を引き裂いたイングラムの銃声から、久しぶりに飾り立てられた街のバカ騒ぎが始まった。街中で、鉛弾の花火が打ち上げられ る。
「ほーら、ほらほらァ! こっちだぞン」
「クッソ! 当たらねェ!」
「良い眼科を紹介してあげようか? おにィーさん}
「このクソアマ!」
「アッハハハハ!」
屋根の上を飛び跳ねていたイルゼは足を止めて、「じゃじゃーン! 今日は新しいの持って来たーっ!」
嬉しそうに笑う彼女の手には、またもやショッキングピンクに塗られたシカゴ・タイプライター。コッキングレバーを引いて、しっかりと腰にあてて、一気にぶっ放す。
「そこらじゅうササラモサラにしてやるー!!」
ドラムマガジンを装着した悪趣味なトンプソン・サブマシンガンは、無尽蔵に鉛弾を吐き出し続けた。その凶悪な弾丸は、次々と追走者の肉を裂いて、骨を砕いて、彼らを死体へと変えてゆく。禁酒法時代のマフィアに愛され、シカゴのピアノと称されたその美しい銃声が、聖夜のテンションをヒートアップさせた。
街の沸点は近い。そこら中で歓声と悲鳴が上がる。ショーウィンドウの硝子は砕け散り、水晶の様に散らばった。混沌にざわめく夜。今にも街中に、暴虐の焔は引火しそうだ。
調子はずれの白兎が、真っ赤な瞳を転がした。更にトリガーを絞る。
「さあさあ、もっと派手にパーティーしようぜッ!」
零れ落ちる薬莢。
転がる死体。
硝煙に曇るトロイカ。
赤い髪の男がネクタイを緩め、グロックとベレッタの銃爪を締めた。背を向けて逃げ惑う、セクシーに着飾った女たちが次々と倒れてゆく。悪魔祓いだと彼は笑った。小悪魔たちを退治しているのだ、と。十字架を切りながら。
イヴの夜、仕事終わりのアフター・ファイブはこうでなくてはならない。
刺激的な夜だ。しかも、今日はクリスマス・イヴ。特別な日だ。街中がお祭り騒ぎ。とんでもないことをやらかす。それが流儀だ。
深夜へと駆け上がる時計の白い文字盤に弾痕が踊った。
ミラーボールの廻るダンスホールで紫煙と舞う。寒空を劈く悲鳴が、彼の耳には心地良い。深呼吸する様に、大きく息を吸い込んだ。ふわふわとクリスマスローズの花片が舞う、雪の様に白く。その狂気に飾り立てられた血塗れの舞台の上で、硝煙と血に酔いしれた弾丸が、兵隊の描かれたボトルを撃ち抜いた。
ショットグラスにジンを。
左手にはラドム。
撃ち抜いたライムの果肉を散らしてドライに仕上げる。場末のバーで浴びる酒にしては上出来だ。床に横たわる男のカーキ色のコートに、果汁が飛んで、染みをつけた。
彼は薄く笑う。
「飲めよ。今夜は語り合おうじゃないか」
仕事の出来ないヒットマンは殺される。それがこの街の伝統的なマナーだ。処刑されるのは珍しいことではない。今回は床の上で死ねたのだ。今、君が寝転んでいるその場所は、冷たい雪の上より、随分とあたたかいだろう。幸せな最期じゃないか。蓄音機から流れるジャズと、辺りから響き続ける銃声に耳を傾けながら、死体の隣で彼はマティーニのグラスを傾けた。
ハイド・アウトの重厚なドアが開く。
彼は銃口を向けた。
「メリークリスマス、牧師様」
「こんばんは。ミス・ヘルガ」
「相変わらず誰もいませんね」
「ハハハ。いつものことです」
今宵はクリスマスだというのに、賛美歌なんて聞こえない。そんな寂れた教会の扉を黒と白のストライプ地のコートを纏った白い顔の女が押し開けた。蝋燭の光に揺れる雪が、幻想的に礼拝堂の中を照らしている。祭壇を飾るクリスマスローズ。
それら白さは淡く、仄かに、冷たく、やわらかく。
マシュマロみたく。
或いは、出来立ての死体の肌の様に。
靴音を響かせて、女は牧師の前に座る。街の喧騒を遠くに、牧師は降誕節の祈りを捧げ始めるのだった。彼の足元に隠された少年の死体は凍り付き、その胸元には十字架に架けられたキリストのデザインされたナイフが、深々と突き立てられていた。
祈りを終えた牧師に、赤ワインを差し出して、少し微笑みながら女は問い掛ける。その吐息に、蝋燭の焔が踊った。
「こんな時、彼は何と言うの」
「そうですね。隣人を愛せと」
黒い夜空を背景に、ガス灯の焔が儚く、静かに揺らぐ。
仄かな雪明かりに瞬く白い刃。白鞘の日本刀を手に、黒髪の少女は赤いコートを翻した。こんな月夜には、紅い色が良く映える。彼女を囲む武装した柄の悪い男たち。紅い眼球が転がる。舐める様に彼らを見つめて、妖艶に微笑んだ。
火花が飛ぶ。
ふわり、と彼女は跳んで、丁々発止と斬り荒ぶ。薄暗い路地裏での惨劇。首を失った死体を滅多差しにする少女の顔は、喜びに満ちていた。
少しの悲鳴はいつものこと。今夜はクリスマス。少々騒がしいのはいつものこと。
「足りないよ……」
深紅のコートの内側から注射器を取り出すと、その女は自らの左腕に針を突き刺した。モルヒネが少女の脳に浸み込む。白く染まった感嘆の吐息が漏れる。恍惚に微睡む緋色の瞳が、ぼんやりと雪を眺めていた。その内、血染めの手のひらを見つめて、少女は小さく笑った。くすくす、と。血雪に濡れる雪を踏み締め、彼女は街の闇の中へ消えて行く。
無造作に、地面に転がった注射器を踏み付けて。
ガラスの割れる、軽い音が鼓膜を震わせた。
頭上で弾けた窓から、ガラス片が幾重にも砕け散り、一斉に降り注ぐ。ひょい、と黒いコートの男はそれを躱した。やれやれ、と髪を掻き上げる。
彼が見上げた窓から三月の兎みたく、狂った少女がブロンドの髪を靡かせて飛び出した。
「おっさん。退いて退いてっ!」
「おっと」
「やあ。また会ったなン」
「こんな日に合うなんて、ツイてないねぇ……」
「お互い様だろン」
その時、数発の弾弾が赤煉瓦を砕いた。イルゼは銃弾の飛んできた方向に銃口を向けると、トリガーを絞る。
「しつこいぞ、お前らー!」
「巻き込まないでくれない?」
「まあ、いいじゃン。てゆーか、メリークリスマス」
「もう最っ悪……。ほんっと」
くるり、と彼らは振り向いて、迫る追っ手に銃口を向ける。銀色の鷹が嘶き、シュマイザーが咆哮を上げた。彼らの放った鉛弾の雨は、あっという間に血走ったチンピラたちを洗い流す。
そこは綺麗さっぱり。死体の山。静寂と、呻き声と、硝煙と。
白い雪に染み出した血液は、ストロベリー・シロップの様で。
そんな彼らの横に、雪煙を巻き上げて、一台のパトカーが急停車する。
車窓から制服の、冴えない警官が顔を出した。
「家で大人しくしててくれませんかね? クリスマスだぞ、今夜は!」
「やっほー! ジャン! メリークリスマス!」
「……ったく、乗れよ」
「お生憎様、タクシー屋には用はねェーんだけど。まあ、乗るけど。寒いし」
「警察だよ!! これ以上殺られたら堪んねェーぜ」
「君も大変だねぇ」
「いやいや、おっさんよりはマシだよ。ミハイルさん」
「あらら。知ってたの」
「あんたの伝説は有名だからね。つーか、どちらまで?」
「オニオン・ジャーック! 血生臭いパーティーはやめて食事しようぜ。銃撃戦を眺めながら聴くクラシックなんてロマンチックだろン?」
「ちょっと何言ってるかわかんないっスね」
再び、雪を巻き上げて、パトカーが街路樹の横を走り抜ける。赤いテールランプが、真夜中のトロイカを縫い合わせていく。
そのレーザーサイトの赤い点に狙撃手は神経を尖らせた。
風は無い。聞こえるのは、サンタ・クロースも逃げ出しそうな、街の喧騒だけ。白亜のテラスからヴィントレスを構える。その銃口は、クリスマスに沸き立つ一軒家の中を覗いていた。本日のターゲットは二階の窓際で、バーボンのグラスを傾けている。いい御身分だ。こんな夜だから、幾百の修羅場を潜り抜けてきたマフィアも、クリスマスくらいはゆっくりしたいのだろうか。しかし、死ぬ前に呑む酒が、そんな安物とは嘆かわしい。
冷ややかに、彼女はスコープを覗いていた。ゆっくり、と引き金に指をかける。
男の後頭部にレーザーの赤い点が浮かび上がった刹那、それは鉛弾と結ばれた。
スコープの向こう側。破砕した窓ガラスの先。弾け飛んだ頭は西瓜じみていた。飛び散った血飛沫が、クリスマスツリーを紅く染める。
こんな日なのだから、葉巻の一本でもプレゼントしてあげましょう、と。女は葉巻を一本、彼の家の玄関先に転がした。
――Joyeux Noel.
メリークリスマス、と記されたメモに、ピンク色のキスマークを添えて。
氷の都トロイカ。
冷たく硬い氷さえも溶かして仕舞う様な、聖夜の熱気は人々を暴虐のお茶会へと誘ってゆく。そこら中で繰り広げられる狂ったパーティーは、朝を迎えても尚、終わることはない。
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